読売新聞8月11日付の編集手帳には歌手の淡谷のり子が上海の部隊を慰問したときのの回想が紹介されている。
「兵士たちは禁じられた2曲を歌ってくれとせがんで聞かない。罰を受けてもいい。淡谷さんは腹をくくって歌う◆兵士たちはぽろぽろ涙を流して聴いた。監視役の将校は気を利かせて席をはずした。…」
一方、08月12日付の朝日新聞の天声人語には次のような一文がある。
「きょうが誕生から100年と聞き、戦時中も軍歌を拒み続けた硬骨の生涯を思った。レコードだけではない。兵を死地に追いやる歌だと、戦地の慰問でも歌わなかった人である」
読売が11日、朝日が12日であるから、はじめ朝日のパクリかと思ったが、生誕100年とあるから、双方の記者とも同じネタの探し方をした結果だと了解した。日替わりで記事を書く場合の定石なのだろうが、横並びで個性のなさを表している。
それにしても国民を戦争へと煽り、戦争に積極的に協力した新聞が、よくもこんな話を他人事のように紹介できるものだと思う。改めて面の皮の厚さに感心した。
一人の歌手が時流に流されず、規則を破ってまで姿勢を崩さなかったのに対して、新聞は集団で時流に乗るだけでなく、さらに積極的に押し進めた。この記事からは反省の気持ちは感じられない。
60余年の遅蒔きながら、反省の動きも少しはある。昨年、読売は「検証 戦争責任Ⅰ」「検証 戦争責任Ⅱ」を出版した。また朝日も「戦争責任と追悼」を出した。読売の2部作は比較的中立的な立場から書かれており、戦争を概観するのに適している。朝日の「戦争責任と追悼」は右翼論壇に対する反論が目立ち、あまり評価できない。アマゾンのカスタマーレビューの評価も低いものばかりだ。
そのなかで、前にも触れたが、朝日夕刊に連載中の「新聞と戦争」は新聞の戦争責任について、納得できる内容のものがようやく出たという印象がある。戦争に積極的に協力した新聞の姿勢が正直に書かれているように思う。しかし残念なことにこの連載記事は目立たない。記事の重要性を考えると一面の左上がふさわしいと思うのだが。
8月15日が近づくと、各メディアは横並びで、戦争の悲惨さや軍部の罪を訴える特集で埋められる。年中行事である。だが自ら新聞の責任を言及する特集はあまり見られない。
特攻や白兵戦による玉砕など、日本の戦争のやり方は特異なものであった。そのため犠牲はより大きくなり、より悲惨な結果を招いた。まるで国民全体が宗教のように洗脳されている観があった。その状況に大きく手を貸したのが煽動した新聞であるのは疑いのない事実だ。
戦争の悲惨さを訴えるだけでは十分ではない。戦争を始め、勝算なしに継続するという理不尽な行動を支えた構造のなかで、新聞が如何に大きい役割を果たしたかを理解することが大切だ。理解することでメディアを見る目も育つだろう。
そして現在、いつもながらの各社一斉の集中報道(メディアスクラム)を見ていると、いまのメディアに大局的、理性的な見識を期待して大丈夫かなと不安になる。
「兵士たちは禁じられた2曲を歌ってくれとせがんで聞かない。罰を受けてもいい。淡谷さんは腹をくくって歌う◆兵士たちはぽろぽろ涙を流して聴いた。監視役の将校は気を利かせて席をはずした。…」
一方、08月12日付の朝日新聞の天声人語には次のような一文がある。
「きょうが誕生から100年と聞き、戦時中も軍歌を拒み続けた硬骨の生涯を思った。レコードだけではない。兵を死地に追いやる歌だと、戦地の慰問でも歌わなかった人である」
読売が11日、朝日が12日であるから、はじめ朝日のパクリかと思ったが、生誕100年とあるから、双方の記者とも同じネタの探し方をした結果だと了解した。日替わりで記事を書く場合の定石なのだろうが、横並びで個性のなさを表している。
それにしても国民を戦争へと煽り、戦争に積極的に協力した新聞が、よくもこんな話を他人事のように紹介できるものだと思う。改めて面の皮の厚さに感心した。
一人の歌手が時流に流されず、規則を破ってまで姿勢を崩さなかったのに対して、新聞は集団で時流に乗るだけでなく、さらに積極的に押し進めた。この記事からは反省の気持ちは感じられない。
60余年の遅蒔きながら、反省の動きも少しはある。昨年、読売は「検証 戦争責任Ⅰ」「検証 戦争責任Ⅱ」を出版した。また朝日も「戦争責任と追悼」を出した。読売の2部作は比較的中立的な立場から書かれており、戦争を概観するのに適している。朝日の「戦争責任と追悼」は右翼論壇に対する反論が目立ち、あまり評価できない。アマゾンのカスタマーレビューの評価も低いものばかりだ。
そのなかで、前にも触れたが、朝日夕刊に連載中の「新聞と戦争」は新聞の戦争責任について、納得できる内容のものがようやく出たという印象がある。戦争に積極的に協力した新聞の姿勢が正直に書かれているように思う。しかし残念なことにこの連載記事は目立たない。記事の重要性を考えると一面の左上がふさわしいと思うのだが。
8月15日が近づくと、各メディアは横並びで、戦争の悲惨さや軍部の罪を訴える特集で埋められる。年中行事である。だが自ら新聞の責任を言及する特集はあまり見られない。
特攻や白兵戦による玉砕など、日本の戦争のやり方は特異なものであった。そのため犠牲はより大きくなり、より悲惨な結果を招いた。まるで国民全体が宗教のように洗脳されている観があった。その状況に大きく手を貸したのが煽動した新聞であるのは疑いのない事実だ。
戦争の悲惨さを訴えるだけでは十分ではない。戦争を始め、勝算なしに継続するという理不尽な行動を支えた構造のなかで、新聞が如何に大きい役割を果たしたかを理解することが大切だ。理解することでメディアを見る目も育つだろう。
そして現在、いつもながらの各社一斉の集中報道(メディアスクラム)を見ていると、いまのメディアに大局的、理性的な見識を期待して大丈夫かなと不安になる。