米国では9.11同時多発テロ後の3ヶ月間に、自動車事故の死者が前年より1000人ほど増えたといわれています。航空機を利用する人が減り、車の利用が多くなったためとされ、死者の増加数は皮肉にもテロで墜落した旅客機の犠牲者の4倍ほどにもなります。
テロの直後は航空機事故の印象が強く残り、航空機より死亡事故の確率が高い自動車を選択する人が増加した結果と考えられます。大きな事故や災害の直後は強い印象が刻まれるため、将来起きる確率を過大に見る傾向があります。このように印象などに基づいて簡便に判断する方法はヒューリスティックスと呼ばれます。つまり必要な情報の収集・分析を通じて最適な判断をするのではなく、手間ひまをかけない簡易な方法であり、当然のことながら誤りが多くなります。
例えば、池田小学校の児童殺傷事件の後、全国の小学校で警備員が配置されました。しかし、そのような危険が減少したわけでもないのに現在は多くがやめています。衝撃的な事件であり、マスコミの大報道によって強い印象を与えられ、確率を過大評価して必要以上の対策をとらせることになったと考えられます。
先日発表された南海トラフ地震の予想は1000年に1回程度のものだそうですが、東日本大震災の後だけに、切迫感があります。震災の後でなければ1000年に1回などといわれればあまり気になりません。1000年は世代数にすれば約30世代です。
凍結されていた高速道路が次々と建設されることになった理由は災害時の輸送確保となっていますが、災害直後に見られる認識の偏りを利用したずるいやり方です。いま、たいていの人の頭の中は災害の光景がいっぱい詰まっていて、災害の備えのためだ、と言えば誰も反対しにくいわけです。
原発事故も同様で、長期にわたる大報道によって強い印象を与えられた結果、大事故が起きる可能性は実際よりもずっと大きく思われていると推測できます。原発の是非は技術を含め多岐にわたる複雑な問題であり、私のような凡人にはとても判断できませんが、事故の印象が強く残っている時の判断は誤りとなる可能性が高く、もう少し頭が冷えてから判断した方がよいように思われます。
これとは逆に、戦争のように遠い過去にしか経験のないものは現実感が乏しく、印象も薄いので起きる確率を過小評価している可能性があります。「自称素人」の一川氏や、「実質素人」の田中氏を防衛相に任命したことは、政府が軍事問題を軽視していることの表れであり、民主党政権は他国の攻撃などまるで想定外としているように見えます。
北朝鮮は自称人工衛星の打ち上げに失敗して恥をかきましたが、日本政府もまた情報の処理・伝達で無能ぶりを世界に示し、赤恥をかきました。軍事的中枢の無能ぶりを見せれば侵略の意思のある他国は攻撃の誘惑に駆られます。戦争を防ぐ抑止力とは逆の効果であり、いままでの防衛努力を台無しにすることになります。
ついでながら、憲法第9条は主として日本が他国に攻めこむことを防ぐために作られました。しかし現在は攻めるより攻められるリスクの方が大きいと思われます。9条のおかげで敵国は致命的な反撃を受けるリスクが少なくなるわけで、攻撃する国にとって9条の存在は実に喜ばしいものでしょう。9条は抑止力ではなく、むしろ戦争の促進力として機能することが考えられます。
周辺諸国が軍事力を増強しているため、均衡は変化しつつあり、戦争のリスクは無視できる程度であるとは考えられません。約60年の平和を享受してきたことのためでしょうか、戦争のリスクは過小評価されているように思います。しかしそのリスクは地震の場合の1000年に1回より小さいとは決して言えないでしょう。そして戦争の被害は自然災害よりはるかに大きいのが普通です。
テロの直後は航空機事故の印象が強く残り、航空機より死亡事故の確率が高い自動車を選択する人が増加した結果と考えられます。大きな事故や災害の直後は強い印象が刻まれるため、将来起きる確率を過大に見る傾向があります。このように印象などに基づいて簡便に判断する方法はヒューリスティックスと呼ばれます。つまり必要な情報の収集・分析を通じて最適な判断をするのではなく、手間ひまをかけない簡易な方法であり、当然のことながら誤りが多くなります。
例えば、池田小学校の児童殺傷事件の後、全国の小学校で警備員が配置されました。しかし、そのような危険が減少したわけでもないのに現在は多くがやめています。衝撃的な事件であり、マスコミの大報道によって強い印象を与えられ、確率を過大評価して必要以上の対策をとらせることになったと考えられます。
先日発表された南海トラフ地震の予想は1000年に1回程度のものだそうですが、東日本大震災の後だけに、切迫感があります。震災の後でなければ1000年に1回などといわれればあまり気になりません。1000年は世代数にすれば約30世代です。
凍結されていた高速道路が次々と建設されることになった理由は災害時の輸送確保となっていますが、災害直後に見られる認識の偏りを利用したずるいやり方です。いま、たいていの人の頭の中は災害の光景がいっぱい詰まっていて、災害の備えのためだ、と言えば誰も反対しにくいわけです。
原発事故も同様で、長期にわたる大報道によって強い印象を与えられた結果、大事故が起きる可能性は実際よりもずっと大きく思われていると推測できます。原発の是非は技術を含め多岐にわたる複雑な問題であり、私のような凡人にはとても判断できませんが、事故の印象が強く残っている時の判断は誤りとなる可能性が高く、もう少し頭が冷えてから判断した方がよいように思われます。
これとは逆に、戦争のように遠い過去にしか経験のないものは現実感が乏しく、印象も薄いので起きる確率を過小評価している可能性があります。「自称素人」の一川氏や、「実質素人」の田中氏を防衛相に任命したことは、政府が軍事問題を軽視していることの表れであり、民主党政権は他国の攻撃などまるで想定外としているように見えます。
北朝鮮は自称人工衛星の打ち上げに失敗して恥をかきましたが、日本政府もまた情報の処理・伝達で無能ぶりを世界に示し、赤恥をかきました。軍事的中枢の無能ぶりを見せれば侵略の意思のある他国は攻撃の誘惑に駆られます。戦争を防ぐ抑止力とは逆の効果であり、いままでの防衛努力を台無しにすることになります。
ついでながら、憲法第9条は主として日本が他国に攻めこむことを防ぐために作られました。しかし現在は攻めるより攻められるリスクの方が大きいと思われます。9条のおかげで敵国は致命的な反撃を受けるリスクが少なくなるわけで、攻撃する国にとって9条の存在は実に喜ばしいものでしょう。9条は抑止力ではなく、むしろ戦争の促進力として機能することが考えられます。
周辺諸国が軍事力を増強しているため、均衡は変化しつつあり、戦争のリスクは無視できる程度であるとは考えられません。約60年の平和を享受してきたことのためでしょうか、戦争のリスクは過小評価されているように思います。しかしそのリスクは地震の場合の1000年に1回より小さいとは決して言えないでしょう。そして戦争の被害は自然災害よりはるかに大きいのが普通です。