水窪から約2時間半で山住神社到着です
ここでサンプレ氏を待つことにしました
山住神社は山犬信仰で鳥居の前には狛犬ならぬ山犬が鎮座しています
山犬は鹿やいのししの害獣を退治してくれる益獣として神格化さたようです
徳川家康の庇護もあったと言うことでなかなか立派な神社でした
そんな神社を見学しているうちにサンプレ氏が追いつきました
シュラフ、コンロ持参の旅スタイルに風格が漂います
それにしてもE籐さんのバッグは重そうだなぁ
ここでサンプレ氏を待つことにしました
山住神社は山犬信仰で鳥居の前には狛犬ならぬ山犬が鎮座しています
山犬は鹿やいのししの害獣を退治してくれる益獣として神格化さたようです
徳川家康の庇護もあったと言うことでなかなか立派な神社でした
そんな神社を見学しているうちにサンプレ氏が追いつきました
シュラフ、コンロ持参の旅スタイルに風格が漂います
それにしてもE籐さんのバッグは重そうだなぁ
三日目は天竜スーパー林道を秋葉神社まで走ります
昨日松本から南信濃村まで自走してきて河原で野宿したサンプレ氏と合流予定ですが
朝5時半に出てヒョー越峠を越えてくるとのことなので
途中で追いつけるように我々は8時スタートです
相変わらずパンクさんとプリン体さんはすぐに見えなくなってしまいます
E藤さんは宿の好意でいただいた2リットルの麦茶搭載で膨れあがったサイドバックが重そうです
タオさんは鼻歌交じりで上っています
「余裕だねぇ」と言うと
歌ってると苦しさが紛れるとのこと
この調子で日本各地を放浪したのでしょう
M鍋さんとワタシはマイペースです
昨日松本から南信濃村まで自走してきて河原で野宿したサンプレ氏と合流予定ですが
朝5時半に出てヒョー越峠を越えてくるとのことなので
途中で追いつけるように我々は8時スタートです
相変わらずパンクさんとプリン体さんはすぐに見えなくなってしまいます
E藤さんは宿の好意でいただいた2リットルの麦茶搭載で膨れあがったサイドバックが重そうです
タオさんは鼻歌交じりで上っています
「余裕だねぇ」と言うと
歌ってると苦しさが紛れるとのこと
この調子で日本各地を放浪したのでしょう
M鍋さんとワタシはマイペースです
いくら疲れていてもいつもの時間には起きてしまいます
皆さんまだ寝ているようなので
6時前からそっと起きて町中をポタリングしてきました
水窪は地名の通り川に沿った窪地に出来た町で四方が上り坂になっています
山裾を飯田線が町を見下ろすように走りその先で大きくカーブして水窪トンネルに入っていきます
昭和初期に大火にあったそうですが
それ以降に建てられた旧道沿いの建物は昭和そのものです
所々に見られる秋葉街道や塩の道といった表示板が歴史を物語る
なかなか良い雰囲気の町です
背伸びせず身の丈にあった人々の暮らしぶりが伺えるような
そんな町のイメージを受けました
皆さんまだ寝ているようなので
6時前からそっと起きて町中をポタリングしてきました
水窪は地名の通り川に沿った窪地に出来た町で四方が上り坂になっています
山裾を飯田線が町を見下ろすように走りその先で大きくカーブして水窪トンネルに入っていきます
昭和初期に大火にあったそうですが
それ以降に建てられた旧道沿いの建物は昭和そのものです
所々に見られる秋葉街道や塩の道といった表示板が歴史を物語る
なかなか良い雰囲気の町です
背伸びせず身の丈にあった人々の暮らしぶりが伺えるような
そんな町のイメージを受けました
水窪の宿に着いたら辺りはすっかり暗くなっていました
途中旧道をショートカットしたのが心残りでしたが
時間や疲労度やワタシのバッグサポーターの状態から結果オーライということです
皆で走るときは最後に無理をしないことが一番です
予約してあった「和泉屋」と言う宿は昭和レトロそのものの雰囲気のある宿でした
年配のご夫婦のもてなしも親切で心のこもった料理も堪能して
気持ちよい夜を過ごすことができました。
泊り客も我々だけだったので気兼ねなくミーティングに花を咲かせたのは
言うまでもありません
途中旧道をショートカットしたのが心残りでしたが
時間や疲労度やワタシのバッグサポーターの状態から結果オーライということです
皆で走るときは最後に無理をしないことが一番です
予約してあった「和泉屋」と言う宿は昭和レトロそのものの雰囲気のある宿でした
年配のご夫婦のもてなしも親切で心のこもった料理も堪能して
気持ちよい夜を過ごすことができました。
泊り客も我々だけだったので気兼ねなくミーティングに花を咲かせたのは
言うまでもありません
本来の秋葉街道は青崩峠の方ですが
ここは未開通で遊歩道のようになっていて
自転車の担ぎが必要と言うことでヒョー越峠回りで水窪に向かいます
今日三つ目の峠でかなり疲れてきました
あのカーブを曲がったら峠の頂上が現れるんじゃないかとの期待を何度裏切られたことか
それゆえ着いた時の喜びはひとしおです
南信濃村から2時間半くらいでした
この峠は毎年遠州Vs.信州綱引き合戦で国境を決めるイベントをやっていることで有名です
勿論行政区分ではありませんが境は遠州側に食い込んでいました
こんな国境問題なら楽しいですねぇ
ここは未開通で遊歩道のようになっていて
自転車の担ぎが必要と言うことでヒョー越峠回りで水窪に向かいます
今日三つ目の峠でかなり疲れてきました
あのカーブを曲がったら峠の頂上が現れるんじゃないかとの期待を何度裏切られたことか
それゆえ着いた時の喜びはひとしおです
南信濃村から2時間半くらいでした
この峠は毎年遠州Vs.信州綱引き合戦で国境を決めるイベントをやっていることで有名です
勿論行政区分ではありませんが境は遠州側に食い込んでいました
こんな国境問題なら楽しいですねぇ
遠山郷と言われる南信濃村は今では飯田市に編入されていますが
伊那山地と赤石山脈に挟まれた深い谷底に佇む趣きある郷です
かつては秋葉街道を辿る旅人の宿場でもあったようで所々にその面影が偲ばれます
丁度バスターミナル(というよりバス発着所)があったので休憩です
木造車庫とバスのカラーリングがなんともいい感じです
ツマミK田さんはここでお別れして平岡駅から輪行で帰宅です
何しろ飯田線はのんびりなので帰宅は我々が寝てからになることでしょう
伊那山地と赤石山脈に挟まれた深い谷底に佇む趣きある郷です
かつては秋葉街道を辿る旅人の宿場でもあったようで所々にその面影が偲ばれます
丁度バスターミナル(というよりバス発着所)があったので休憩です
木造車庫とバスのカラーリングがなんともいい感じです
ツマミK田さんはここでお別れして平岡駅から輪行で帰宅です
何しろ飯田線はのんびりなので帰宅は我々が寝てからになることでしょう
下栗の集落のつづら折の坂道を抜け
奈落の底へ落ちるような急坂をユンカース・スツーカ急降下爆撃機の如く一気に南信濃村へ下ります
狭く急な道に時々対向車も来るので気が抜けません
おまけに危惧していたバッグサポーターがやはり一部破断してしまったので
応急処置したとは言えグレーチングの段差にヒヤヒヤしながら
余裕で下っている皆さんの後を追います
どうにか無事に南信濃村に着いた時にはホッと一息です
奈落の底へ落ちるような急坂をユンカース・スツーカ急降下爆撃機の如く一気に南信濃村へ下ります
狭く急な道に時々対向車も来るので気が抜けません
おまけに危惧していたバッグサポーターがやはり一部破断してしまったので
応急処置したとは言えグレーチングの段差にヒヤヒヤしながら
余裕で下っている皆さんの後を追います
どうにか無事に南信濃村に着いた時にはホッと一息です
南信濃の代表的風景がこれです
日本のチロルともマチュピチュとも形容されるこの下栗の存在を意識したのは20数年前に見た写真集で
それから是非訪れてみたいと思っていた所なので大感激です
ご多聞にもれずここも観光客が結構多くて
この見晴らし場所へ行くまでの1キロほどの山道は結構な賑わいでした
日本のチロルともマチュピチュとも形容されるこの下栗の存在を意識したのは20数年前に見た写真集で
それから是非訪れてみたいと思っていた所なので大感激です
ご多聞にもれずここも観光客が結構多くて
この見晴らし場所へ行くまでの1キロほどの山道は結構な賑わいでした
下り途中の御池山には隕石落下の痕跡があるとのこと
マンモスが君臨していたギャートルズ時代に直径45メートルの隕石が落下して
そのクレーター状の地形が見られるとのことだけれどよくわかりませんでした
帰宅後グーグルの航空写真で見ても良くわかりません
へぇ なるほどと言った程度で先へ進みます
マンモスが君臨していたギャートルズ時代に直径45メートルの隕石が落下して
そのクレーター状の地形が見られるとのことだけれどよくわかりませんでした
帰宅後グーグルの航空写真で見ても良くわかりません
へぇ なるほどと言った程度で先へ進みます