このブログは開設から1年が経過し,2年目に突入しようとしている。
実は,オズマは,いろいろな形で4~5年ほど前からネットで釣りに関わる発言や記事を書くようになっている。正確には,2005年の5月ぐらいから記事というものを書き始めたから,当時から数えると丸5年が経とうとしている。
そして本日は大晦日。ならば,とりあえず2009年の総括でもやってみようかというところである。
2009年を一言でいえば,「体調不良との闘い」だった。
いまもはっきり憶えているが,2009年1月31日,所属長から呼ばれたのだ。直感でわかったが「異動」だった。オズマはサラリーマンだが,前の部署では「個人営業」状態で仕事をしていたので,とにかく自分がノルマをこなせば何も問題ない部署だった。その分責任は重かったが......。
そして異動した先は「グループ作業」の仕事だった。そしてPCとの格闘。もちろんブログやらメールやらをやる程度のPC技術はあるにしても,これが仕事になると半端じゃない。
5月にはすでに腱鞘炎になり,いまだ完治してしない。
そんななか,3/21に最初の水郷釣行。まだ腱鞘炎になっていなかったときだ。
阿修羅で44cm。これが2009年
のスタートだった
そして,いままでにない仕事のため「休日出勤,平日休暇」になったりしたが,個人営業状態ではないので,「人に任せられる部分がある」のは,遠征をするのに好都合でもある。
それが久々の琵琶湖遠征(仏像鑑賞)であり,GWを10年ぶりにまともに休んだことであった。
左のバスは「ジグ&ポーク」で15年ぶりくらいに12月に釣ったバス。
右のバスは夏の琵琶湖遠征「テキサスリグ」で8月に5年ぶりくらいに釣ったバス。
この2本のバスは,「記録より記憶に残るもの」である。
それは,オズマを昔から知る人間はいざしらず,ネットで記事を書き出したときにはすでに「ハードルアー症候群」という重い病にかかっていたからだ。ある意味,ハードルアーが自分にとっての切り札に“なりすぎて”(他に投げられなくて),ジグやワームの釣りを忘れかけていたころに,ふと思い立って行ったらとりあえず釣れたわけである。
ハードルアー症候群なる病との闘いから脱出が2009年,ともいえるかもしれない。
琵琶湖遠征は楽しかった。
彦根,釣れます。難しいけど。
この「ビワバス」(1989年ごろにつけられた名前だっけ)は,水郷でのバスとは異なり,模様が美しい。バス本来の模様というのだろうか,とにかく水がきれいだとバスがきれいなんだ,ということを再確認させてくれたものだ。
また,このブログになってから行っているのが「画像キャプチャ」だ。
昔の今江プロの姿をキャプチャ。
以前はPCがひ弱で出来なかったんだよね。
手持ちのDVDを使ったり,昔のVHSをDVD化してキャプチャする。以前は「画面撮影」をしていたが,解像度の点で満足のいく編集ができるようになった。
そして,やはり「釣り人」としては,2009年の水郷でも納得のいくビッグサイズにめぐり合えたことがなによりも嬉しい。
1枚目は46cm;スピナーベイト。2枚目は52cm;クランクベイト。
3枚目は53cm;クランクベイト。4枚目は49cm;ジグスピナー。
他は省略します....というか,春と夏以外ビッグフィッシュはロクに釣れてません。
どれもが有名なポイントで,しかも「人の入った後」に釣っているのだ。とくに49cmのバスは,先行者がワームを撃っているのを見て,その数10分後に入りなおして釣ったので感動だった。
だが,50UPはオズマにとってやはり「マグレ」度100%である。狙って釣れたとはけして言えない。春先に40UPを狙うならこういう方法,といえることがあるが,50UPになるとこれはもうマグレである。
そして,2009年の50UPでも自己最高の53.5cm(霞本湖で2006年8月に記録)を超えられなかった。次の目標「55UP」には何が必要なのかさっぱりわからないが,オズマの釣りが基本的に「ぶんぶん投げる」ものなので,確率を高めるという基本方針は今後ますます重要になるだろう。
読書では「わが意を得たり」と思えるものに出会えた。
WEB2.0なんて信じてないよ。双方向性が何だって
本書は,日頃感じていたWEB上の不可思議さを解き明かしてくれた名著である。
「WEB上では,何を書いたかでなく,誰が発言したかが重要」という本書の主張が実にスッキリしている。異動で仕事の先が読めず,帰宅してからPCを立ち上げる気力がない日々が続いたのだ。それがコメントなしにした理由だった。
新ポイントが開拓されたのも2009年である。
はじめて水路で釣ったバス。
GWの混雑が開拓をさせてくれた。
いままで,雑誌などで「用水路などにもバスは居る」といわれていたが,あまりにも普段のポイントで釣れてしまうためなかなか開拓できなかった。
しかし,GWの猛烈な混雑で,半分仕方なく水路を適当に回っていたところ,運よくバスと出会えた。これは,ある意味50UP以上に価値があった。実際,いつものポイントがあまりにも不調なときに水路めぐりをして救われたこともあった。
以上でざっくりと2009年総括を終えた。
いろいろ姿・形を変えながらついに6年目に突入する2010年。
それでもオズマはオズマ。今後もオズマである。それではよいお年を。
オズマが好きなのはコレ。「Zのテーマ」もいいけどね。
躓いた。その量に。時間に。だが,重要なものを,という基準でバックアップした。
それは「マジンガー」シリーズ。98年ごろに発売されたもので,いわゆる総集編である。
感動したのは,「グレート」での「ダブルマジンガー編」。マジンガーZとグレートが力を合わせて闘う。個人的には,やはり「マジンガーZ」の方が,兜君のキャラもあり,好きである。
これらのVHSはDVDへバックアップしたが捨てない。大切に保存しておこう。釣りのビデオは中身が大切だが,アニメはパッケージも重要。
問題はVHSデッキがいつまで残っているかだろうな.....。
まずはOP。これが実に勇ましく,水木一郎のボイスが唸っている
メモリアルです。どういうメモリアルなのかは不明。
ロボットだから マシンだから ダダッダー。
剣を使うアニメロボットはこのグレートが最初だという。
サンダーブレーク。冷静に考えると「環境破壊」。
勝手に雷を誘発しちゃいけません(笑)。
でも,正義のためにはしょうがありません
肝心の本編は,正直『マジンガーZ』の方が好きである。『Z』の主人公・兜甲児の叫び声;「マジーンゴー」などが非常に好きだった。『グレート』の主人公・剣鉄也は大人なのか,うーん,なんかなかなか思いいれが出来ませんでしたね。
でも,後半の「Wマジンガー編」は最高だった。それは『Z』が「超合金ニューZ」でパワーアップされて,グレートとほぼ互角の戦闘力をもって復活したから。
Zといえば「ジェットスクランダー」。これも「合体」
「パワーアップ」の元祖だ。カッコイイなあ。
ともに闘うWマジンガー。グレートは「グレートブースター」
なる「ジェットスクランダー強化版」をつけて闘っている。
「Wマジンガー」編でいいのは,やはり兜甲児の叫び声が連発されるところ。敵に向かって武器名を叫ぶのは「不意打ちを狙えない」という矛盾も指摘されるけど,カッコイイから許しますっ
「アイアンカッター!」;ロケットパンチに超合金製
の刃がついたらそれはもうすごい威力です。
「スクランダー・カーット!」
ジェットスクランダーの強靭さを武器にした技。
いやもうカッコよすぎ。
最後は二人で「ブレストファイヤー」と「ブレストバーン」。
これでミケーネ帝国を倒しました。
と,ここで終わればハッピーエンド。ですが,ですが,剣鉄也はこの過酷な戦いで再起不能になってしまうのです。
甲児君,君だけ外国留学なんて....。
俺はこの後の『グレンダイザー』にも出てこないんだぞ。
そんなセリフを剣鉄也がいうはずもありませんが,ジュンが涙しながら看護していた姿はいま見ると泣けてきます。
そしてこの記事は当然『水木一郎・大全集』のCDを聴きながら書いています。
PCができて,XPに至って,デュアルコアになってから,本当にこんな編集ができるとは,10年以上前には予想もしなかったです。
その独特な臭いと強烈な作用,そしてその歴史が,市販薬としては脅威の存在ともいえるほどのベストセラーだろう。
そしてオズマ。日曜日(12/27)に大掃除をしていたら指に棘をさしてしまい,そのときに棘を抜いてもらった医者からもらった軟膏の副作用なのか,月曜日(12/28)から水曜日朝(12/30)まで下痢が止まらない。数時間もするとトイレに行きたくなる。ちょっとでもお尻に違和感を感じたら便器に座らないと.....という状況である。
こんなに下痢が続くのは初めてであり,指先の神経がすべてつながっているからこういうつらさも後になって考えればわかることだが,とにかく辛い。「クスリはリスク」という名言も思い出される。指先の痛みは治まったが。
そこで写真の薬の出番である かつてこの薬で下痢が止まらなかったことはない。それも1回の服用で効いてしまうことが多い。効き過ぎて便秘になることもあったが,いまはとにかく日常の行動に影響があるので頼るしかない。
独特の臭いが効果を予測させる。期待させる。
そんなわけで,年末に予定した釣行はお休みだ。とてもじゃないけど運転できる状態じゃない。トイレが常にそばにないと危険なのだ。
最初から書くが,はっきりいってどうでもいい存在だと思う。ネット用語なら「スルー」というのだろうか。
彼女はいっぱしの経済評論家ぶっているが,内橋克人さんのように,温厚でありながらしっかりした主張があるようには思えないからだ。
まず,オズマ基準で「美人」じゃない(笑)。
「エラ」がたっている。目も離れている。部品が美しくない。今回の本は「キレイ」を勝間流で「言い換え」しているが,普通の「キレイ」は美人を指すと思う。
勝間氏とほぼ同じ年齢の藤原紀香とどちらとお酒を飲みたいですか,と聞かれたら,普通の男なら「の,紀香さんで!」となるのではないか。
オズマは,勝間氏の本は目次をみただけで「はいはいわかりました。あなたはスゴイです。“神”ですね。でも,普通はマネできません。」と何度も言いたくなる。
そして必ず。「盛者必衰の理」あり。オズマも例外ではないが。
しかも,勝間氏の元夫が某週刊誌でなにやら騒いでいるらしい。売れっ子になるとかならず叩く奴が出てくる。それでも「ぶれない主張」「断る力」を発揮できますかね。
そんなわけで,同じ経済の話なら,隔週ではあるが「NHKビジネス展望」・火曜日で内橋克人さんの話を聞く方が勉強になる。とても温かみのあるお方だと,その声だけでもお人柄が拝察されます。
「フルタイムレフト」に転向して実に15年。ライトハンドのベイトは,スコーピオン2000,スーパースピードマスター2000ULS,カルカッタ200などを使ったが,どれも殿堂入りするか,売り払ってしまった。
だが,2009年。仕事内容が変わり,右腕が腱鞘炎である。右手さえも痛い状態だ。
そうなると,フルタイムレフトは右腕のみに負担がかかるので釣りが辛い。
そこで,ライトハンドのリールを購入することにした。だが,前に「スコーピオンクイックファイヤー」を購入はしている。しかし,これが使ってみるとパーミングがイマイチ,コンバットとはあまり合わないようだ。いや,ガニングシャフト専用とも言えよう。
なじみの中古店に行ってみた。すると有った。あの伝説とも言われる「赤メタ」が。
なんと箱入りですよ。
スペアハンドルまでついてます。
説明書もきれいなまま。袋以外は全部ありです。
価格は5000円チョイだったが,そのシルキーな巻き心地は92年の初登場時から変わっていないと思われる。この中古店はフルオーバーホールしてから店頭に並べるとのこと。これは安心だネ。
ラインを巻いてみた。うむ。カッコイイ。
いまのリールに負けてない。いやむしろいい。
発売当時は値段に手が出なかったものだ。
しかし,17年経過してもこれほどの個体が有るとは。
いつものコンバットにつけてみる。
うむ,これなら疲れない。軽いし回るーぅ
赤メタ,その自重はなんと225グラムである。17年前でこの水準。当時は280グラムのリールが普通に存在していたところにこの軽さである。アブ4601-C3などが同時代のリールである。
それにしてもこのワインレッドカラー。当時はあまり意識しなかったが,実にいい感じだ。
これならば,腱鞘炎の右腕をフォローし,満足のいく釣りができそうだ。
しかし,本当にいまのリールとほぼ同様のメカニズムを有したこのバンタムスコーピオンメタニウムXT。まさにエキストラチューンの手応えあり,である。「銀メタ」とは何かが違うようだ。
うーむ,これを見ていたら,釣りに行きたくなってしまったぁ。ただ投げるだけでも楽しそうだしね。
追伸① 自分でいじったらおかしくなったので、思い切ってチューニング依頼することにしました。そのお話は2010年2月にでも。楽しみです。これで最新のリールに負けないゾ。腕はあとからついてくる,ってことにしよう。
追伸② 銀メタもフルオーバーホール依頼をとあるところにあわせて依頼しました。これはレフトハンドの釣りを深化させてくれたリールなので,最近のリールにはない思い入れが深いんですよ。
しかし。過去の話だが,1日で40UP3本とか,30UPのクランクでの入れ食いとか,そういう奇跡が起きたことは結構ある。もうそのポイントは護岸工事で潰れましたが....。
一つに風。アサイチ,日が昇る前が最大のチャンスだと思う。それは,薄暗くても水の透明度が高いからバスが浮くのである。なにより風が吹き始める前なので俄然釣りやすい。シャッドラップの超スローリトリリーブはよく釣れたものだ。
8時以降,風がなければサスペンド狙い。SPミノーをワームのように使ったり,ジグヘッドでワームをトロ引きしたり,スプリットショットリグというもっとも基本的なリグも結構いい。
お昼過ぎても運よく風がなければ,シャローの勝負。ジグ&ポークやテキサスで粘る。
だが,こんな条件のいい日はそうそうない。場所はあまりにも有名な前川・北利根牛堀・黒部川の一部・横利根が有望だが,横利根はヘラ師が多いので基本的にパスするしかない。ただ,見学して,ヘラの活性を見ておくのは無駄じゃない。
2月の最低水温だとボーズ率100%だが,お正月ぐらいまではまだ可能性がある。
久々に真冬の釣りをしようかな。タックルもあえて昔風に,奇をてらわず,普通にやるのがいいかもしれない。
スライダーワーム4インチ・スプリットショット。うむ,これとグラブのローテだけで十分行ける気がしてきた。さすが暖房の効いた部屋だ。妄想が高まる。
そんなわけで,2009年年末は往年の釣りビデオ(DVD)をDVDへバックアップすることが求められた。
休日であれば朝からデッキを1日動かして10本。平日なら1本。淡々とこなした。家事の合間に・仕事の合間に行った。
そしてバックアップが終わったのは上記のビデオ・DVDたち。パッケージにも思い入れはあるが,こうして写真を撮っておけばよい。見るのは中身だからだ。
そして中古店へ売りに行く。1200円だった。ルアーの買取より安く思うが,ゴミで捨てるとお金のかかる時代。1200円は十分な軍資金となり,懐かしのギドバグ(グリーンクリスマスツリー)・SSS5インチグラブ(クリアゴールドラメ)・パワーオイルを購入することができた。
DVDバッグも96枚入れ仕様を680円で購入できたので,まだ整理はできそうだ。
上記の記事が出ていた。
結論から言おう。「危険」であると。少なくとも「共済保険」には加入すべきであると。
理由は下記の通り。
このコラムで紹介された人々は「A. 収入が他の手段でもあるから」「B. 公的保険で何とかなるから」と言っている。しかし,そんなに甘いものだろうか
Aの具体例では,夫婦共働きだからというのが典型例。もしくは,副収入の道をもっているからというのもある。
しかし,オズマの知る限り,公的保険だけで,とくに長い療養期間を迫られる腎臓病などに罹患したら最後,家庭の経済は破綻寸前となっている。
なぜなら,人工透析などをしているとまともに働けないからである。そして,そのときには「もう1人の稼ぎ手」が何とかしてくれるというがあてにならない。「もう1人の稼ぎ手」が看病にあたらなければならない重い病になったとき,彼らはどうするのだろう
Bの具体例も甘い。オズマも甲状腺癌の手術のときに「高額医療保障制度」が公的保険にあるのを知り,入院前日に交付してもらった。結果として,11万円ほどかかた入院費のうち,8万円ほどが還付された。
しかし,それでもまずは11万円負担しなければならないのだ。オズマの手術は,素人目には恐ろしいが,専門家に言わせると「簡単」だという。だから10万そこらで終わったのだろう。
だが,オズマの父がサイボーグ手術(ペースメーカー埋め込み)を行ったときは,こんな額ではなかった。
結果として,任意加入の保険に助けられている。オズマの場合もそうであり,父の場合もそうであったが,保険料がしっかり支払われたので,自己負担はほとんどゼロに近いという結果となった。
まあ,健康保険はわかりにくい問題がある。いつまでも若い,という幻想があるからだ。しかし,これがクルマなどの場合ならそうはいかない。人身事故を起こしたら,あっというまに生涯賃金を超える額を請求される。
バイク,とくに原付のみに乗っている人は自賠責のみに加入しかしていない人も多いと聞く。だが,原付でも人をはねたらやはり原付がわるいことになるのだ ベンツに体当たりして,自分が怪我をしていなくても,ベンツの修理代だったら.....,想像がつかないが,相当に高額であろう。
事故や怪我は実際体験しないとわからないものだ。とくに若い世代ではわからない。そういうときに教えるのが父母の存在であり,会社の先輩などであろう。
幸い,オズマは入社早々にスキーで足の骨を折り,そこから任意保険加入が始まったので掛け金も安い。
実社会にでたら・クルマやバイクを保有するなら,最低でも「共済保険」程度は必要だ,というのがオズマの結論である。
先日,さつまいもを食べた。さつまいもで毎回思い出すのが
「これって,コイが好きなんだよな....」
ということ。
『釣りキチ三平』に影響された世代なら,このセリフが一度は出てきたのではないだろうか。
オズマは「水郷歴30年」とよく書いているが,最初の10年はフナ・コイ釣りである。70年代後半から80年代中盤まではバスの魚影は濃くなく,水郷=フナ・コイ天国だった
実際に,いま通っている「いつものポイント」はいまでも相当にコイやマブナの魚影が濃い。何度かエサ釣りをしたが,とにかくバスの魚影なんてメじゃないのだ 1日で100匹近く釣ることがかなり現実的だからである。
さて。そんなポイントでもエサの種類を間違えるとまったく釣れない。オズマも,ようやくヘラブナを水郷地域で釣れるようになったのは,下の2種類のエサとの出会いからである。
グルテン5といもグルテン。
香りが最高に「甘い」です。
癖になります。
この2つのエサは,水加減などが発売当時からしっかり書かれていたので,それを真似すればとりあえず普通のエサができるのだ。
しかし,オズマの記憶では,この2種類以前のエサは扱いにくく,水の量をどうしたらいいのかさっぱりわからず失敗ばかりだった。
そんなわけで,水郷でエサ釣りをするときに外せないのがこの2つ。真冬でない限り,なんとかなるエサとして重宝したものだ。とにかく「甘い香り」が最高で,釣りをしていると
「ホンワカ光線」
が降り注ぐような気分だ。「癒し系」のエサ,とも言えるのではないだろうか
しかし,水郷は,オズマの少年時代にとって度々行ける場所ではなかった。年に数回,父と日程が重なるときだけだったと思う。それ以外は,都会ではあったが,幸い「釣り公園」なる施設が自転車で片道30分以内,多摩川でさえ50分程度で行けたので,コイの吸い込み釣りに燃えたものだ。
みどりとスイミー粉末1kg。
これにマッシュポテトを入れてバラケをよくする。
大ごいは臭いが好みじゃなかったなあ。
あの「コイカレー」はさすがに販売されてないみたい...。
この「みどり」というエサに出会ったのは,たしか中学1年生のときだ。放課後に毎日のように友人と近所の釣り公園に通っていた。でも,たいして釣れない。しかし,入れ食いの人が居た。エサを訊くと,「みどり」だという。
そこから快進撃が始まった。当時はリールでの吸い込み釣りも黙認されていたので,ルアー用の安竿(980円の竿だった記憶がある)に吸い込み仕掛けで釣ったのだ。
スイミー粉末は,単品で使うと溶解度が低すぎて練り餌としての機能がイマイチに感じた。そこで,「マッシュポテト」を配合して使っていた。元巨人軍グラウンドの裏で,高校生の夏休みにはしょっちゅう通っていたものだ。コイ62cmの鱗をいまだにフォトアルバムに入れてある(谷地坊主のマネね)。
そして水郷の2000年代。釣りの腕がそのままでもエサは進化していた。その中で,記録を作ったのはこのエサである。
レンギョ80cmを2本釣りました。
ボラもたくさん。
アメナマも小さいのは釣りましたね。
当時,「白いエサ」を使うとレンギョにやられる,とヘラの雑誌に書かれていた。そうなるとかえって使いたくなったのだ。
そして,いまバス釣りでいく「いつものポイント」周辺で,丈3(3.9m)の「がまヘラ」という竿で,道糸2号,ハリス1号,ハリは改良ヤラズ6号で釣っていた。
そのうち
「モワン」
という気配を感じ,微妙なアタリをとらえた。
あっというまに突っ走られそうになったが,さすがは「がまヘラ」だった のされない。そのかわりオズマが走って魚を追いかけた。かれこれ20分ほどの格闘を終えて上がってきたのがレンギョだった。タモアミにも入らないので,両腕で抱え込んだ記憶がある。
こんなことを書いていると,「オズマはエセバサー」などと言われることもある。しかし,技術はともかく,スレ針(いわゆるバーブレス)で釣ることに慣れたのは事実であり,水郷でのバス釣りでも,90年から初めて,92年頃には完全バーブレスで釣っていた。最初はバラシが多かったが,ヒットの数が半端じゃないぐらいあったので気にならなかった。
そんなわけでいまでもバス釣りはオールバーブレスである。ポークを使うときは,ズレどめに「黒いウキゴム」を切って使うのダ。これはヘビキャロでのゴム管を再利用したものだったが,実際いまでも効果はある。
さて,大掃除も一段落。古いエサも思い切って処分しないと,エサだけに冗談抜きで「腐って」いたりするからコワイゾォー。
何度も書くが,献金問題“ごとき”で謝罪することなどは無用。「説明」はあってもいいかもしれないが,そのときは野党の邦夫も説明しないと筋が通らないのではないか。
そもそもマスコミは,「アラ」探しのためにWEB上をうろつき,くだらないコメントを発する暇人のごとく,揚げ足とりばかりしている。そんなマスコミは,大多数の「批判的精神」をもたない人々を扇動する行動しかしていない。
謝る必要のない問題でなぜ謝るのか。田母神氏のように,「俺は間違っていない」と突っぱねればいいのだ。
鳩山総理を批判する人は,ちゃんと民主党以外に投票したのだろうか
「裏切られた」なんていうのは,申し訳ないが,見識が甘いといわざるを得ない。小沢一郎というフィクサーの存在を知らずして「小沢ガールズ」に投票したとすれば,それはかつての小泉フィーバーに乗じたのと同義である。
オズマは,幼少の頃から「違うものは違う」と突っぱねてきたことが多い。そのせいで友人と喧嘩したり学校で問題児扱いされたりもしたが,「違うものは違う」のだ。
たとえばブラックバス問題。入試生物でも扱われ,いまだ偏向・誤りある事実を羅列したものがほとんどだ(04年センター試験追試験での「ブルーギル」への記載も誤りであった)。これは,釣り人にとっては「違う」が,一般人・世論では「正しい」となる。
こんなことのように,「報道されていること」「大多数の人がいうこと」が正しいわけではない。メンデルは遺伝の法則を発見した人として有名だが,発見当時は変人扱いである。なぜなら,理論がどうであれ,感情で理解されなかったからだ。「それでも地球は回っている」といったコペルニクスも同様だ。
話が少しずれた。
そういうわけで,オズマは「自民時代」に戻りたくないので,とにかく任期の間はよほどのことがないかぎり鳩山を応援する。
この失われた20年を振り返って,それでもまだ「自民党に政権担当能力がある」という意見もよく聞くが,自民党は「事業仕分け」も何もやっていない。ましてや,自民党の55年体制は,政治とカネがもっとも癒着したから経済発展を遂げたのである。しかし,これは当時の政権担当政党が他の政党だったらどうだったか,については検証することができない。時間の問題上こればかりはできない。
世論でなく「輿論」を,というのは小林よしのりの言葉であるが,まったくその通りだ。そんなわけで週刊誌も買わなくなった。
総理は田母神氏にでも発言の仕方指南でも受けてみてはどうだろうか。とにかく素直すぎる気がする。
そしてオズマは,怒りのパワーを注入するために朝日新聞を購読する。半分以上疑って読んでいるが,「世論操作」の巧みさを学ぶにはいい材料なのだ。つまり,実社会で,自分に都合のいい意見操作を行うにはもってこいの素材,それが朝日なのである。
オズマは,村田基氏の影響もあり,早期からフォーミュラを使用していた。しかし,手にべとついたり,こぼすととんでもない事態が発生したりで,なかなか続けて使うフォーミュラはなかった。
そこに彗星のように現れたのが「マルキュー・パワーオイル」。
説明書では,「2-3時間」だというが,オズマがゲーリー商品を使用するときは「2週間」漬け込む。最初の1週間で少し柔らかくなり,次の1週間でオイルが素材に完璧にしみ込むように,という具合だ。
実際その効果はかなりあり,夏の横利根で,このオイルを使用したゲーリー5インチシングルテールグラブの落としこみにしか反応しないときがあった。
だが,そういうときに限って運悪くあっという間にワームが底をつく。しかし,時期は真夏。そこで考えたのが,クルマのダッシュボード上でワームをソークする作戦だった。これはたったの30分ぐらいでオイルがしみ込み,またまた入れ食いが復活するというものだった。
これ以降,ゲーリー製品や,昔のスライダーワームなど,臭いや味がない部類のワームにはことごとくこのオイルを使っている。バークレーやエコギアなどの元々味がある類のものには使わない。ある意味,ゲーリー専用かもしれない。
ただし,このオイルを使いすぎるとワームがヘロヘロになりすぎて,とくにセンコーなどは持続力がなくなるときがあるので要注意。また,スライダーの赤に使うと,赤色が溶け出してしまって大変なこともある。
だが,価格の安さ・それなりの集魚力,なにより「こぼれたりしない」のが安心だ。
そんな今日(12/20)は,久々にワームの整理を行い,このオイルを滴下したのはいうまでもない。同時にワーム袋を振って,偏りをなくすと,ワームのクセもとれるので大好きだ。
しかし,このオイル,いわゆるエコ認定じゃないみたい....。なにがよくないのかなあ。
簡単にいえば,「もがけばもがくほどエントロピーが増加し,カバーするのに余計にエネルギーを消費する」ということである。
本書の著者のみならず,養老孟司先生なども「環境を守るなら何もしないほうがよい」といわれていることと同じである。
ハイブリッドカーに代表される「エコカー」はわずかなガソリン節約になるが,“全体として”石油の節約にならない。ハイブリッドカーをつくるのに猛烈なエネルギー=石油を使用するからである。
また,ハイブリッドは,その複雑なシステムゆえ,車両重量が重い。すなわち,1.5トンもの重さのクルマと1トンそこそこのクルマが走ったら,どちらが道路という「エネルギー」を消費するだろうか。
電気自動車に至っては話にもならない。電気の発電源は原子力,火力といった従来のエネルギーである。したがって,むしろ効率がわるいといえる。わざわざ重いバッテリーを作って重くして距離が出ない。スピードもダメである。
オズマは,こうした疑問を従来からもっていた。その根源は「批判的精神」「仮説検証」である。
その疑問に,活字で応えてくれたのが本書なのだ。
そして思う。たかだか13年ぐらいで日本車はダメになったりしませんよ,と。オズマの乗る1600GTは,いまの軽自動車ターボ付よりは確実に速いし(実際に運転してみるとよくわかる),燃費も変わらない,いや上回ることも多い。異なるのは,政策で製作された排出ガス規制による排気ガスに違いがあるかないかである。
そもそも,地球温暖化だと騒いでいるが,温暖化かどうかも議論が分かれている状態である。ツバルという島が水没するシーンがいつも利用されているが,あれと南極・北極の氷の減少とは直接に関係ないともいわれている。
また,太陽光発電がなぜ普及しないのか,風力発電がなぜ普及しないのか,そうした普段疑問に思っていることに応えてくれるのが本書である。
オズマはどうしても新聞・マスメディアを疑ってかかってみる癖がついている。それが正解だとはいわないが間違いでもない。
篤姫の言葉「一方聞いて沙汰するな」がいまでも脳裏に焼きついている。
フィクサーがフィクサーでなく,表舞台に出てしまった。
結論から書こう。
「中国訪問,無用とは言わないが,人数が多すぎる」
「中国ばかりがアジアの国ではない。近隣諸国への配慮も必要だ」
と。
理由は以下の通りである。
① 経済団体がこぞって「中国重視」をするのはなぜか それは単に「人口が多いから」である。発展途上のため成長が期待できる......というのが一般論である。だが,オズマは中国経済の不安要素「A:中華思想」「B:国内格差」に対し,懸念せざるを得ない。
Aについては何度も触れたので割愛する。
問題はBである。沿岸部と山間部での極端な収入格差。それはとても同じ国家の民族とは思えないレベルである。かたやインターネットでお買い物。かたやいまだに水道・電気もロクにない。
日本は,昭和31年に「もはや戦後ではない」と言ったが,日本が他の国と根本から違っていたのは「開発する能力」だった。それがいまの中国にあるだろうか 中国はコピー天国,いやさ,不合法行為を認めている国といって差し支えないほどに酷い。そんな国が今後も発展するのだろうか。
なにより訪問人数が多すぎる。すべて国庫(税金)で行っているのだ。本当に行く必要があれば,岡田外務大臣と小沢二人で行けば十分ではないか。
② とにかく日本は大国に擦り寄る癖がある。いままでのアメリカ偏重から中国にシフトしただけであり,主体性がない。いま,国家としての日本を継続的に発展させることは困難である。だからこそ,「アジア“地域”との共同体」をつくる必要があるのではないか。
たとえば台湾。李登輝というすばらしい人物が居られるところである。彼は旧帝国大学・京都大学出身である。日本が台湾を統治していたとき,台湾には新しい文化・教育体制が整備された。そしていまでも施設などは使われているし,台湾がきわめて親日的なのは,かつての行為が「統治」であり,「占領・略奪」とは異なっていたからである。
麻生太郎がかつて言ったことばに「日本は世界から感謝されている。そこに自信をもつべきだ。」というものがある。これは正しい。日本は,三国人ばかりに気をとられすぎなのだ。
わしは........,あまりにも小林よしのり作品を読みすぎたためについこのことばが口に出そうになったが,とにかく「日本の自立」を選挙権取得以前から強く願ってきた。そのため「日米安保反対」を貫く党が好きなのだ。
幸い,日本には「原発」という「一歩間違えれば核爆弾」が沿岸沿いにたくさんある。原子力,平和利用は「エネルギー」だが,少し変えれば「爆弾」なのだ。
中国訪問するなら,日本海沿岸の原発地図でも見せてあげるとよいのではないか 科学がわかる人なら,日本がすでに「核」をもっていることに気づくだろう....。原発も原爆も,利用の仕方が違うだけでエネルギーの理屈は同じなのだ。