以下は1月30日の朝日新聞に載った『新人黙らす「小沢5原則」』の要約です。ご存知の方も多いと思いますが、たいへん興味深いことなので一部引用します。
『昨年8月の総選挙で初当選した民主党の143人の新人議員が、鳩山由紀夫首相や小沢一郎幹事長をめぐる「政治とカネ」の問題に沈黙している。奔放な発言で注目を集めた自民党の「小泉チルドレン」とは対照的だ。そこには徹底的に新人を教育し、統制する小沢執行部の管理術がある。
衆院本会議や予算委員会の日。民主党の新人議員たちは国会内での「朝礼」を終えると、10班に分かれてミーティングに移る。10人の班長は中堅の国対副委員長らだ。
昨年の臨時国会ではヤジの飛ばし方も教育された。「朝礼」では小沢氏に近い山岡賢次国対委員長が訓示。教育方針には小沢氏の意向が反映されている。いわば「小沢5原則」だ。
その一つが「党内の出来事はすべて班長に報告」。班別行動は班長が新人を把握し、執行部の意向に反する不穏な動きに備え、新人たちの連携を分断する狙いから。
「目立つべからず」は、マスコミ露出や発言は制限するということ。土地取引事件で小沢氏の事務所の強制捜査があった後、新人が集まる会合があった。冒頭、執行部が「今日は質疑応答の時間はない」と発言を封じた。
さらに「政府の要職につくべからず」。今月、首相が小沢氏に「大臣補佐官に専門知識のある1年生を起用したい」と言うと、小沢氏は「それはいけない。専門知識があるかないかでなく、党内秩序の問題だ」と断ったという。
選挙の公認権と年間173億円にのぼる政党交付金の配分を握る小沢氏の権力は絶大だ』
つまり小沢氏はロボットのように自由に操れる議員を大量に作ろうとしているように見えます。組織としての機能が最優先である軍やスポーツチームならばよいのですが、政党がこれでは実に異様です。このような体質の政党が政権を担当するということは過去に例がなかったのではないでしょうか。
一方、小沢氏に詳しいとされる立花隆氏は文芸春秋09/11月号の『小沢一郎「闇将軍」の研究』でナチスを引き合いに出し、次のように述べています。
『小沢グループはすでに十分大きいのに、これに来年(2010年)の参院選のあとで加わることになる新人議員を加えたら、今のところちょっと予測がつかないが、総計200人を超えることは確実で場合によっては300人を超えてしまうかもしれない。
(略)とにかく日本の政治史上、前代未聞の数の力と情熱をもった政治集団がいま生まれ出ようとしているのだ。
(略)正直いって、私はこの事態を歓迎しない。気味が悪いことが起こりつつあると思っている。小沢がヒトラーのような人物というわけではないし、民主党のマニフェストがナチスの政治パンフレットのような甘言に満ちあふれているというわけではないが、あのナチスが国政選挙を通じて大量の議席を獲得して、合法的に1930年代のドイツを一挙に作りかえようとしはじめ、それを大衆が熱狂的に支持しているところを見たときに一部の人々が感じたであろうような、なんともいえない居心地の悪さ、不快感を感じている』
政府と与党の一元化、政治主導、官僚の会見禁止、国会答弁禁止、議員立法の禁止、陳情の一元化などは、与党を支配するものがすべてを支配するという方向を示すものです。また管直人氏は権力の暴走を防ぐための仕組みである三権分立を否定しています。官僚機構はいろいろ問題があるにせよ、政治の不安定さを緩和するスタビライザー(安定化装置)として機能していたわけで、その弱体化は両刃の剣となります。
小沢氏が権力を完全に握り、素晴らしい政治が実現されるかも知れません。しかし小沢氏によって作られた権力集中の仕組みは次の誰かが独裁者になる道を開く可能性があります。独裁者を許すような体制作りに対し、もう少し神経質になるべきでしょう。
小沢氏側近議員の逮捕後、与党から検察やマスメディアに圧力をかけようという動きが見られましたが、独裁が完成した暁にはもっと強力な統制が可能であり、その気になればメディアを黙らせることもできます。
朝日の記事は議員に対して強力な管理体制を敷く小沢体制を取り上げていますが、残念なことにあまり危機感がありません。「小泉チルドレン」とは対照的に、自由にものが言えない体制を指摘するにとどまり、それが言論の封殺、さらに民主政治の危機につながるという認識は感じられません。弱小政党ならいざ知らず、政権党が言論を封殺してまで権力集中を進めることに対してなぜ危機感を露わにしないのでしょうか。まあこういう記事が出るようになっただけマシですが。
民主政治が危機に瀕する可能性を含んでいたとすれば、今回の検察の働きは僥倖というべきかもしれません。
『昨年8月の総選挙で初当選した民主党の143人の新人議員が、鳩山由紀夫首相や小沢一郎幹事長をめぐる「政治とカネ」の問題に沈黙している。奔放な発言で注目を集めた自民党の「小泉チルドレン」とは対照的だ。そこには徹底的に新人を教育し、統制する小沢執行部の管理術がある。
衆院本会議や予算委員会の日。民主党の新人議員たちは国会内での「朝礼」を終えると、10班に分かれてミーティングに移る。10人の班長は中堅の国対副委員長らだ。
昨年の臨時国会ではヤジの飛ばし方も教育された。「朝礼」では小沢氏に近い山岡賢次国対委員長が訓示。教育方針には小沢氏の意向が反映されている。いわば「小沢5原則」だ。
その一つが「党内の出来事はすべて班長に報告」。班別行動は班長が新人を把握し、執行部の意向に反する不穏な動きに備え、新人たちの連携を分断する狙いから。
「目立つべからず」は、マスコミ露出や発言は制限するということ。土地取引事件で小沢氏の事務所の強制捜査があった後、新人が集まる会合があった。冒頭、執行部が「今日は質疑応答の時間はない」と発言を封じた。
さらに「政府の要職につくべからず」。今月、首相が小沢氏に「大臣補佐官に専門知識のある1年生を起用したい」と言うと、小沢氏は「それはいけない。専門知識があるかないかでなく、党内秩序の問題だ」と断ったという。
選挙の公認権と年間173億円にのぼる政党交付金の配分を握る小沢氏の権力は絶大だ』
つまり小沢氏はロボットのように自由に操れる議員を大量に作ろうとしているように見えます。組織としての機能が最優先である軍やスポーツチームならばよいのですが、政党がこれでは実に異様です。このような体質の政党が政権を担当するということは過去に例がなかったのではないでしょうか。
一方、小沢氏に詳しいとされる立花隆氏は文芸春秋09/11月号の『小沢一郎「闇将軍」の研究』でナチスを引き合いに出し、次のように述べています。
『小沢グループはすでに十分大きいのに、これに来年(2010年)の参院選のあとで加わることになる新人議員を加えたら、今のところちょっと予測がつかないが、総計200人を超えることは確実で場合によっては300人を超えてしまうかもしれない。
(略)とにかく日本の政治史上、前代未聞の数の力と情熱をもった政治集団がいま生まれ出ようとしているのだ。
(略)正直いって、私はこの事態を歓迎しない。気味が悪いことが起こりつつあると思っている。小沢がヒトラーのような人物というわけではないし、民主党のマニフェストがナチスの政治パンフレットのような甘言に満ちあふれているというわけではないが、あのナチスが国政選挙を通じて大量の議席を獲得して、合法的に1930年代のドイツを一挙に作りかえようとしはじめ、それを大衆が熱狂的に支持しているところを見たときに一部の人々が感じたであろうような、なんともいえない居心地の悪さ、不快感を感じている』
政府と与党の一元化、政治主導、官僚の会見禁止、国会答弁禁止、議員立法の禁止、陳情の一元化などは、与党を支配するものがすべてを支配するという方向を示すものです。また管直人氏は権力の暴走を防ぐための仕組みである三権分立を否定しています。官僚機構はいろいろ問題があるにせよ、政治の不安定さを緩和するスタビライザー(安定化装置)として機能していたわけで、その弱体化は両刃の剣となります。
小沢氏が権力を完全に握り、素晴らしい政治が実現されるかも知れません。しかし小沢氏によって作られた権力集中の仕組みは次の誰かが独裁者になる道を開く可能性があります。独裁者を許すような体制作りに対し、もう少し神経質になるべきでしょう。
小沢氏側近議員の逮捕後、与党から検察やマスメディアに圧力をかけようという動きが見られましたが、独裁が完成した暁にはもっと強力な統制が可能であり、その気になればメディアを黙らせることもできます。
朝日の記事は議員に対して強力な管理体制を敷く小沢体制を取り上げていますが、残念なことにあまり危機感がありません。「小泉チルドレン」とは対照的に、自由にものが言えない体制を指摘するにとどまり、それが言論の封殺、さらに民主政治の危機につながるという認識は感じられません。弱小政党ならいざ知らず、政権党が言論を封殺してまで権力集中を進めることに対してなぜ危機感を露わにしないのでしょうか。まあこういう記事が出るようになっただけマシですが。
民主政治が危機に瀕する可能性を含んでいたとすれば、今回の検察の働きは僥倖というべきかもしれません。