ロウソクの芯は融けたロウを吸い上げて燃やし、ロウがある限り、芯自体は燃えません。ロウは芯より気化しやすいため、芯はロウの気化熱によって低温に保たれるからです。多分これは中学生レベルの問題です。
20年前、大阪市東住吉区で女児が死亡した火災で、殺人や現住建造物等放火などの罪で無期懲役の判決が確定した母親ら元被告2人の再審開始決定に対する即時抗告審で、大阪高裁は再審開始を認めたとの報道がありました。
7リットルのガソリンを撒いた放火か、それとも自然発火か、が主な争点になり、複数回の実験も行われました。マスメディアの報道と「東住吉冤罪事件を支援する会」が掲載した約4年に亘る控訴審の記録にざっと目を通しただけの感想ですが、重要な点が争点にならなかったことに疑問を感じました。それにしても長年の弁護側の努力には頭が下がりますが。
私見ですが、それは車の燃料注入口の真下の塗装が帯状に焼け残っていたことです。これは周囲が高温に晒されたとき、この部分だけはガソリンに覆われていたことを示します。つまりガソリンが注入口から継続的に流れ出ていたことはほぼ確実と考えられます。これは放火がなくても出火した可能性があることを示します。
朴氏の第4回公判で弁護士から、現場を検証した警察官に対して、この点についての尋問がありましたが、その後は主要な争点になっていないようです。もしこの点が徹底的に検証されていれば放火説はかなり苦しくなっていたと思われます。
今回の高裁決定は「火が上る前にガソリンの漏出が始まっていたとうかがわせる痕跡などから、自然発火の可能性は具体的で現実性がある」とあるので、まともな評価をしているようです(痕跡を塗装の焼け残りと理解すればですが)。
放火と断定した地裁、高裁、最高裁はこの痕跡を正しく理解・評価することが出来なかったというわけです。その点、警察や検察などの司法関係者も同じですが・・・。以前の記事「検察の理系音痴を暴露した高裁判決」では東京女子医大事件でも同様の問題を指摘しましたが、司法関係者がもう少し科学の知識を持っていればこんなにことにはならなかったであろうと思います。
現象を科学的に理解することが出来なければ、より自白に頼る傾向が出てきても不思議ではありません。科学がいくら進んでも、司法関係者が文系ばかりでは被告が科学の恩恵を受けることは難しいというわけです。冤罪であればの話ですが、二人とも「偽の自白」に追い込んだ警察・検察の能力は「素晴らしい」ものです。濡れ衣の場合、誰でも十分に気をつける必要がありそうです。
死刑か無期懲役の判決が確定した戦後の事件で再審が始まったのは8件、すべて無罪が確定したそうです。再審開始=無罪であったわけで、これは再審が確定判決の決定的な誤りを認めて初めて開始されることを意味します。と同時に再審の実質的な意味が存在しないことも意味します。
長い時間がかかるのも問題です。8件の再審事件で、事件から無罪が決まるまでの平均は31.9年です。これも再審の実質的な意味の低下を意味します。誤判をゼロにすることは無理でしょうが、その疑いが生じたときは速やかに再審をすることはできるはずです。
横浜のマンションが2cmだけ傾いた事件では大手企業のトップまでが謝罪しました。メディアは原因の究明や再発防止にも熱心です。一方、冤罪事件は当人だけでなく、その家族にとっても人生を破壊されるほどの深刻な事態となりますが、そのわりには誤った判決を下した裁判官などが謝罪する姿を目にすることはなく、メディアにも誤判に対する問題意識があまり感じられません。やむを得ない冤罪判決もあるでしょうが、知識や能力不足によるものについては相応の謝罪やペナルティを受ける仕組みが欲しいところです。「疑わしきは罰せず」という原則もあるのですから。
20年前、大阪市東住吉区で女児が死亡した火災で、殺人や現住建造物等放火などの罪で無期懲役の判決が確定した母親ら元被告2人の再審開始決定に対する即時抗告審で、大阪高裁は再審開始を認めたとの報道がありました。
7リットルのガソリンを撒いた放火か、それとも自然発火か、が主な争点になり、複数回の実験も行われました。マスメディアの報道と「東住吉冤罪事件を支援する会」が掲載した約4年に亘る控訴審の記録にざっと目を通しただけの感想ですが、重要な点が争点にならなかったことに疑問を感じました。それにしても長年の弁護側の努力には頭が下がりますが。
私見ですが、それは車の燃料注入口の真下の塗装が帯状に焼け残っていたことです。これは周囲が高温に晒されたとき、この部分だけはガソリンに覆われていたことを示します。つまりガソリンが注入口から継続的に流れ出ていたことはほぼ確実と考えられます。これは放火がなくても出火した可能性があることを示します。
朴氏の第4回公判で弁護士から、現場を検証した警察官に対して、この点についての尋問がありましたが、その後は主要な争点になっていないようです。もしこの点が徹底的に検証されていれば放火説はかなり苦しくなっていたと思われます。
今回の高裁決定は「火が上る前にガソリンの漏出が始まっていたとうかがわせる痕跡などから、自然発火の可能性は具体的で現実性がある」とあるので、まともな評価をしているようです(痕跡を塗装の焼け残りと理解すればですが)。
放火と断定した地裁、高裁、最高裁はこの痕跡を正しく理解・評価することが出来なかったというわけです。その点、警察や検察などの司法関係者も同じですが・・・。以前の記事「検察の理系音痴を暴露した高裁判決」では東京女子医大事件でも同様の問題を指摘しましたが、司法関係者がもう少し科学の知識を持っていればこんなにことにはならなかったであろうと思います。
現象を科学的に理解することが出来なければ、より自白に頼る傾向が出てきても不思議ではありません。科学がいくら進んでも、司法関係者が文系ばかりでは被告が科学の恩恵を受けることは難しいというわけです。冤罪であればの話ですが、二人とも「偽の自白」に追い込んだ警察・検察の能力は「素晴らしい」ものです。濡れ衣の場合、誰でも十分に気をつける必要がありそうです。
死刑か無期懲役の判決が確定した戦後の事件で再審が始まったのは8件、すべて無罪が確定したそうです。再審開始=無罪であったわけで、これは再審が確定判決の決定的な誤りを認めて初めて開始されることを意味します。と同時に再審の実質的な意味が存在しないことも意味します。
長い時間がかかるのも問題です。8件の再審事件で、事件から無罪が決まるまでの平均は31.9年です。これも再審の実質的な意味の低下を意味します。誤判をゼロにすることは無理でしょうが、その疑いが生じたときは速やかに再審をすることはできるはずです。
横浜のマンションが2cmだけ傾いた事件では大手企業のトップまでが謝罪しました。メディアは原因の究明や再発防止にも熱心です。一方、冤罪事件は当人だけでなく、その家族にとっても人生を破壊されるほどの深刻な事態となりますが、そのわりには誤った判決を下した裁判官などが謝罪する姿を目にすることはなく、メディアにも誤判に対する問題意識があまり感じられません。やむを得ない冤罪判決もあるでしょうが、知識や能力不足によるものについては相応の謝罪やペナルティを受ける仕組みが欲しいところです。「疑わしきは罰せず」という原則もあるのですから。