信濃国府が置かれていた松本から40数キロ
木曽街道の山吹トンネルを抜けると宮ノ越だ
この地に駒王丸が2歳から隠れ育ったと言われており周辺には義仲関連の伝承地がいくつかある
先ずは義仲館がリニューアルしたということで再訪してみた
館の前には義仲と巴御前の立派な銅像が堂々と鎮座している
平家物語延慶本には美男と書かれている義仲だが像はちょっと武骨な感じがして
粗野だったという俗説イメージを上塗りしてしまいそうだ
没した31歳にしては老けすぎる
も少しジャニーズ寄り、巴御前はAKB寄りだとイメージアップするだろうに
などと思いながら入り口に行くと
「コロナのため12日まで休館」
臨済宗妙心寺派で義仲の菩提寺だったと言われている徳音寺は義仲館のすぐ近くだ
山門をくぐると愛馬にまたがって野を駆ける元気そうな少女時代の巴御前の銅像が目を引く
平家物語の木曾最後には巴は色白く髪長く、器量よしで強弓を引き荒馬を乗りこなせるとある
となると先の像はAKBより美人女子プロ系か?
足元にはその馬の蹄が岩を貫いたという「つらぬき石」というのがある
確か小曽部や麻績にも岩に付いた義仲の馬の足跡があった
境内には義仲霊廟や母小枝御前、巴御前、今井四郎兼平、樋口次郎兼光などの墓碑や供養塔がある
寺が再建されたのは江戸中期ということなのでもちろん後年建てられたものだ
再建は1700年代のようなので義仲が没して600年近くは経っていただろう
以前訪れたことのある義仲の墓は大津市の義仲寺にあり隣には芭蕉が眠る
今井兼平の墓も大津市にあるのだがここ徳音寺の墓碑の裏には今井村と刻んである
昭和初期以前に出身地と言われる今井村が寄進したのだろう
もちろんここが菩提寺であったとする確たる証拠は何もないし義仲がこの地で育ったことさえ不明だ
しかしこうして伝説を可視化すると何となく本当らしく思えてしまうのだった
木曽街道の山吹トンネルを抜けると宮ノ越だ
この地に駒王丸が2歳から隠れ育ったと言われており周辺には義仲関連の伝承地がいくつかある
先ずは義仲館がリニューアルしたということで再訪してみた
館の前には義仲と巴御前の立派な銅像が堂々と鎮座している
平家物語延慶本には美男と書かれている義仲だが像はちょっと武骨な感じがして
粗野だったという俗説イメージを上塗りしてしまいそうだ
没した31歳にしては老けすぎる
も少しジャニーズ寄り、巴御前はAKB寄りだとイメージアップするだろうに
などと思いながら入り口に行くと
「コロナのため12日まで休館」
臨済宗妙心寺派で義仲の菩提寺だったと言われている徳音寺は義仲館のすぐ近くだ
山門をくぐると愛馬にまたがって野を駆ける元気そうな少女時代の巴御前の銅像が目を引く
平家物語の木曾最後には巴は色白く髪長く、器量よしで強弓を引き荒馬を乗りこなせるとある
となると先の像はAKBより美人女子プロ系か?
足元にはその馬の蹄が岩を貫いたという「つらぬき石」というのがある
確か小曽部や麻績にも岩に付いた義仲の馬の足跡があった
境内には義仲霊廟や母小枝御前、巴御前、今井四郎兼平、樋口次郎兼光などの墓碑や供養塔がある
寺が再建されたのは江戸中期ということなのでもちろん後年建てられたものだ
再建は1700年代のようなので義仲が没して600年近くは経っていただろう
以前訪れたことのある義仲の墓は大津市の義仲寺にあり隣には芭蕉が眠る
今井兼平の墓も大津市にあるのだがここ徳音寺の墓碑の裏には今井村と刻んである
昭和初期以前に出身地と言われる今井村が寄進したのだろう
もちろんここが菩提寺であったとする確たる証拠は何もないし義仲がこの地で育ったことさえ不明だ
しかしこうして伝説を可視化すると何となく本当らしく思えてしまうのだった
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