
この表紙の『ルアーマガジン』,さすがにリック・クランとの対談記事は立ち読みで2回熟読しました(他の記事はパス)。
リック・クランは,1990年にTEAM-DAIWAの一人として招聘された。当時爆釣だった琵琶湖と霞で実釣し,そのロケも「ザ・フィッシング」で放映された。
僕にとってのアメリカン・バスプロは,ラリー・ニクソンだったりリック・クラン。ジョージ・コクランにデニー・ブラウアー,そしてギド・ヒブドン。
要するに,当時のTEAM-DAIWAのバスプロだけはカタログを見て知っていたし,なんか知らんが猛烈に憧れたもの。
来日後,『Basser』でも下野正希との対談記事があり,「バスフィッシングで一番重要なのは,”何かを学んだ”という体験なんだ」というリックの言葉に,20代前半だった僕も,友人の多くも頷いた。
覚えているのが,TEAM-DAIWAのイメージカラーが「黒」だったのに,リックが「白」の帽子で釣っていたこと。そして,TV放映後に白の帽子があっというまに店頭から消えたことだ。
あの頃,帽子の選択肢も多くなく,僕はたぶん「麦わら帽子」だった。その後,どこかのバスメーカーの帽子になって(写真があるがあまりにも古くてよくわからない),いまは一体何種類持っているのだろう。ああ,帽子集めが趣味なんじゃなくて「洗濯対応」のためなんですが。
ギドが亡くなったとき「ああ,ギドバグともお別れか」と感慨にふけった。だが,ラリーもリックも70歳を超えてまだまだ一流だ
KVDことケビン・バンダムが出てきたとき「とんでもないバスプロが出てきたもの」と思ったが,いまやライブスコープの戦い。
ライブスコープ自体を否定しないが,「バスフィッシング」なのかとも思う。延々と続くシャローフラットをクランキングするという姿に憧れたし,それが通じた初期の水郷に感謝しなければなるまい。
まあ,メトロリバーで「回遊を待つ」のも重要な戦略で,これが出来なかった初年度に出家率が高かったのも事実。
とてもよい記事だったが,雑誌は購入しないということは変わらない。タイアップ記事なんて読みたくないですね...。