良く同じバス停から乗る、多分知的障害者の方がいます。いつもリュックを背負っていますが、今日は雨なのでリュックにビニールカバーを掛けていらっしゃいました。リュックは濡れませんが、ビニールはビショビショ。運転手さんが、次のバス停で止まった際、運転席を離れ、その方のところまで行って、リュックを前に抱えて、シートを濡れないようにして欲しいと説明していました。ただ、乗客の方はそれを理解出来ず、決着が付かずに運転が再開されました。乗客の方は途中でいつも降りるので、運転手さんがその後座席を拭くのかな?と思って見ていましたが、結局何もしなかったので、あのパフォーマンスは何だったんだろう?って、ちょっと思いました。
爺になってくると、昔は何の問題もなく、何の意識もせず出来たことが、
上手く出来なくなります。
例えば、目を瞑ってペットボトルで飲もうとした時、
ペットボトルの口が自分の口にピッタリ当たらないので、
飲むためにペットボトルを傾けると、胸元に溢れてしまったり。
テーブルに食器を置いて、手を戻す時に、
食器を避けたつもりでも手が当たってひっくり返したり。
こう言う事象を「目測を誤る」と呼びます。
皆様直ぐお分かりかと思いますが、
大体こんなものだろうと感覚で考えていたものが間違っていた、
という意味です。
例えば幅跳びで4m跳べる人が、
1mちょっとの幅の小川を跳び越えようとした時、
このくらいの勢いで跳べば越えるだろうと、
頭の中で見積もった勢いが足りず、越えられない等々、
出来ると思ったのに出来なかった時に使う言葉ですね。
実は今日、バスの中で、右手に持っていたICカードを、
左手に持ち変えようとして空振りするという失態を演じました。
からだの前でカバンを抱えていたという障害はありましたが、
若い時には絶対やらなかった?起きなかった?気がします。
一事が万事、老化を日々突き付けられております。
このブログの誤字脱字の多さもこれに起因する弊害で、
正しくキーを打ったつもりでもずれてタッチしているんですよね。
これが私のブログに不備が多い原因です。
期せずして、一番言いたかったことに繋がりました。
昔のブログを読んで誤字脱字を見付けた時、
昔は直ぐに訂正しましたが、
最近は面倒というか、まあ良いか?てな感じで、
直すのも億劫に感じる私。
これも老化の一端です。
困ったものです。
さて、今年の目標である年間読書150冊。
23冊目です(今年49日目)
「ペガサスの解は虚栄か?」 森博嗣
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