3月10日の朝日新聞朝刊は「高浜原発差し止め」関連記事を1、2,3面と38、39面の大部分を使い、大歓迎しています。中でも申立人の一人を取り上げた記事はこの事件の性格を表しているようです。
「天にものぼる気持ち。これが本当の判断だと思う」とおっしゃる青田勝彦氏です。東日本大震災の後、福島から滋賀県に移住したが、『比良山の向こうに福井県の原発があることを思い出し、「この近くにも原発がある」。眠れない夜がまた、増えた。(中略)妻と30~40代の娘3人との5人暮らし。娘は内部被爆のことを考えると結婚や出産も不安だと話す』
朝日がこの人物を取り上げたのは、これが多くの人の賛同が得られる、つまり普遍性があると考えたからだと思われます。おそらく取材した記者も共感したのでしょう。しかし私にはとても普遍的なケースとは思えません。失礼ながらこの方は放射線に対する神経症(不安障害とも呼ばれます)の疑いがあるように思います。記者も、そして朝日新聞も同様の傾向があるように見えます。
眠れないほどの恐怖は、原発の苛酷事故発生確率を冷静に判断した結果とは思えないからです。年間死者4千人、負傷者70万人を生み出す交通システムの危険性の方がずっと大きいわけですが、反対運動は起きません。交通システムに改善方法がないわけではありません。例えば最高速度を30km/hにすれば輸送効率は犠牲になりますが、多分3千人以上の命は助かるでしょう。車の歩行者に対する衝突では30km/hでは死亡率は7%ですが、50km/hでは70%といわれています。要するに利便性と危険性のバランスの問題であり、我々は死者4千人を許容しているわけです。
原発がどれくらい危険かの評価は大変困難です。地震や津波などの外部要因の大きさやその確率、それらにどれくらい耐えるか、耐えられない場合の事故回避機能の信頼性、などを総合的に評価しなければなりません。その上で、原発を停止することの不利益、つまり化石燃料を使うことによるCO2の増加、輸入額の増加、電気代の増加、エネルギー安全保障の脆弱化、エネルギーコストの増加による工業製品の競争力低下、などを考慮する必要があります。
当然、私にもわかりませんが、反対派、賛成派の主張を見るとある程度の判断が可能です。主張に誤りや誇張があれば信頼性は下がります。論理的な整合性に問題があったり、主張がステレオタイプであれば意図的に流された情報である疑いがあります。視野が狭ければ認識に問題があるかも知れません。
原発を稼動するかどうかは事故の危険性と利益の双方から決めなければなりませんが、それには多くの専門家の綿密な議論が必要です。その合意の上で、運転の方針がきまったわけですが、それを一人の裁判官が覆したというわけです。もしそれが間違っていても責任を問われません。選挙で選ばれたわけでもない人物がこれほどの重大な決定してよいのでしょうか。山本善彦裁判長は離婚や交通事故など数多の小さな事件を扱われてきたのでしょうが、いかにお偉い方であっても、原発の安全性をひとりで評価できるだけの知識・能力をお持ちだとは思えません。
テレ朝の古館氏は「こうやって今回の差し止めのように今、おっしゃるようにごくごく真っ当なことをおっしゃっている裁判長の方はぜひ人事異動しないでほしいと思います」と述べたそうです。山本善彦氏は左派にとっては英雄ですが、関電と電気購買者にとっては有害人物です。定年間近の山本裁判長は将来、左派の有名弁護士として高額の収入を得ることができるかもしれませんが、その代償は1千億円になるかもしれない巨額の損失と司法の信頼失墜です。司法体制が無責任な決定を可能にしているわけです。
決定文には「福島第一の事故原因究明は建屋内での調査が進んでおらず、今なお道半ばの状態であり、津波を主たる原因として特定し得たとしてよいかも不明である」という記述がありますが、この認識は一般的とは言えず、原発反対派の影響がうかがえます。つまりこの決定は結論ありきのものであった可能性が強い。
原発稼動のような複雑、かつ重大な問題をたった一人の素人が判断できる仕組みそのものが問題です。3、4号機が停止すれば燃料を買うために毎月100~150億円のコストがかかるそうです。再稼動まで1年かかれば1千億円を超えます。これは実損ですから算定は可能です。被害を蒙るのは関電と一般の消費者ですから、もし関電の異議申し立てが認められれば、申立人に対し損害を請求できるのではないでしょうか。そうすれば今後、同種の仮処分申立人を絶滅させることができると思いますが。
「天にものぼる気持ち。これが本当の判断だと思う」とおっしゃる青田勝彦氏です。東日本大震災の後、福島から滋賀県に移住したが、『比良山の向こうに福井県の原発があることを思い出し、「この近くにも原発がある」。眠れない夜がまた、増えた。(中略)妻と30~40代の娘3人との5人暮らし。娘は内部被爆のことを考えると結婚や出産も不安だと話す』
朝日がこの人物を取り上げたのは、これが多くの人の賛同が得られる、つまり普遍性があると考えたからだと思われます。おそらく取材した記者も共感したのでしょう。しかし私にはとても普遍的なケースとは思えません。失礼ながらこの方は放射線に対する神経症(不安障害とも呼ばれます)の疑いがあるように思います。記者も、そして朝日新聞も同様の傾向があるように見えます。
眠れないほどの恐怖は、原発の苛酷事故発生確率を冷静に判断した結果とは思えないからです。年間死者4千人、負傷者70万人を生み出す交通システムの危険性の方がずっと大きいわけですが、反対運動は起きません。交通システムに改善方法がないわけではありません。例えば最高速度を30km/hにすれば輸送効率は犠牲になりますが、多分3千人以上の命は助かるでしょう。車の歩行者に対する衝突では30km/hでは死亡率は7%ですが、50km/hでは70%といわれています。要するに利便性と危険性のバランスの問題であり、我々は死者4千人を許容しているわけです。
原発がどれくらい危険かの評価は大変困難です。地震や津波などの外部要因の大きさやその確率、それらにどれくらい耐えるか、耐えられない場合の事故回避機能の信頼性、などを総合的に評価しなければなりません。その上で、原発を停止することの不利益、つまり化石燃料を使うことによるCO2の増加、輸入額の増加、電気代の増加、エネルギー安全保障の脆弱化、エネルギーコストの増加による工業製品の競争力低下、などを考慮する必要があります。
当然、私にもわかりませんが、反対派、賛成派の主張を見るとある程度の判断が可能です。主張に誤りや誇張があれば信頼性は下がります。論理的な整合性に問題があったり、主張がステレオタイプであれば意図的に流された情報である疑いがあります。視野が狭ければ認識に問題があるかも知れません。
原発を稼動するかどうかは事故の危険性と利益の双方から決めなければなりませんが、それには多くの専門家の綿密な議論が必要です。その合意の上で、運転の方針がきまったわけですが、それを一人の裁判官が覆したというわけです。もしそれが間違っていても責任を問われません。選挙で選ばれたわけでもない人物がこれほどの重大な決定してよいのでしょうか。山本善彦裁判長は離婚や交通事故など数多の小さな事件を扱われてきたのでしょうが、いかにお偉い方であっても、原発の安全性をひとりで評価できるだけの知識・能力をお持ちだとは思えません。
テレ朝の古館氏は「こうやって今回の差し止めのように今、おっしゃるようにごくごく真っ当なことをおっしゃっている裁判長の方はぜひ人事異動しないでほしいと思います」と述べたそうです。山本善彦氏は左派にとっては英雄ですが、関電と電気購買者にとっては有害人物です。定年間近の山本裁判長は将来、左派の有名弁護士として高額の収入を得ることができるかもしれませんが、その代償は1千億円になるかもしれない巨額の損失と司法の信頼失墜です。司法体制が無責任な決定を可能にしているわけです。
決定文には「福島第一の事故原因究明は建屋内での調査が進んでおらず、今なお道半ばの状態であり、津波を主たる原因として特定し得たとしてよいかも不明である」という記述がありますが、この認識は一般的とは言えず、原発反対派の影響がうかがえます。つまりこの決定は結論ありきのものであった可能性が強い。
原発稼動のような複雑、かつ重大な問題をたった一人の素人が判断できる仕組みそのものが問題です。3、4号機が停止すれば燃料を買うために毎月100~150億円のコストがかかるそうです。再稼動まで1年かかれば1千億円を超えます。これは実損ですから算定は可能です。被害を蒙るのは関電と一般の消費者ですから、もし関電の異議申し立てが認められれば、申立人に対し損害を請求できるのではないでしょうか。そうすれば今後、同種の仮処分申立人を絶滅させることができると思いますが。