オズマの部屋 -バス釣り・政治経済・クルマ等-

「バス釣り日記」が主題。色々な話題を中年オヤジが持論で展開。「真実は孤独なり」を痛感する日々。

【そして,帰ってきた…】あれからもう3年が経過したのか...。

2025年02月21日 20時13分08秒 | オズマの独り言

 逆光眩しい2月の昼間。神保町交差点。

 それは,自分にとって「そして,帰ってきた」のイメージ(次の動画,冒頭数分のイメージ)。

[2期/第1話]あしたのジョー2 (1980)│人間ドラマに重点を置いたボクシングアニメの傑作│"Tomorrow’s Joe 2"│TMSアニメ60周年

 『あしたのジョー2』第1話が鮮烈な記憶にある。いや,リアルタイムでなくDVD鑑賞だけれど。

 何度も見た。擦り切れないDVDだから安心だ。知らないうちにBluerayDiscがかなりやばいことになっていたが,これは想定範囲だ。

 ネット配信にとって変わってしまったのも一因だが,やはり「DVDで十二分」と感じたのは自分だけではなかったのだろう。

 DVDが普及したのは,とくに普及初期に多くのアニメレンタルなどができて,当時は自家用コピーもグレーながらも大丈夫だったこと。WindowsXPの普及とあいまって,自身かなりレンタルをしたものだ。

 しかし,Bluerayになってコピーなど「面倒すぎて」したくなくなったし,そもそもコンテンツ少なく,PCの再生もいまはできない

 閑話休題。

 とにかく前回の移転から3年を経過した。人員もメンバーも,仕事の範囲も大きく変わった

 キツイ日々だが,冷静には「変わらないかぎり淘汰される」のも事実。

 次に同じ写真を撮るのはいつだろうか


【またまた副鼻腔炎】11月末~12月末までかかり,また1/27から発症。

2025年02月03日 00時00分00秒 | オズマの独り言

 そういえば,1/27の朝は起床したら「喉が痛すぎる」だった。

 出勤して発熱でもしたら大変なので,繁忙期だが休暇を取得。

 当然,1/27AMに耳鼻咽喉科に行くと「副鼻腔炎ですね」との診断。またかよー

 ところが1/28になると更に症状が悪化し,鼻詰まりと喉の痛いこと痛いこと

 今度は馴染の内科に行って「熱はないけど念の為」検査してもらった。

 いまはインフルとコロナ双方の検査ができるということを会社で知っていたので,それをやったのが写真。

 インフルでもコロナでもありません。検査は正常に行われましたという意味だ。

 アレルギー性鼻炎も酷いから,その薬も追加して,「クラリスロマイシン・カルボシステイン」の副鼻腔炎対処黄金コンビに,トラネキサム酸ともう一つ(覚えられない)が加わった。

 咳がほとんどないので1/29から出社した。メールが62通もたまっていたが,直接関係があるのは3通程度...。一応上司扱いされているからccがやたらと多い。

 喉が痛いので会話がままならなかったが,1/29は19時までなんとか仕事をした。

 1/30もなんとか頑張った。

 でも,このままだと寝るのが辛いので加湿器を夜につけたら正解だった。朝が一番スッキリしているではないか

 しかし,1/31PMには「湿り気のある咳と痰」が出始めたので,会社から一番近い耳鼻科に行かせてもらった。

 カルボシステインは厚労省の薬価引き下げで「製薬メーカーにとってつくりたくない」ジェネリックになってしまったから供給不足となっており(近所の耳鼻科で力説された),処方量がかなり控えめだったので不安になったのだ。

 幸い,さらに薬は追加され(単純に予備が増えただけだが),なんとか2月になった。

 副鼻腔炎は,子供というか中学生ぐらいから長いつきあいだ。当時は「鼻風邪が」と勝手な解釈をしていたが,光化学スモッグが出てしまった街としては,やはり大気汚染もあるかもしれない。

 とにかく,要は「適切にうがいをして」へばりつく痰を取り除くのも重要らしい。いや,たまにとんでもない痰が出てきて「ヤバイのでは」と感じるが,実は何度も経験してきた事実だ。

 年齢を重ねるにつれて治りが遅くなると言われているが,自分の記憶では大学2年生の11/1にやはり副鼻腔炎になって11/6までは治らなかった記憶が明確にある。そう,11/1-11/5は学園祭なのに「なんでオズマは学校来ないんだ(#・∀・)」と先輩からTELが何度もあったからだ。いまだったら,パワハラ認定だろうか

 新年早々でもないが,いろいろな体調不良があったりしているが,どれも「他人に罹患させない」「ギリギリ診療に間に合う」というレベルで,運は相変わらず妙にあるようだ。

 関連して,「田舎暮らし」を勧める芸能人やらもいるが自分には不可能な話。いや,田舎で体調がよくなるなら別なのだが,医師不足の過疎地域(八郎潟町とか)なんて絶対に住みたくない

 つくづく,税金は高いがやっぱり便利な都会だとも思った次第である。


【値上げ止まらず】定食が800→850→980円に。1000円オーバーは時間の問題。

2025年01月29日 00時00分00秒 | オズマの独り言

 近所にある定食屋のメニューには金額が書いてある。

 OPENしたころは税込み800円だった。それならばと,数回行ってみた記憶がある。

 コロナ禍を経て物価高。

 物価高の根本理由は,戦争による耕作地不足の露呈とCOP29など”環境には無意味な”CO2抑制による「投機的な金のやりとりばかり」が生じていることだ。

 800→850→980円と値上げが続いている。

 戦争では「北極圏を制するものが勝者」であるから,アメリカはグリーンランドについて言及し始めた。

 そう,世界地図は「平面で見るのでなく地球儀で見る」のが重要だ。

 そんなことは80年以上前の第二次大戦でも明らかであった。

 日本が千島列島保有に動いた理由もそこにあった。

 閑話休題。

 ともかく物価高は止まらない。

 つくづく,世界のために戦争を止める。もしくは止めさせることはできないのかと思う


【釣りに呪われて】2025/1/22・22時「釣り針が指に」刺さってしまった...。

2025年01月25日 00時00分00秒 | オズマの独り言


これは病院で処置してもらった直後のもの。

 1/22,帰宅後に通販で購入したルアーが届いていた

 定価1700円が777円という劇的安さにつられて買ってみたが,ウム,釣れそうだ

 酒を飲んだのに,いじってみようとパッケージを開ける。

 トリプルフックが指に刺さった記憶もあるのでバーブレス化に勤しもう。

 たぶん,5箇所目のアタリで「手が滑って」,ふとみたら「針の先が人差し指の先にグサリ」。

 ペンチでひっぱったが抜けない

 いさぎよく119番

 ルアーごと指にぶらさがっているのでだんだん痛みが増すばかり

 待つこと10分で救急隊到着。手際よい処理で,幸い隣駅の病院に行けることになった。救急隊の皆さんに「ごめんさない」という言葉ばかりが出てしまう。

 到着後は看護師(若い女性)の方にあしらわれた。「アチャー,ヤッチャイましたかと。可愛い方だったので許す(笑)

 だが,医師の方々はデカイペンチを持ってきてフックごと切断しようとするので,「ラジオペンチでリングから外さないと難しいです」と伝えて,ラジオペンチ到着。

 指の部分麻酔が結構激痛。中国鍼の痛いのを2本打った感じである。

 そして,カエシをゆっくり抜き出して,切除箇所を見極める。

 都合3針の接合術だった。

 深夜ということもあり会計は9600円あまりだったが,冷静に安価でしかない。

 「ポツンと一軒家」とか「近くに何もない田舎」には住めないな,不器用な自分は。

 帰宅しようと最寄り駅まで行くと24時近い。電車はまだあるようだが,ほぼ終電だ。

 150円の切符を買って移動し,すぐに寝た。ロキソニンはさすがに服用した。もう,朝まで5時間チョイしかないけど眠れるだけマシだ。


1/23の来院で包帯がとれて絆創膏になった。

 前回の記録が記事になっていた。前回が2017年だから8年も経過したのか...。ついこの前のような気がするのだが

 それにしても手先の不器用さと,なにより老眼進行が怖いので,眼鏡は買い直した。

 ホント,バーブレスフックが市民権を失って長い。バーブをつぶすのも面倒なので,全部バーブレスに入れ替えたいが,フックの選択肢が少なすぎるよ


いまは亡きカリーナ1600GTの写真も出てきた。本当に楽しいクルマだった。


2024/12/30 超久々の家族忘年会-終始「しょっぱい」のですが-

2025年01月09日 00時00分00秒 | オズマの独り言


それは12/30のことだった。たぶん,記念行事を除いて5年ぶりかも。

 近所の居酒屋ビル(徒歩2分)がコロナ禍で解体され,ようやく店舗が戻ったのも1店だけ...。以前は5軒ぐらい入っていたのに,賃料もあるだろうし,そもそも居酒屋という形態が厳しいのだろうか...

 ただ,18:30に予約して正解だった。すでに周囲は猛烈に盛り上がっているし,ほぼ満席だ。

 そもそも父にいろいろ食事制限があるので,基本的には「宴会はほぼ」やらないできた。

 そうはいっても,88歳米寿・仕事仕舞いのときには宴を開いたのだが,こうした「家族会」は2019年以来だろう。


肝心の味は「なんでもしょっぱい」だ。味の素使いすぎでしょう。

 自分も母も終始「しょっぱいを口にして出汁などけして飲まなかったが,父の味覚は「ONかOFF」なのでわかってない

 塩分の摂り過ぎというか,化学調味料は本当に勘弁してほしい。

 八味地黄丸の効能は「腎虚」に及ぶものであり,その「腎虚」の意味がわかればわかるほど,食事には気を使わないと...


焼きうどんは比較的大丈夫に感じたが。

 価格は良心的な方だろう。でも,価格よりももう少し味を気にしてほしいような...。贅沢かな...。

 超ド近所なので特段無駄足でもなかったが,リピートはないなと母と話したばかりである。

 あ,ビールは安定の瓶ビールなので,味は保証済みだった。


【令和7年元旦】あけましておめでとうございます。

2025年01月01日 00時00分00秒 | オズマの独り言

 令和7年,あけましておめでとうございます。

 厳密な人なら,自分の叔父が昨年亡くなったので喪中と考える人もいるでしょうが,親族の場合はもはや喪中に含まないことにして早10年以上です。

 そんなわけで,まず今年はこのように腕がしっかり曲がるように,リハビリに努めます。

 このままだと日々も辛いし,釣りが辛い。

 残された治療の選択肢は,地獄の鍼治療です。たしかに激痛だし青あざもできますが効果は抜群。

 それではみなさんもくれぐれもご自愛ください。

 本年もよろしくお願い致します。


【LEDだから環境にやさしい?】見える景色は立場によって異なる。

2024年12月25日 00時00分00秒 | オズマの独り言

 毎年クリスマスになるとこのようなLED照明があふれるようになった。

 大昔は白熱球だったりして,その維持たるや大変だったろう。

 たしかにLEDは「寿命が驚異的に長い」から,その意味では絶対に「環境に優しい」。

 そして,白熱球や蛍光灯に比べて消費電力は少ない

 でも,基本的なことを忘れているのではないだろうか

 そう,そもそも「クリスマスのイルミネーションが必要なのか」という根源的な問いである。

 だが,こう言い出したら最後「クルマのライトは」「電車内の蛍光灯は」と拡がっていくが,絶対に必要なのかという問いである。

 正直,クリスマス商戦に関わっている職業でないからなのか,どうにも否定的に見てしまうひねくれた性格なのだ。

 素直に楽しめないというか...

 転職して,たとえば「クリスマス商戦」のある業界なら,きっと「絶対必要」に見えるだろう。

 見える景色は立場によって異なる,ということか


【イナゴの佃煮】子供の頃から好きだったのに,ついに自宅駅では買えない事態に!

2024年12月23日 00時00分00秒 | オズマの独り言

 高校生のときは弁当持参だったので,これを山盛りにしてもらって一級のおかずだったはず。

 でも,高校のときは「気色悪い」とかいう医者の息子にバカにされて,本気で怒って,喧嘩になったっけ。いまでも有名な俳優とまったく同姓同名で「人を食った」ような,いまでも思い出す自分は苦手なやつだった。まあ,いまは知らんけど。

 イナゴは,子供の頃から慣れている食材なのだ。まあ,両親とも田舎育ちなので「普通」だっただけだ。

 そのイナゴ,猛烈に食べたくなって近所の佃煮屋に行くと,イナゴはおろか自家製の佃煮すらロクにない??

 どうやら,後継者がいなくて仕入れて売っているだけのようだ。

 水郷釣行していたときは,たしか牛堀に近いところに水産加工場があって,そこでしばしば買っていた。

 タナゴ,クチボソ,フナなんかも美味しかったし,霞特産のワカサギなんてバカでかいからビックリしたものだ。

 こうなったら,取り寄せするしかないのかなあ...。

 新宿辺りの百貨店で売ってないかな...。なにしろ味見はしたいし,送料が高いしね。


【中山美穂 /「世界中の誰よりきっと」】水郷往復時代,ラジオからヘビーローテーション。

2024年12月11日 20時48分19秒 | オズマの独り言

中山美穂 /「世界中の誰よりきっと」MIHO NAKAYAMA CONCERT TOUR '93 On My Mind



 ちょっと遅れましたが,冥福をお祈り申し上げます。

 というか,かなり驚きましたね。たぶん,時期的に「ヒートショック」ではないかと思いますが。

 この歌が流行していたとき,まさに自身は水郷絶賛往復中。かろうじて「歌謡曲」がカテゴリーにあって,宇多田ヒカルに代表される「うますぎるシンガーソングライター」が流行するちょっと前だった。

 いまから約30年前は自身も20代。若いってことはパワーがあって,いまよりも仕事量が多かった記憶も記録もあるけど,それでも「CDレンタル」する根性があった。

 ダビングしたカセットが真夏の暑さで伸びてしまうことなど多発したもの。Windows98SEを買うまではCD-Rで音楽コピーなんて手段がなかったし,1990年代末はまだCD-Rも高かったのではないかと。

 それでも,ZARDやこの辺りの曲は,まずはラジオでヘビーローテーションされていた。ぼんやり記憶では「走れ歌謡曲」という深夜放送がちょうど水郷への出発時間と一致していたので聞いていた記憶もある。「歌うヘッドライト」もあったかね。

 それにしても,中山美穂ほど最後までイメージが変わらない人もいなかったのではないだろうか。

 役者としても歌手としても,中山美穂は正直あと余裕で20年くらい活躍出来たと思う。

 そして,真相が明らかにできるのなら死因をはっきりさせて,ヒートショックなりなんなりへの警告もしてほしい。

 いやあ,誠に残念です。


今日いち-2024年12月9日

2024年12月09日 12時08分04秒 | オズマの独り言
高くなっております😭

やっと秋色になりましたネ...。スマホでやっと撮影できた。

2024年12月02日 00時00分00秒 | オズマの独り言

 毎年紅葉が遅くなっている気がする,というより実際は「ヒートアイランド現象」の影響もあって,霜が降りることなんて毎年10回あるかないかという状況。

 ようやくこの写真は自宅から撮影できたもの。毎年挑戦しているが手ブレが酷くて見られたものではなかった。

 イチョウの紅葉はこうやって見ているだけならヤヤコシクないが,自宅はこのイチョウの近くなので「マジ,大変」なのだ。

 やっかいなのは,イチョウが腐らないこと。子供の頃,落葉焚きをしたものだが,イチョウを入れたら最後,火が消えてしまうのだった。

 そんな理由で,都内の街道沿いには「防火林」としての役割もあってイチョウが植えられている。

 でも,大雨が降ったあとのイチョウといえばスリップ事故。自分も自転車で転んだことがある。

 ケヤキもまだまだ残っている。

 ケヤキといえば,大学の住所は「けやき台1-1-1」だ。周囲は「入間郡毛呂山町」なのに大学だけ「坂戸市」。学生ながら「権力」がはたらいたことは容易に想像できたし,実際,建学においては駅の位置(大学の正門前まで誘致するかどうか)で地元ともめたそうである。

 自宅周囲にモミジは少ないが,たしか公園がそろそろライトアップするんじゃなかったかな

 紅葉シーズンに京都出張を「調整」できた頃は,本当に「やりたい放題」だった。結果は求められて苦しかったけど,裁量権は絶大だったなあ...


【深刻な人手不足】神保町界隈,お昼時のお店がかなりヤバイかも。

2024年10月22日 00時00分00秒 | オズマの独り言


白山通りを歩いていると悲しいお知らせが。洋食店。


こちらは回転寿司。しまった,まだ入ってない。

 人手不足が深刻化している。それを実感したのが,ある昼下がりの神保町だった。

 9月後半でも暑い日が続いており,ついに「日傘デビュー」した自分は日傘で神保町界隈を歩く。マジで男の日傘組,かなりいるよね

 この日は白山通りに出て,CanDoでも覗くかと歩いていたときだった。

 以前入って酷評した「神保町やきそば」はやはり行列などなくなっていた。いや,だってしょっぱすぎるだろ,あれ

 それにしても,横浜市営バスが人手不足で減便したりと,本当に「自分ごと」になっている。

 人手不足の本質は,生産年齢人口減に「人気業種・業界にばかり人が偏ること」だと思う。たとえば,僕からすればボロ儲けのIT産業。ITに詳しくない人にとっては「単価」「工数」の業界標準がわからないので,いくらでもカモになる。ゆえに儲かるではないか,ということだ。

 その逆で,IT化しようとしても限界のある「人的パワー」を要する僕のいるような業界。構造的不況もあるが,要はDX化など簡単ではないのだ。しようとしても,「ドラえもん」がいるのならともかく,所詮PCで何かをやるというレベルに終始してしまう。構造から変えることなどそうはできない。

 インフラ系の業種もそうである。流通業界の2024年問題は深刻で,事実お盆に9連休を宣言されて,納期予定などが大きく変わってさまざまな部署から苦情が来たが,僕は終始一貫「これが,2024年問題だ」として突っぱねた

 閑話休題。

 上記のお店のうち,回転寿司にはとにかく行ってみよう。神保町界隈では貴重だし。

 うどん・そば・中華・カレーライスまでは美味しいところが見つかっているが,御茶ノ水駅周辺では横浜家系ラーメンまで閉店してしまうから,本当に昼食難民になりそうだ。

 スーパーもないから,絶対に住みたくない街だな,わるいけど


【オンブバッタ】交尾しているからでなく「交尾を確保するため」という説明にガッテン!

2024年10月20日 11時19分45秒 | オズマの独り言

 最近,庭にオンブバッタがやたらいる。いや,いままで気づかなかっただけかもしれないだけだろう。

 そして,その名の通りこうして「オンブ」している。

 子どもの頃,図鑑で調べた記憶があるはずなのに身についていない

 そう思って調べ直した

 なるほど。「交尾している」でなく「交尾を確保する」か 人間でいえば「俺の将来の嫁さん,渡さん」みたいな感じだろうね。

 観察していると,けして始終草本類を食べているわけでなく,じっとしている姿も印象的。

 メトロリバーは間違いなくバッタの宝庫で,ショウリョウバッタ,トノサマバッタ,イナゴ,ほかはもう「わからない」がとにかくいる。台風の後の荒れ地なんて,コオロギとバッタにとっては最大の繁殖地だしね。

 そこで,キチキチバッタも気になって調べると,なんだよ,ショウリョウバッタのオスのことかよ

 子どものとき,あんなに穴が開くほど図鑑を見ていたのに,大人になって魚類に移ってしまったからだろうか,昆虫に疎くなっているなあ。

 ヒートアイランド現象すさまじい現代だから,本当の冬は1-2月ぐらいかも

 まだまだ,観察を続けよう。

 あ,アゲハの幼虫はシジュウカラに見事に食べられていました


【やっと秋らしく】キジバトとキンモクセイの香り。

2024年10月19日 16時14分43秒 | オズマの独り言


朝の散歩で意外にみかけるキジバト。

 母の故郷では「ドデポッポー」と言われるキジバト。

 何度か記事にしているが,ドバトのような集団行動でなく基本的には単独行動。多くても2羽が一緒に行動するのを見かける。

 朝の散歩は豪雨でもない限り続けており,もう丸2年が経過しようとしている。毎朝20分弱,さらに通勤で25分,これで1日7500歩程度なのだが,道理で靴底が減るわけである。

 キジバトは歩き方がなんとも可愛らしく,自分にとっては身近な野鳥()の一つ。『釣りキチ三平』で「ヤマバト」と称されるのはこのキジバトだというから,本来は山に多いらしい。

 運がよければ朝から「ドーデー,ポッポッポー」と鳴き声がして,なんとも朗らかな気分になっている。

 そういえば,「里山では」スズメが絶滅危惧だなんて報道を見たが,またもや「里山原理主義者」の陰謀に過ぎない。

 そもそも「里山」の定義は「人間が,人間の都合でつくった雑木林・ため池などを管理して」そこに住み着いた生き物たちをくるめてのものだから,「間違っても薪を集めたりしない」21世紀は「雑木林など管理していない」から,「里山」が定義されない時代である。

 言ってみれば「定義域のない」関数論をしているような滑稽さがある。東京ど真ん中の千代田区にスズメなどいくらでもいるから,「昔はよかった」として里山をありがたがる原理主義者の荒唐無稽さがわかるだろう。

 さて,10月になっても暑い日が続いており,10/19に至っては30℃近い暑さ。ついこの前涼しくなったのに,と思っていたらこの暑さ。

 それでも,キンモクセイの香りが季節を告げる。


見ればたいしたことはない。しかし香りはよい。

 窓を開ければ始終キンモクセイの香りがしているので,よくよく観察するといたるところに植えてあるではないか。

 腰痛治療ではかなり有益な指導を頂いている。つまり今回の整骨院は「アタリ」なのだが,予約がとりにくいのが難点。さらに,自分の組合からはかならず「問い合わせ」がくるのも難点だが,「正しい治療」が整形外科で受けられない方が問題ではないですか

 腰痛にもさまざまな要因があり,腰がわるいというよりは「バランスの問題」であることがよくわかってきた。

 仕事も年内いっぱいキツイが,なんとかして乗り切りたい


【叔父の葬儀に名代で】やってみるとわかること・やってみないとわからないこと・年齢を重ねないとわからないこと。

2024年10月16日 20時54分33秒 | オズマの独り言

 叔父が87歳でなくなり,体調不良の続く父の名代として1日参列してきた。

 結論は「やってみるとわかること・やってみないとわからないこと・年齢を重ねないとわからないこと」があるということに尽きる。

 母方で強烈に印象深いのが,祖母99歳の葬儀だった。それはもう「お祭り騒ぎ」で,祖母からしたら孫にあたる僕らがいくら社会人とはいえ,花輪まで出すことになっているとは しかも,花輪の真ん中に「缶詰・ビール一式」が飾られるという,とても東京では考えられないものだった。いまでも「ゾッ」とする田舎の葬式である。

 父方ではそれほど強烈な葬儀の記憶がない。祖母が30年近く前に亡くなっているのだが,まだ自分は「傍観者」に過ぎなかったからだ。

 今回の叔父の件では「子どもの居ない夫婦」の葬儀の大変さを実感した。端的に言えば,位牌・遺影・お骨をもつ人数が必要で,この時点で3名の協力者を要するのだ。

 自分は,当初献杯の挨拶だけかと思っていたら,要所要所で「これは親族である自分がやらないと」という場面に出くわした。たとえばお金の精算,骨壺に収める役目も名代としては当然やるべき任務ということである(もっとも,終始「貴重な勉強なのだ」と思っていたから辛くなどなかった)。

 若くして父母を失った人も多いだろう。その大変さが想像できないが,いま本当にわずかながら「ちょっと足元まで寄って」きたという実感がある。

 そんな叔父は1ドル360円時代に海外勤務が7年間あった。だから,後期高齢者なのに保険料自己負担が3割だったこともわかった。自分の父母など年金暮らしなので1割だが,こうして身近に3割負担の人がいることも知った。

 僕がフォローしている方の最近の記事ではとてもよい言葉が紹介されていた。それは「つらい人選手権」である。

 みんな生きている限り辛いことはあって,その感じ方は人それぞれなのに,やれ「そんなの辛いうちに入らない」とか「こっちの方がもっと大変だった」などという。そんな不毛な争いは「つらい人選手権が開催されましたね」といえば比較的丸く収まる,というものだった(と理解している)。

 釈迦も同じ考えだったのではないか。

 だからこそ,如来になるため弥勒菩薩は56億7千年という年月を経て衆生を救いにくるという解釈がされたのではないか。そう,逆説的だが「天文学的な数字」だからこそ「弥勒菩薩に頼りきるなど愚かなこと」であり,そもそも人間はいつになっても悟りなど開けないということが暗示されているのではないか

 また何かの機会,というより父の様態が落ち着いたら(手術を近々に行う;おそらくこれが最後の手術だろう),叔父の住んでいたところに行ってみよう。けして近くないが,国外でもないわけだしね。