「おしん」再放送を,部分的にではあるが観ている。前半はトイレタイムなので難しいのだ。
本放送時,僕は中学生だった。8時15分からのOPは「これ以上聞いていると学校に遅れる」合図であり,いつも遅刻ギリギリの友人を待ちきれずにダッシュするためのテーマでもあった。
本放送時に,「おしん」のテーマや義理人情の大切さなどわかるわずはなかった。ただ,小林千登勢という,母より実年齢2歳上の女優さんに憧れていたのは事実である。実際,再放送を観てみると「あ,小林千登勢さんだ」とすぐにわかったほどに。
「おしん」には,当初田中裕子のイメージが強くあった。田中裕子もこれまた自分の好みの女優なので,「マー姉ちゃん」のときから気にかけていた「おませさん」なボク,なのであろうか 否,田中裕子・小林千登勢,いやさ幼い小林綾子も,いま見ると「とんでもなくスゴイ」のだ。
その凄さを知るのは,いまさらながらの庄内弁。山形・酒田の方言が使われているので,2割ぐらい聞き取れない「方言」がある。父は庄内地方出身なので度々解説をしてもらわないと,「いま,女中さんはおしんになんていったのけ」と聞き直さなければならない有様である。
「おしん」は,方言指導が本格的に入ったドラマとしても有名であると,この記事を書くにあたって下調べして知ったのも事実。どうりでさっぱり聞き慣れない方言が出てくるわけである。19歳のときに山形・鶴岡の自動車学校で合宿免許を行ったが,指導教官が何を言っているのかさっぱり聞き取れず苦労したのと同じである。
1983年はいまから36年前のこと。あのときのボクは36年後を想像だにしなかった。10代とはいえ,あきらかに不勉強だった。「おしん」を観ると,「勤勉さの重要性」がことかしこに語られていることにうなずく自分がいる。
1985年のプラザ合意以降急速な円高になり,昭和の終わりはバブル突入期でもあった。1985年,自身は高校生となっており一応の知識を得てはいたがやはり不勉強だったことが痛感される。
「おしん」には「人間生きていれば運,不運に左右されることもある」「頑張った過程が重要で,結果はあとからついてくる」という,人生においてもっとも重要なテーマが脈々と描かれている,と気づいたのは,なんと2019年のこの記事である。
学ぶに遅いということはない。知らないことを知る。知ったふりではなく体験からくるものでしか語れないものがある。
そんな尊いテーマを描いた「おしん」。
2020年まで続く再放送をじっくり観ていこうと想う,平成最後の夜である。