噛みつき評論 ブログ版

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左翼・右翼は対立概念か

2016-12-26 09:26:46 | マスメディア
 前回の「バカな政党、バカなメディア」で、読売と産経は共産主義の桎梏から逃れたと書きました。それは左翼から右翼へ転向したという意味ではないことを示したかったからです。一般に左翼思想と右翼思想は対立概念として扱われますが、そのような見解は必ずしも適切ではないと思います。

 左翼でないとなると右翼だと見られがちですが、そうとは限りません。自由な市場経済を基本とする社会体制は大昔から存在しているわけで、自然発生的なものです。それを説明するための理論はあっても、もともとそれは説明するためのものであり、誰かが理想を実現しようとなどして考え出したものではないでしょう。

 キリスト教は聖書を、イスラム教はコーランを経典とするように、左翼思想はマルクスの資本論や共産党宣言がその経典と考えられます。それに対して右翼思想の教典と呼べるものはありません。右翼に含まれる戦時中の国粋主義などには教典らしきものがないわけではありませんが、一般的なものとは言えません。

 つまり左翼思想は宗教と同様、作為的な思想という色合いが強いのに対し、それに対立する右翼思想というものは、ごく一部の過激な思想を除いては存在しないと言ってよいと思います。あまり良い語感とはいえませんが、ネトウヨと呼ばれる人々の多くは右翼思想に染まったわけでなく、左派の主張を批判するだけの立場であると思います。ネトウヨが増えたのはネットの普及もありますが、左派の主張が現実性を失って、ますます愚かに見えてきたためでもありましょう。

 もともと右翼という言葉は国粋主義者や国家社会主義、民族主義、更には街宣車を使う暴力団系の街宣右翼などに雑多なものに使われ、概念としてずいぶん曖昧です。一方の左翼思想は思想らしい思想で、特定の体系を持ち宗教と多くの共通点を持っています。両者を対立概念として考えるのはかなり無理があると思います。

 二つのものを対立概念と捉え、どちらかを好む、あるいは嫌うということを私たちはよくやります。スポーツ観戦の心理にも通じるように思います。スポーツなら罪はないのですが、左翼右翼といったものを対立概念としてふさわしいかということを十分検討する必要があると思います。左翼に対する非左翼、あるいは左翼に対するまともな人(かぶれていない人)という表現がよいでしょう。宗教や左翼思想を信じする人は頭が何かで染め上げられている特殊な人々として分類すべきです。

 マスメディアはこのような対立概念を用いて説明するのがお好きなようで、読んだ方もなんとなくわかったような気にさせられます。ついでながら、左翼思想は思想としての特徴を多く備えているので、現実認識の狂いも大きくなるのは道理です。鳥越俊太郎氏は根拠もなく「中国が攻めてくることなどあり得ない」と発言しているように、非武装中立論も宗教的な確信から生まれたものでしょう。イスラム過激派やISと同様、世界を正しく認識できない左翼メディアは困ったものです。