月がきれいに,僕のド近眼でさえも見えるとき撮影してみた。
なんだよこれ...。ガックリです。エエエエエ,です。
肉眼では,近眼でも月のウサギまで見えるのに,スマホで撮影するとこうなるのか。
細かい設定などもあるのでちょっと研究してみようかな。
望月は,本当に美しいからね。
月がきれいに,僕のド近眼でさえも見えるとき撮影してみた。
なんだよこれ...。ガックリです。エエエエエ,です。
肉眼では,近眼でも月のウサギまで見えるのに,スマホで撮影するとこうなるのか。
細かい設定などもあるのでちょっと研究してみようかな。
望月は,本当に美しいからね。
Tong Poo YMO / Dance Perfume
YMO関係の動画を見ていると,こんな奇跡が!!
すごい。違和感なし。1980年が2014年(らしい)の踊りとマッチしている。
「テクノ」と言われ,いまもYMOの後にYMOなし,先にもなしという実感だが,いやあ,しびれたわ!!
実家のLPを捜索したら,やはり「ソリッド・ステイト・サバイバー」のLPがあった。1979年発表で2500円。俺の小遣い月に500円だった時代だ。
LPの再生は部分的できたが,やはり扱いが雑でまったく聴くには辛い。
そういえば,CDもいろいろなバージョンが出ているなあ。CDは「50年もつ」といわれて実際一番古いCDは1989年久保田利伸「BADDEST」だから,なんと34年も持っている。そもそも再生機器がいまだに普通にある。
やっぱり,長期保存にはCDが一番妥当かも。かさばらないしね。
毎朝の散歩では,旧車をなんとか探せないかと熱心に歩いている。
しかし,2000年代からの度重なる排出ガス規制強化,旧車への締付けである自動車税増税などで,もはや15年前のカローラでさえ見かけない。
軽自動車はともかくとして,やはり維持費の高い東京ならではなのだろうかと諦めていた。
そのときだった。いままで歩いていない道を歩いていた。
あった 僕が歴代スカイラインでもっとも好きなR31スカイラインだ。
パサージュGTとエンブレムがあって,潰れている残念なドア側面には「セラミック ツインターボ HICAS」などとエンブレムも残っている。
だが,状態はかなりわるく,新車時からのナンバーであることで高齢者所持であろうことを推察できるも,このままでは朽ちてしまいそうだ。
パッと見た限り,ドア側面はぶつけたまま補修なし,さらにAT仕様。しかし,ATだからこそ生き延びてきたわけか
1989年にR32スカイラインに変わったから,最終年式でも34年を経過している。30歳だった方が購入していたら64歳だ。
それにしても,5ナンバーなのに周囲の3ナンバー・カローラ等より立派に見えるのは僕の贔屓目だからだろうか。
それにしてもR31である。姉がまだ学生の頃「免許とったら二人でスカイライン買おう」なんて話していたが,それはハコスカでもなくケンメリでもなく,実はこのR31だった。本当に,15年前まではまだ周囲にもう1台生き延びていたっけ。
それにしても,どういう前面になっているのかなど細かいところを観察できず残念。典型的な青空駐車だから塗装もかなりヤレテいた。
それでも,これからは毎日のようにこの場所を通るルートを選ぶだろう。
なおZ32も見つけたが,あまり好きではないので省略する(笑)。
yellow magic orchestra 1979 LIVE at GREEK THEATRE
高橋幸宏さんがお亡くなりになり,ショックです。いまさらですが。
小・中学生のときに「YMOブーム」があり,僕はなぜか父が持っていた「ソリッド・ステイト・サバイバー」のLPを毎日のように聞く...とLPが壊れるので,ダビングして聞いていました。
中学生になると,よしオズマの家にステレオがあるならみんなでダビングしよう,なんてLPを持ち寄ってダビングした記憶もあります。
当時は曲名も歌詞もまったくわからず,適当に歌っていましたが,「ライディーンはこっちのバージョンが好き」「コズミックサーフィン,イイネ」なんて会話は日常的でした。
たしか,1995年頃にYMOのLPをCD化したものが再発売されて,社会人になっていたので全部購入した記憶と記録が鮮明です。大雪の降る日にレコード店に行ったらお客は自分だけで,なんかプレゼントをもらったような記憶もあります。
いまやこうしてYMOを聴くことも可能ですが,まあ自分はCD全部持っていますので,そこは安心。
それにしても,メンバーが全員20代前半。高橋幸宏のドラムは当時からすごい人気でしたが,うなずける映像ですね。
この本を本屋で見つけて,パッと目次を見ると「生物多様性」について語られているので買ってみた。
僕と同じだった。いや,バス釣りする人のほとんどと同じ意見だった。
要は「無理やり人間の都合で改変したら逆の影響もある」例を,あの「池の水全部抜く」で有名になった井の頭公園を例に「事実」を書いている。おそらく筆者は普段から相当井の頭公園を見ていた様子も伺える。
公園の池はそもそも「公園の」池。そこに「在来」「外来」は定義できず,わかりやすく言えば「持ち主の主観」で決めてよいのが公園の池なりの生態系だろう。
キンギョがいっぱいの池。コイがいっぱいの池。ザリガニだらけの池。いろいろな池があってよいのだ。
だがしかし,こうした簡単な「理屈」が理解されないのが日本である。
古くは第二次大戦である。合理的判断によれば絶対に勝ち目のない戦争をやった。バブル経済崩壊対策もそう。異次元金融緩和もそう。
一見合理的のように見えて「実は異なる」ことを,本書は「大学生向け講義」をわかりやすく記した,とある。
だが,僕自身も,太陽光発電のインチキ加減(とくにメガソーラー)などについては理解できるものの,他になるとあまりにも基礎学力がない。そう,基礎学力がないので理解が難しいのだ。
そうならないように,一生懸命高校化学での「構造式」などを用いているが,そもそも一般の人に「構造式」で説明したところで拒絶される。
本書の題名は『知っておきたい 現代科学のいま』とか『騙されない! 科学の基礎』などとした方がよかったのではとさえ思う。
そう,書籍はタイトルが命。タイトルからして読まれない。
あとは価格である。税込み2000円チョイでは普及しない。やはり新書判で,内容は圧縮して1000円程度にしないと
書きたいことを書けば売れるわけではないし,正しいことを説明しても売れない。正しいことを説明して売れるのなら,数学の参考書>>歴史の参考書となるはずだが,そうではない。いくらでも反証事例がある。
もう一つ提案。わかりやすく書く・見やすく書くのであれば,文字の大きさ・書体が非常に重要だ。
さらに,本当に自分の訴えたいことはゴシックにしないとね
よい本なのに,おそらく編集部がそれほど気合を入れていないと思われる。
自分が担当編集なら,もっと刺激的な書名にするのにねえ。まあ,朝日新聞関連から出ただけ奇跡かな。
1/18-1/23まで4泊5日の宿泊療養。もう二度と行きたくない。
高齢の父母同居のため宿泊療養としましたが,その疲労感といったら未経験。結論的には二度と宿泊療養もしたくないし,罹患もしたくないです。
まず,歌舞伎町までは送迎タクシーで自宅から片道30分。事前に「ホテルの部屋から食事のとき以外一歩も出られない」と伝えられていましたが,とにかく運動不足と深夜に汗だくになってうなされて,とても「軽症者」という感覚ではなかったです。
着いた瞬間は安堵感があったのに。
初日しか撮影する気合がなかった。
辛いのが食事です。自身,野菜や果物が大好きなのに,「ナマモノ持ち込み不可」「買い出しも当然不可」なのです。
普段,ご飯こんなに食べないよってぐらいに朝からご飯が多い。
バランスがよさそうで偏りマクリ。口内炎ができてしまった。
唯一のビタミン源は昼食時の野菜ジュースのみ。
味噌汁が具なしなので味気ない。味覚障害ではないかと思うほどに。
1/21の夜にはついに駅弁になってしまった。野菜が足りない。
毎日,5:30には起床して,21時頃に就寝していました。スケジュールは非常に単調で次のようになります。
シーツ類を全部はぎとって捨てる。バスマットも捨てるとのこと。
1/23の9:30に出所しますが,歌舞伎町でも端っこなので,場所が微妙で駅が遠いです。仕方なくタクシーでも呼ぼうかと歩いていたら,5分ほどでタクシーがつかまり,3500円で帰宅できました。
くれぐれもみなさんご養生ください。
GYAOで無料公開されていると知って,見てみた『釣りキチ三平』のアニメ版。
本当に好きな話題の「有明海のムツゴロウ」が安っぽく見えるのは少年時代に見た通りであり,40年以上の月日が流れても自分の中では「原作>>アニメ」の図式が出来上がっていたことを噛み締めた。
アニメ版が悲しいのは作画力の圧倒的乏しさ。原作を読んでいる友人の多くが「魚紳さんの声はカッコイイのに,なんか変な絵」とか,まあほぼ友人のほぼ全員が否定的だった。魚・風景がまったく「ダメ」なのだ。
当時でいえば,出崎統演出だったらスゴイ豪華な演出がされたであろうが,『あしたのジョー2』が併行放映されていた時期であり,あり得ないことだ。
矢口先生があまりにも素晴らしい描写をしたため,アニメが真似できなかったということか...。
でも,白土三平の『カムイ外伝』『サスケ』は,原作とアニメを見てもそれほど違和感を感じない。白土三平作品のアニメ化は,昭和40数年のことだからアニメ版『釣りキチ三平』より古いのに
「有明海のムツゴロウ」を推しているのは,そこに矢口先生が「趣味としての釣り,プロの漁師としての釣り」を描いていたからに他ならない。
あらためて原作を読み返してもけして色褪せない「テーマ」がある。「テーマ」後付の作品が多い中,矢口先生の作品にそれはない。あるべきは「テーマ」であり「訴求したいこと」なのだ。
そんなわけで,無料動画だから全部見ようかと思ったら一気に拍子抜けした2022年末だった。「シャークキャスティング」も原作のかっこよさが失われているようにしか感じなかった。
『釣りキチ三平』は原作に限るべし,と改めて感じたのである。
みなさん,くれぐれもご養生ください。
【1/17PM13時に追記】ようやく平熱に戻ってきましたが,いつもの風邪とまったく同じで「喉・痰」が辛いです。急性副鼻腔炎を起こしそうで,コロナより怖いです。耳管狭窄にもなりやすいんですよね。都から2回連絡があり,1/18「以降に」宿泊先が決まるかどうか,ということで,もしかすると「ただの風邪」と同じなので,自宅療養で頑張れ,って言われるかもです。
【1/18AM9時追記】1/17に東京都から連絡あり,「宿泊先療養場所」決定とのこと。1/18の8時にTELがあり,1/18の朝10時に迎えのクルマが来るそうです。1/18-1/23は完全にそこの宿泊先に幽閉されますが,とにかく家族への感染防御第一ということで行ってきます。風邪というより,急性副鼻腔炎の症状です。抗生物質じゃないと効かないんだよな...。どうすっぺ。
家族クルマとして購入したスズキ・エブリィ。十二分に役立っているようだ。87歳(2023年で88歳)の父が乗っているが,安全装置てんこ盛りなのでよほどのことがない限り衝突なども生じないだろう。
ふと気になったのでマイナーチェンジを確認すると,ラララ,最上級グレード「JOIN」からターボがなくなっているではないか
見間違えだと思っていたら,本当に消えている。
これでは,高級軽バン・ターボ付きは「ハイゼットカーゴ」一色の予感がする。
街中で圧倒的存在感というか,完全に庶民のクルマとして定着しているエブリィだが,メーカー曰く「ターボは売れていなかった」とのこと。
僕は,2016年に高齢の父に気合注入するために購入し(自分のクルマを止めて1台にするためもあった),2019年に安全装備が追加されたので買い替えた。
たしかに,64psターボ・軽くない車重のせいで実燃費は11km/Lぐらいしかない。それでも,極稀に奥多摩や富士山ドライブに行くとき,やはりターボがあってよかったと何度も実感した。少なくとも「登れない坂道」などない。
軽バンの完成度は非常に高い。電動パワステ・VVT(一昔前ならVTECのようなもの)・パワーウインド・各種安全装置などなど,けして一般車に劣るような装備でない。
だからこそ支持されているのだろうし,中古車での価格など,JOINターボで3万キロ程度なら100万オーバーである。ウム,新車で170万円近くかかったグレードだから納得は行く。
でもなあ,たぶん「地球にやさしい」派が五月蠅かったんじゃないか ターボだと燃費で不利だとかなんとか。
軽自動車にもEVの流れが来ているらしい。そのときに,いまの月極駐車場に電源は用意されるのだろうか
それにしても,なんか「もったいないチェンジ」のようでしかないと感じた...。
gooニュース
https://news.goo.ne.jp/article/clicccar/trend/clicccar-20230114-1251642
さすがはトヨタ。
もうこれでグレタらのような「環境活動キ○ガイ」に文句を言われない(だろう)。
EVだって6速MT,水素エンジンだって走り追求できるということなのね。
しかし一つだけ誤った報道を見た。それは朝日新聞が「スポーツカー」と紹介していたこと。
AE86はカローラベースの「スポーティーカー」じゃないかな。
まあいいや
旧車や,いまある自動車にこんな形で「換装」できて,それが「本体延命」への道筋なら,それはそれで歓迎だ。
ただ,電気自動車にしろ水素自動車にしろ,燃料補給のインフラ整備が最大の課題だ。今後,政府主導で強力に推進するのかね
近所で毎日充電されているプリウスを見ていると,「その電気は,化石燃料からも発電しているんですよ」と指摘したくなるが...。
気になる動画はこちらからどうぞ マジでほしいんだけど
AE86 H2/BEV Concept -Project Story-
結局また,『ゴルゴ13』にじわじわとはまり続けている。
10月の退院直後に買った『ガン・スミス』も秀作であるが,すばらしい「分業制」が成せる技こそ,「さいとうたかをの遺伝子」であり,まさに「Gの遺伝子」なのだろうと思う。
その『Gの遺伝子』は,2022年の草津旅行で入手した。バスターミナルでバスを待つ時間に,チューハイ片手に読んでみた。
完全にやられた。脳天直撃である
科学的にわかっている「遺伝」の話を,日本人だけはかたくなに信じない。「努力万能主義」というのだろうか,「努力でなんとでもなる」という甘い幻想がいまも蔓延っている。
しかし,気がついてみれば「優れた人」はだいたい家系に何かしらの「血統」があるもの。芸能人の歴史みたいな番組があるが,だいたいそういうことなのだ。
自分の周囲に,医者・帝国大学出身の人など居ない。そういうことなのだ。
「蛙の子は蛙」というのも,たしか放送禁止用語になっている。要は「努力を否定する」かららしい。
馬鹿げているのは,放送禁止用語を決める連中の思考回路である。自分たちがまさに「蛙の子は蛙」だと言わしめているのだ。
僕もけして努力そのものを否定しない。しかし,実社会に出る前からも感じていた「努力しなくても速い足の子は速い」という事実に,運動会で漫然と感じていたものである。自分と同じように過ごしていた友人が運動会だけは速いとか,そういうことである。
幸い,自分にも異なる才能もあって,これが「釣り」だとも感じている。とくに「小物釣り」を中心としたものの「タイミング」などは,幼少期からのものもあるだろうが,父方の「血統」なのだろう。はるか昔に亡くなっている祖父が相当の釣りキチだったことも事実である。
ウクライナ「終わらない紛争」の背景など,秀作ばかりの『ゴルゴ13』。繰り返しになるが,脚本を分業したことこそ「Gの遺伝子」なのだと思う。
用件を聞こうか...。
ふと神保町で見つけたお店。「豚大学とんかつ学部」だそうだ
まだ食べていないので,ここからの話は味のレビューではない。
名称「大学」について,ふと思い出したのだ。
子供の頃,インベーダーが流行した。大変な勢いで「インベーダー禁止令」がたぶん発令されていたはず
その頃,「インベーダーハウス」ならぬ「インベーダー大学」というものを見た記憶が鮮明だ。
子供だから余計に「...大学って...何なん」と不思議に思ったものだ。
そして社会人になったころ,「パチンコ大学」もあった。そこに先輩が昼休みごとに通っていて,牧歌的な時代だったのか,玉が出すぎて午後は休暇(30年ぐらい前なのでどうやって会社にTELしたのか不明),なんていう話を聞いたことがある。
しばらくは「〇〇大学」に出会っていなかったのだが,さすがは学生街の神保町,「豚大学」ができていた。
見たところ,かなりリーズナブルなので近々入ってみよう。
あなたの周りにはどんな「〇〇大学」がありましたか
gooブログも改善がどんどんされてきて,いまやほとんど「流行のSNS」風になっている。
字数制限もないに等しいし,まあほとんど改善されたのではないかと思っていた。
しかしである。ときに,自分で資料を作って発表したいときが困る。そう,PDFの表示だ。
政府資料もほとんどがPDFで公開されている。したがって,ハイパーリンクをたどるだけで資料を得られる時代。
にも関わらず(自分が知らないだけかもしれないが),このままではPDFの掲載ができない。あくまで画像か,他のサイトへの誘導になっている。PDFを画像化すると,テキストデータが画像になって見にくくなることもあるんだよー....。
仕事上,PDF規格については「これでもか」というほどに進化を感じている。初期の頃のコンセプト「ポータブル・ドキュメント・フォーマット」の意図がどんどん拡大している一方,「不便な場合」も感じている。
最近だと,PDFにたしかに文字が埋め込まれている(埋め込みサブセット)のに,普通にコピペするとテキストデータがすべて「□」に化けることに困ったものだ。
解決法は,元データがwordでさえあれば,「RTF形式」すなわち「リッチテキストフォーマット」にて保存すればすべてテキストが生きていた(これは試行錯誤して行っただけの結果論ですが)。
これすなわち,「PDFが万能」だと思っている,もしくはそう思わせるアナウンスの影響もある。なにしろ,フォントが埋め込みサブセットされていれば印刷も画面表示も問題ないのだから,作った人は気づくことがない。
おっと,自分の困りごと解決事例はともかくとして,PDFを保存できるようになればずいぶん資料提示がし易い。
事務局のブログにも改善要望してみよう。
gooニュース
https://news.goo.ne.jp/article/nikkangendai/entertainment/nikkangendai-905599
岸田文雄の支持率低下は,いうまでもなく「具体性の欠如」だろう。
少子化対策,円安対策,就任時に言っていた「新たな資本主義」など,どれもこれも抽象的。
日本人には,たしかに情緒に訴求したほうがよい面もあるが,政治は実行力。
そのために,多くの国民が自由民主党を選択したのではないか
なのに,就任以来できたのは何なのだろう。
わるくなったことばかりではないか もちろん,コロナの影響は多大で無視できないが,コロナとてもう4年目だ。
観光地に行くと「解き放たれた野獣」のように人々が居ることがわかる。「マンボウ」「緊急事態宣言」でとんでもない抑圧をしたが,感染抑止効果は限定的だった。
ワクチン接種が進んでいるのに死亡者数が増加しているが,当初から指摘されているように「直接の死因かどうか」はわからない。
たとえば自分がコロナで死んだとしても,調べてみたら実はいろいろな体調不良があって,それを一律に無関係と言い切れるのだろうか 少なくとも,自分は鍼灸治療を多く受けてきて,効果を実感して救われてきた身として「木を見て森を見ず」ではダメであるということがわかっている。
経済政策にしてもそう。防衛費もそう。
増税がダメなんて単純な話でなく「財源をどうするのか」が問題。それを「具体的に」説明することが,「政治を経営」する総理の義務ではないのか。
自分の会社でも「みんなで頑張っていこう」と意味不明の挨拶をしてしまうこと(聞くことも)があるが,厳に慎まなければならない。「みんなで・何を・どのように・どこまで・いつまで・どうやって」やるのか明示しないといけないということだ。もっとも,情緒的に訴求すること自体無意味でないが,それだけではダメということなのだ。
「みんなで頑張ろう」を口に出すようになったら,経営者としては失格だな,とたしか三田紀房のマンガで学んだ記憶があるよ...。