アンティークマン

 裸にて生まれてきたに何不足。

ブータンで活躍している大和撫子

2011年10月11日 | Weblog
 ブータンへ行って知ったことで、とりわけ意外だったことは、「一夫多妻」「一妻多夫」でした。最高は4人の妻を持っている男で、一人は前国王、もう一人は、タクシーの運転手だということでした。
 「一妻多夫」の方は、二人の夫を持つ妻が紹介されておりました。こういうことも、「国民総幸福量世界一」と関係あるかも知れません。
 なお、夜這いの習慣は薄れてきたということですが…既婚者でも平気で未婚者にアプローチする。「一夫多妻」「一妻多夫」も、むべなるかな…。

 なお、ブータン農業の近代化に尽力した農業専門家で、国王から「ダショー」という爵位を贈られた(今でも外国人では唯一の受爵)西岡京治さんは、2人の妻を持っていたそうです。28年間もブータンで頑張ったのですから、妻が2人いるのもむべなりかな?同行していたはずの里子夫人を含めての2人なのか?この情報は、ガイドさんからの情報です…私がいい加減なことを書いているわけではありません。なにしろ、西岡さんの名誉に関わることですから。
 ともあれ、ブータンの人々が日本(人)に大変好意的なのは、西岡さんの働きがあったからに他ならないと思います。

 ブータンと日本は、互いに大使館を持っていません。それにもかかわらず、日本とブータンの関係は良い。西岡さんが敷いたレールの上を、JICAやJOCVが誠実かつ着実に走っているからでしょう。
 パロ(ブータン唯一の空港がある町)の街で、「日本からの方ですか?」と話しかけられた。日本でもあまりお目にかかることが出来ない、大和撫子でした。長身(180cm前後)の美女。気さくな笑顔に親しみを感じる。
 彼女は、JICAから2年間の予定で、パロに派遣されているのだと。現在2年目に入ったところだという。任務は、ブータンの学校教育における美術科のカリキュラム作りだとのこと。ブータンの学校には、「図画工作」も「美術」もないのだそうで。
 「新しい住まいへ引っ越すんです。今、これから引っ越し先の家の掃除に行くところなんです」掃除の手伝いに20歳前後のブータン人の女の子を一人連れていました。なお、パロに住んでいる日本人は、10人とのことでした。
 掃除に行く忙しいところを、干しマツタケを買って雑貨屋から出てきた私どもに声をかけてくださった。その気持ちが嬉しい。
 さらに嬉しかったのは、日本の代表のような大和撫子が、ブータンで、はつらつと仕事をしておられること。ブータン人にとって、「日本人は、美しくて、優しくて、元気で、笑顔一杯で、思い遣りがあって、頭が良くて、行動力がある。引っ越す前に掃除をする」…このように受け取られていると思われたからです。日本人に対するイメージは、グングン昇ります。

 こういう大和撫子がおられるから余計にだと思うのですが、3.11の東日本大震災にかかわってブータンは・・・
 「ブータンが日本のためにできることは少ないが,精神的な連帯感は常に日本とともにある」と、国王自らが追悼式を開催しました。チャリティー・イベントでの義捐金が日本に届きました。金額の多寡など関係ない。ブータン人って、心底日本に対して友愛を感じてくれているんですね。西岡さんとJICAの女性のお陰です。

 今年は日本とブータンの国交樹立25周年。ということは、西岡さんは国交樹立前からブータンで働いておられたということ。6月に日本政府は、円借款を供与しました。何のためにって?ブータン政府が国家開発計画の重点課題としている「全世帯電化」を支援するためです。

 国王が徒歩通勤?待ち伏せでお会いできる…

2011年10月10日 | Weblog
ティンプーで観ておいた方がいいと思われるところは、「タシチョ・ゾン」。「ゾン」は、元々は城塞のことでしたが、現在は、官庁が入ってさらに寺院が入って…。タシチョ・ゾンには、国王の執務室、内務省、外務省、ブータン仏教の総本山が入っている。

 この、「ゾン」に入るには、正装でなければなりません。ブータン人は、ゴやキラを着てさらに、白い巨大マフラーのようなものを体に巻いて入ります。大きな白い布を、じつに器用に体に巻く…。身分によって巻く布の色が違うそうですが、ガイドさんたちは皆、「白」でした。
 外国人観光客は、襟のついた洋服であれば、入れてくれます。但し、所持品チェックを受けなければなりませんが。

 タシチョ・ゾンに限らず殆どのゾンは、見学できるのは官公庁の執務時間が終わる午後5時から。プナカ・ゾンへは昼間に行っただろうって?あそこには官公庁が入っていないのです。寺院だけ。

 午後5時。タシチョ・ゾンの入り口の方向へ歩いていくと、右手下方に王宮がありました。王宮というと、大御殿を想像するが、ブータンの王宮は拍子抜けするほど小さい。国王が贅沢な暮らしをしてはいけないという考え方から。しかし、国王はランクルをもっているそうで…チョッピリだけ贅沢してますなあ。
 王宮方面の写真撮影は禁止でした。王宮の先、ティンプー川を挟んだ対岸に、国会議事堂がありました。美しい建築物でした。

 所持品検査のあと、ゾン内部へ入りました。国王執務室があったので、国王に御挨拶をしようしましたら、「今日はもうお帰りになられた」と。と、いうことは、在室だったら会わせてくれたのか?ガイドに確認すると、「観光客は5時からでないと入れないよー。5時には国王の勤務も終わっているよー。だから、観光客は国王には会えないよー」だった。なるほど。「会わせません」と言われるより、「今日はお帰りになられました」と言われた方が気持ちがよい。ま、警備の人がそこまで考えて言ったのではないでしょうけどね。

 国王は、王宮から徒歩でゾン内の執務室へ来ることもあるので、毎朝張り込んでいれば会えるらしい。そうまでして、国王に会わなくてもいいですけどね。

ブータンから日本宛に絵はがきを出したが…

2011年10月07日 | Weblog
ブータンの名物といえば、「切手」。ブータンの首都ティンプーの中央郵便局へ行きました。ブータンで最も大きい郵便局ですから、さぞや立派な…。そういうステレオタイプが通用しないのがブータン。ブータン一の郵便局は、日本の田舎の郵便局(と、いっても様々でしょうが、イメージは伝わるかと)のような感じ。もちろん平屋建て。切手を打っている部屋は、右手奥で施錠されていました。「スタンプ!」というと、局員の女性が鍵を取り出してついてこいというジェスチャー。
 日本までの切手は、20ニュルトラム。およそ40円。葉書も封書も同じ値段というあたりがブータン方式。出発前に得た情報では、日本までの切手代は、9ニュルトラム、つまり18円ということでしたが、物価の値上がりが激しいようです。短期間に、18円が40円になるのですから。
 確かに、様々な切手がありました。私は、菱形の切手を買い、子供達や友人知人、そして自分たち宛へも絵はがきを送りました。
 9月21日に投函したのですが、今日で16日間経過しています。まだ届いておりません…。あの、平均時速20kmの道路を通らなければならないのですから、時間がかかるのは当たり前でしょうか…。

 日本の郵便局でもやっているところがありますが、ティンプーの郵便局では、顔写真を写して、その場で切手にしてくれるサービスをしておりました。顔写真入りの切手?日本へ持ち帰っても使えないわけで…作った人は、「額に入れて飾ります」とのこと。まあ、好きにしてください。

 ブータンの郵便局は、貯金とか、簡易保険とかはやってませんでした。さながら、郵便業務。同じ屋根の下に、銀行がありまして、結構大きな銀行でした。保険屋さんはなかったのかって?…見つけられませんでした…。

いやーっ!質素…しかし、「質素=不幸」ではない 

2011年10月06日 | Weblog
 私は、ありのままのブータンを観るだけで満足なのですが、旅行社としては、何か「特別なモノ」を見せたいらしい。人口70万人の国に、700の旅行社があるので競争は熾烈らしい。
 ブータンには、動物の仮面をつけて太鼓を叩きながら踊る…民族舞踊がある。それを見せてくれるという。一国の首都の民族舞踊発表の会場であるから、そこそこ立派な劇場を想像した。しかし、会場は、バラックだった。終戦後の日本の住宅のような…客席は、パイプ椅子が30脚ほど並べられていた。舞台?そんな洒落たモノはない。客席と同じ高さのフロアが発表の場。
 民族舞踊ショーは…男子の仮面をつけた踊り、女子の歌と踊り…これが交互に繰り返されました。ショーの時間は、およそ30分。ただただ素朴…。一生懸命さは十分に伝わってきましたけどね。
 帰り際、女の子が、「自分たちの歌のCDと、踊りのDVDをセットにしたものを買ってほしい」と。30人ほどの観客がおりましたが、誰も買いませんでした。気の毒でしたが、私も買いませんでした。日本へ帰ってから、彼女らのCDを聴く場面はいくら考えても浮かんできませんでしたから。CDプレイヤーを持ってないんだろうって?持ってますよ。だけど、動くかどうかは分からない。

 パロでは、民家訪問というありがたい企画が。訪れた民家は、築300年。 3階建てで、1階は家畜を飼うスペース。2階は生活スペース。3階は、家畜の飼料の保管などの多目的スペース。典型的なブータンの農家です。なぜ、築後300年の家が現役か?これは、太い柱、幅の厚い木の床でできているからでしょう。柱の太さは、直径50cm超。ゾウの襲撃にも耐えられる!
 300年の家は珍しいこともあり、現国王が訪問したこともあった。現国王と、この家の娘さんが写っている写真が自慢げに飾られてありました。

 民家で驚いたのは、「仏間」。12畳ほどの広さ。中央に大きな仏像が置かれていました。もちろん、マンダラあり、例の果樹の下にいる象の上に猿、鼠、鳥が乗った絵が有り、十二支の絵があり。さながら寺院でした。

 茶の間では、バター茶の接待がありました。米を炒ったものや、ヒエのようなものを炒ったお茶うけも。さらに…待ってました!「固形酒」も振る舞われました。
 茶の間の中央には、鉄板(トタン?ブリキ?)製の薪ストーブが。煙突が室内を通って外へ。懐かしい50年前の我が家そのものが、ブータンの民家にありました。

道路工事は手作業…ブータンで働く10万人のインド人

2011年10月05日 | Weblog
 9月はブータンでは乾季だ、と思って出かけたのですが、異常気象はヒマラヤの麓にまで及んでおりまして、11日の旅行期間の半分は雨に祟られました。しかも、大雨。さらに地震。あちこちで通行止め。全体を通して、バス内待機が3時間で済んだのはラッキーだったのかも知れません。

 災害の翌日、ブータンの道路では復旧作業が始まっておりました。こう書くと、「大型の重機や、大型トラックが大活躍をしている様」を、思い浮かべる人が多いでしょう。しかし、殆どが「人力」による復旧作業。なぜか?道路が狭くて、大型トラックが入ろうものなら通行止め同然となり、国の機能がマヒしてしまう。大型の重機など入れたら、崖の下へ転落すること間違いなし。アームの回転半径より道幅が狭いのです。

 さて、おびただしい数の人が、人力で作業をしているのですが…どう見ても、ブータン人ではない。インド人ばかり。ブータン人は、肉体労働をしない。「肉体労働はインド人がしてくれる」と、いうわけで、現在ブータンの道路整備に関わるインド人は10万人を越えているそうです。人口70万人のブータンに、10万人のインド人が暮らしている。この事実もなかなか興味深いものがあります。 それで…ブータンで道路工事をしているインド人は、母国インドへは帰りません。生涯をブータンで過ごします。10万人いるわけですから、結婚相手も見つかる。子供もできる。その子がまた道路工事に携わる。学校?行くわけがない。山の中ですから、学校へ行きたくても、徒歩で行ける範囲に学校などない。道路工事の母親が連れてきたと思われる、生後1年ほどの赤ちゃんが道路へ這いだしておりました。土砂ぶりの中ですよ…。はじめは傘をさしていたのでしょうが、傘は風でひっくり返っていました。道路へ這い出すのは、ラッキーな部類。崖から落ちたら、見つけられる確率は限りなくゼロ。「乳飲み子を連れて、道路工事をする」…そういう現実があります。
 
 道路工事のインド人の日当は、日本円にしておよそ600円。朝から晩まで働いて、600円を握りしめて、山の中に建てたテント村に毛がはえた程度の家へへ帰る…。幸福な国ブータンで働くインド人…彼らは幸福なのだろうか?
 きっと、半数は、「幸福だ」と、言うと思います。600円の問題ではありません。労働して家族の元へ帰る…幸福だと思います。

 ブータン人は、なぜ道路工事をしないのか?きつい仕事を嫌うというのではなく、他に仕事があるからだと思います。仕事をしていない人の割合は、2~3%だという。この数字に、定年退職者や専業主婦が入っているかどうか、そのあたりは曖昧ですがね。

 ゴやキラを着て道路工事をするのは…動きにくいかもしれません。民族衣装の着用が義務づけられている国です。その民族衣装が道路工事に不向きとなれば、「国民は、道路工事をしなくてもよい」と、いうことに…これが真相だったりして。

ブータンの見所?全てです…!

2011年10月04日 | Weblog
 ブータンの首都ティンプーで、「紙漉き工房」の見学に行くという…。ツアー客の団体行動なので、「そんなとこ見学したくない!」と、ゴネるわけにもいかずついて行きました。
 紙漉きは、現代の日本でも行われており、テレビなどで時折紹介されています。決して珍しいものではない。そんなわけで、気乗りがしませんでした。

 ブータンでも古来から紙漉きが行われており、技術は日本とよく似ているそうで…だったら、それでよかったねというところなのですが…。町村合併で浜田市となった(旧)三隅町(島根県)が、ブータンの紙漉きの技術指導に当たってきたんだとか。(旧)三隅町はブータンから紙漉き研修生を受け入れたり、設備を贈呈したり…ブータンの紙漉きに貢献してきたとのこと。そんなわけで、日本人向けのティンプーの観光コースに入ったらしい。

 工房内は、職人さんたちが黙々と紙漉きをしているだけ。私は、早々に工房を出て、4匹の子犬をからかって遊んでおりました。ブータンには、野良犬が多いです。多いなんて半端なものではないかも。世界の国の野良犬ランキングでは、間違いなくトップテンに入りますね。ひょっとすると、第一位かも。殺生を嫌うので、野良犬を駆除しようなどという発想がわかないらしい。

 工房に隣接して、工房で作った紙の文具などを直売する店が。ちょっと興味があったので入ってみたのですが…「高い!」。収入が日本の10分の1なのに、文具の価格が日本並み。とんでもない勘違いをしていると思いました。ツアーのメンバーも誰一人買いませんでした。「日本の和紙製品のほうが、きれいで安い」と。(旧)三隅町さんは、このあたりも指導したら良いと思います。日本人は、紙と竹にはうるさいのです。いくら友好国ブータンの店であっても、価値に見合わないお金は出しません。

 どうして、紙漉き工房見学か?答えは、「他に見るべきところがないから」ということになるのでしょう。しかし、それは違うと思いますね。私の意見を言わせていただけば、「ブータンは、見るべきところだらけです」。日本では自動車が通らないような道を上って紙漉き工房へ行くより、街角に放置していただいたほうがどれだけいいか!ブータンの、「風景と人」を見るだけで幸せになれるのですがね。

ブータンのホテル マツタケと湯たんぽと

2011年10月03日 | Weblog
 「100gで7,000円~10,000円が相場」…これ、なーんだ?
 国産マツタケです。特に、キノコが好きなわけでもない。高価で買えないから、負け惜しみで言うわけではないが、「マツタケを食べたい」などと考えたこともない。ところが、そのマツタケをブータンで腹一杯食べるハメに。

 ブータンの9月はマツタケの最盛期が終わりかけた時期。ブータン人は、マツタケを食べない。山へ行けばたくさんある無用の長物であるマツタケを、日本の商社が高値で買い取っていく。ガイドやドライバーも、不思議そうでした。

 で、そのマツタケが入手できないか?もちろん生のマツタケを日本へ持ち帰るには手続きが必要で面倒くさい。ホテルで焼いてもらって、醤油をかけて食べることができないか?

 こんな時に役立つのが、ブータンのガイドさん。山で採ってきたか、知り合いからもらってきたか、あり得ないほどのマツタケを入手してきてくれた。タダ同然だという。
 ホテルの調理場へ持ち込んで焼いてもらい、夕食でいただきました。マツタケもたくさん食べると、美味しいモノではないですね。香りはいいですけど。このマツタケ三昧が2晩続きました。それでもまだ余ってしまって…こっそり処分されたようです。日本では考えられないこと。腹一杯食べたので、もうマツタケは食べなくていいです。普通の日本人が一生食べる分のマツタケの20倍ほど食べたので。どうゆう計算じゃ?

 大きなホテルの厨房が、客が持ち込んだマツタケを焼いてくれる…このようなサービスをしてくれる国って…ほかにあるでしょうか?日本のホテルの場合は、有名人の願いならホイホイときくでしょうが、普通のオヤジが、「おい、この魚焼いてくれ」と頼んでも相手にしてくれないでしょう。民宿とか、居酒屋なら対応してくれるでしょうけど。

 マツタケもさることながら、ティンプーのホテルのサービスで感心させられたのは、「湯たんぽ」でした。夕食後の時間帯に各部屋を回って「湯たんぽ」を配る。
 ところが、連泊の第一日目、我々の部屋に「湯たんぽ」は来なかった。「湯たんぽ」が配られたことについて翌朝知った家人は、興奮した!家人は、大の湯たんぽ好き。その家人が無視された格好になったわけで、「今夜、来なかったら催促する!」と、怒りと興奮と期待で、朝から頭の中は、「湯たんぽ」。
 そして夕刻、廊下にいたハウスキーパーに、「ホットウオター!」と詰め寄った。ハウスキーパーは、うろたえていた。家人は、「ラバーバッグ ホットウオーター インサイド。フット ウオーマー イン ザ ベッド @*&$#…」この英語に似た感じの言葉がよく通じた。やがてハウスキーパーは、ゴムの水枕にお湯を入れたものを持ってきてくれた。陽が高いうちから湯たんぽをいれてどーすんの?などという声は、家人の耳には入らない。ティンプーで、自力で湯たんぽを手に入れた満足感に浸っておりました。

 翌朝の感想は、「いやーっ!湯たんぽのお陰でよく眠れましたぁ!」と。いつもよく寝ていると思うのですが…。

青空トイレでの注意事項 ~ブータン編~

2011年10月02日 | Weblog
 インドのシリグリ(バグドグラ空港がある町)からブータンの首都ティンプーまでの陸路486kmは、地球上で比類なき命がけの悪路。平均時速20kmの世界で、ひとつ間違うと命がない。
 そこで問題なのは、「トイレ」。ほぼ2時間走る毎に集落があり、21世紀にこんなトイレがあるのかと感心させられるほど汚いが…一応ドアらしきものは付いている。2時間も待てない時や、崖崩れで道路が塞がれ車が動かないときのトイレは…青空しかありません。

 男性の小便は、青空でも、どってことない。しかし、BUT、女性の場合は、立ち小便には慣れていない。そこでツアー参加者が考案したのが、傘で囲みを作って用をたしていただく簡易トイレ。これはなかなか好評でした。そのとき、「日本人の女性ってなかなかやるなあ」と、感心したのは、使ったティッシュペーパーを繁みに放置せず持ち帰えったことでした。これは立派です。他国へおじゃまして、大地に直接、小用や大用をすること自体が失礼な話なのに、使ったティッシュペーパーを放置するのはいけません。水に溶けないので、やがて風に舞い、世界一幸福な国民の口にでも入ったら大変ですから。

 私も一生分ほどの回数の青空トイレを経験させていただきましたが…ブータンへ入ってまもなくの青空トイレで、右腕に激痛が!5~6匹のスズメバチに同時に刺された…そんな激痛でした。
 「やりやがったな!たとえ虫けらでも許さんぞ!」と、見ると…ハチも蚊も見えず、葉に鋭い棘を持つ草が…。草の葉がこんなに痛いはずがない?すぐさま、家人に診てもらったところ、「刺した跡があるし、腫れてきているので虫だ」と断言。しかし、虫を目撃していない。第一、5~6匹の虫が呼吸を合わせて一気に私の右腕を狙って攻撃するか?「ムヒ」という薬を塗って様子をみました。やられたところは、ヒリヒリ痛みました。痛みは翌日まで続きましたが、ほぼ2日でなんとか治まりました。結局犯人は、葉の棘だったのか、虫だったのか不明のままです。

 ツアー同行者の60歳を過ぎたと思われる女性は、パンツ(綿パン)を血で濡らして、家人に、「薬を持っていませんか?」と。20cmもある、大きなヒルにたっぷり血を吸われ、気づいたときにはパンツが血で濡れたというわけ。繁みで尻を出して用をたしているときにヒルに吸い付かれたようでした。

 インド、ブータンで青空トイレを利用する際の注意事項は…
 1 棘のある植物に触らない
 2 ハチや蚊などに注意する…虫除けスプレーが有効ですが、スプレー式の場合、飛行機の荷物検査で引っかかる場合があります。「塗る虫除け」がありますから、それを持参するのが良いです。ちなみに私どもは両方持っていきました。案の定、スプレー式は日本国内の空港で引っかかりました。「虫除け…」と、言って許していただきました。どこの空港でも許されるとは限りません。
 3 ヒルに侵入されないように注意する…これって、注意のしようがないかな?

 これだけ注意すればOKと思ったら大間違い。インドからブータンにかけて、「ゾウ、トラ、サイ、ヒョウ、クマ、サル、コブラ、ニシキヘビ」などが棲息しています。これらが、絶滅の危機に瀕していないというところが…嬉しいような嬉しくないような…。繁みにしゃがみ込んで用をたしているうちに、コブラに咬まれたらどうなりますか?ニシキヘビに巻きつかれたらどうなります?真後ろからサイの突撃を受けたら…「尻が割れました」などと冗談を言ってられません。

 青空トイレは気持ちがいいかもしれませんが、数多くの危険が潜んでいます。ブータンへ行く際には十分注意してください。

尼僧が携帯電話で…ブータン仏教に変化が?

2011年10月01日 | Weblog
 ティンプーからプナカへ日帰りで行ってきました。ティンプーは標高2,400m。プナカは、標高1,350m。つまり、プナカは暖かい。そのため、かってプナカは、冬期間の首都だった(1995年まで)。およそ77kmの例の細く曲がりくねった凸凹道。途中、標高3,150mのドチュラ峠を越える。つまり、片方は岩壁、片方は落ちたら数百メートル一気に落下するという危険な道。この道が、ブータンを横断する唯一の幹線道路…!

 まもなく現国王の結婚式が行われますが、会場が、「プナカ・ゾン」つまり、ティンプーの王宮におられる現国王と后になられる方は、この幹線道路を通ってプナカへ行かれる。ヘリコプターはないのかって?私が確認したところ、「ブータンにはヘリコプターはありません」とキッパリ。
 結婚式には世界各国から要人が参列するわけで、パロという町にあるブータン唯一の空港から車でプナカへこられるわけで…崖から転落しなければよいのですが。日本からは、皇太子様が出席されると思いますが…とんでもない道です。パロ~プナカは、142km。平地の直線道路などない。あと、トイレが…。インドと比べてしまうとどこの国のトイレもきれいでしょうが…ブータンのトイレもインドに勝るとも劣らない。男性は青空トイレでいいが、女性の青空は…。結婚式に行かれる方は、そのあたりの覚悟をして行ってほしい。

 ドチュラ峠で休憩していたら、プンツォリン(ブータンの都市)の水力発電所で働いているインド人(インドから出稼ぎに来ている。但し、何年か後にインドへ帰るというものではなく、定住しているらしい…)と思われる一団と会いました。子供も交じっていたので、早速、イカサマ手品を披露しました。これが、大人たちにバカうけ。別れ際に、4~5人に握手をもとめられ、「僕たちも練習するから!」と、決意表明もいただきました。歴史上、ドチュラ峠で最も人気があった日本人、それは私です。

 大きめの川が右手に見えはじめたあたりで、道が平坦になってきました。そして、モ・チュ(母川)、ポ・チュ(父川)という2つの川の合流点に、プナカ・ゾンが建っていました。ゾンは、元々は、城塞でしたから、山の上に造られるのが普通。日本の城も、鉄砲が普及するまでは、山の上に築かれました。いわゆる、「山城」です。プナカ・ゾンは、川の流れで敵を防ぐことが出来るので、山の上ではなく、川の中州のようなところに造ったのです。

 橋を渡って、ゾン内部へ入るのですが、橋の途中で少年僧と会いました。無理矢理捕まえて記念写真。ホント、日本人って厚かましい。今でも冬にはティンプーのタシチョ・ゾンからおよそ1,000人の僧が(避寒に)やってくるのだそうで…修業が足らんなあ!ジュ・ケンポ(大僧正)も来るのだそうで…。甘い。寒さに耐えてこそ修業というもの。ブータン仏教(チベット仏教)しっかりせぃ!(←モチロン、ジョークです。言えることは、ブータンの人達は無理しない。寒い冬は暖かいところで修行すればイイジャン。と、いう印象でした)

 プナカ・ゾンの入り口の階段を登ると四天王の絵。壁にはマンダラ(いわゆる、本質や真理に至るための図)や、果樹の下にいる象の上に猿、鼠、鳥が乗った絵…これらは、ブータンではよく目にした絵でした。十二支のマンダラもあり、描かれている動物は日本の十二支と同じでした。
 中に入ると菩提樹と仏塔のある中庭に出た。な、なんとこの仏塔、半分が崩れておりました。二日前のインドのシッキムを震源とする地震で崩れてしまったのだと。で、地震から二日後に私が見たときは、なんの修復もはじまっていなかった。「ありゃ?国王の結婚式があるというのに、まさかこのままじゃないだろうなあ?」心配しましたよ。「大急ぎで修復します」とは言っておりましたが、二日も放置しておきながら、「大至急…」とは。やはり心配です。ブータン人はナマケモノか?ナマケモノではないと思いますが、「無理をしない」。「仏塔が崩れた?うーん…今日は家族と団らんの予定があるし…ま、そのうち修復するよ」といった感じですね。あくせくしない。

 プナカ・ゾン3階には、17世紀にブータンを統一した、「シャブトゥン・ンガワン・ナムゲル」のミイラが安置されているという。「ン」で始まる名前なり言葉なりは、結構あるのです。ですから、「シリトリ」の場合、日本と諸外国ではルールが違うことになるわけです。
 観光客にとっては、ミイラより、キュンレイ(大講堂)が魅力的。キュンレイ入り口の両側の壁には六道輪廻図やカーラチャクラ(チベット仏教の最奥義の聖典…なのだそう)など大きなマンダラが描かれていました。キュンレイの正面中央には釈迦像、左にパドマサンババ、右にシャブドゥンの像。パトマサンババは、チベットからトラに乗って飛んできた聖人。ブータン仏教の父です。シャブドゥンは、僧ではなく政治家。両人と、ブータンの今を築き上げた偉い方。
 壁の上部にはたくさんのタンカ(仏画のこと。五七五七七ではない)がかかっており、柱は細かな彫刻が施されたうえに金泥が塗られ、天井は龍の絵で埋めつくされていました。

 また橋を渡って帰ってきたのですが、橋の途中で、三人の尼僧に会いました。なんと、濃いめの化粧で携帯電話で話しておりました。尼僧は、一見性別が分からないのが普通じゃないのか?明らかに女性と分かるお化粧…。尼さんが携帯電話で話すというのが何とも俗っぽい。俗世間から逃れるために尼になったであろうに、携帯電話で外部の人と話す…それ、おかしいべ!実は、尼に化けた観光客だったのではなかったのか?そういえば、カメラを向けたら顔を背けたし…頭髪も、手入れされたショートカットだった。今でも気になります。
 僧侶にいきなりカメラを向けるのは、失礼じゃないかって?「撮っていいですか?と尋ねたら、NO!に決まっているので勝手に撮ればいい」…これ、ブータンのガイドさんからのアドヴァイス。