その結果,常人ならば練習時間が減り成績を落とすところだが,彼は当時のバスプロNo.1である「バスオブザイヤー」を獲得し,翌1990年にも獲得,2年連続バスオブザイヤーという金字塔を立てた。
なぜ,いまその話を書くのかといえば,この冬季オリンピックで,結局金メダルを1個も獲得できなかったことに対する忸怩たる思いがあるからである。
たしかに選手は頑張った。不況のなか練習するのは厳しかったろう。しかし,スポーツの種類こそ違えど,1番に拘った男が居て,それを成し遂げた男が居た,そんな「努力の権化」ともいえるのが今江プロであるからで,オズマとしては,その今江プロの不屈の根性こそ,いまの時代に必要だと思うからだ。
『Basser』No.16・1990年4月1日発行のものより。
「2番ではダメだ!」,ここに意味があるのでは。
ここに今江プロの言葉が熱く書かれている。2番では『「よくやった。もしフルタイムならねえ」と言われてしまい,何のために意地を張り続けてきたのかわからなくなってしまう』,というのだ。
今江プロはリアル『巨人の星』世代である。オズマとも年齢は近いので,当時学生だったオズマは,バブルに浮かれていた当時の日本で,この「根性丸出し」の今江プロに本気度を感じた。そしてそれがプロなのだと理解した。
「可能性はある!」という実績を残すことになるのである。
この「可能性を残す」という彼の行動は20年経過した今
でも変わらない。
今回のオリンピックでは,石原都知事が「銅メダルやら銀メダルで狂喜乱舞するなんてどうかしているのでは」と厳しい言葉を吐いたが,それもまた,石原氏が史上最年少で芥川賞を受賞した事実や,『「NO」と言える日本』を書いたときの気持ちからして,まったくブレていない。
1番でないと意味がない,石原氏もまたそう考える男であり,その考えの底にあるのは当時の今江プロと同様だろう。
まあそれでも,オズマ個人としては,女子スピードスケート「パシュート」などは健闘したと思う。しかし,やはり「よくやったね,不況の中で...」という枕詞が永遠につきまとうものになってしまうのだ。
そう,今回のオリンピックの枕詞は「よくやったね,不況の中で...」になってしまう。
選手個人の問題ももちろんあるだろうが,「国家戦略」としてキムヨナ改造(買収)に臨むような韓国が居たりする世界のスポーツで闘うには,やはり上記の今江プロのように,精神だけでも強くもってほしい,そう思うのである。
不況は,今年に限って言えば全世界レベルであったはず。「不況だから」は理由にならないのだ