長谷部泰男早大教授と杉田敦法制大教授は朝日新聞御用達の学者です。彼らは朝日紙面に二人セットでしばしば登場します。このうち長谷部泰男氏は自民党側の参考人として、国会で「集団的自衛権の行使は違憲」と推薦者の期待を裏切り、彼を推薦した自民党の船田氏は失態を天下に示しました。
11月29日の朝日には1ページの大半を使った長谷部・杉田、両氏の対談が載っています。そこには我々の常識をひっくり返すような興味深い文言が並んでたいたので紹介したいと思います。さすがは朝日新聞だと感心しましたが。
長谷部
「法律の現実を形作っているのは法律家共同体のコンセンサスです。国民一般が法律の解釈をするわけにはいかないでしょう。素っ気な言い方になりますが、国民には法律家共同体のコンセンサスを受け入れるか受け入れないか、二者択一してもらうしかないのです」
杉田
「おそらく、宗教と並んで、法について解釈学が発達してきたことには理由があり、専門的な解釈の積み重ねによってしか運用できないものなのでしょう。しかし、それは一般にはなかなか理解されない。解釈の余地がない、透明な秩序を作れるはずだと多くの人が思っている。憲法についても国民自身が参加する透明な手続きで、透明なものに作りかえられるし、その方が望ましい。国民の同意によって出来た憲法であれば、政府を縛る力が強まるはずだと」
長谷部
「しかし、同意が基礎だと言い始めたら、10年、20年おきに憲法を全部作り直さないといけなくなります。しかも、同意は法律や憲法の正統性を基礎付けることにはならない。(中略)みんなで決めたことだから正しいという主張に根拠はない」
長谷部氏は「国民一般が法律の解釈をするわけにはいかない」といっています。しかもこれは限定なし、すべての法律についてです。つまり法律は選挙で選ばれた議員によって作られますが、その解釈は国民に選ばれたわけでもない法律家の思い通りになるというお考えのようです。まさしく現代のパリサイ人、人間の考えることは変わりませんね。
また「国民には法律家共同体のコンセンサスを受け入れるか受け入れないか、二者択一してもらうしかない」という述べていますが、ここには法律家共同体という一枚岩の組織があるかのようです。法律家の中で解釈の分かれる法律や憲法は数多くありますから法律家共同体のコンセンサスというのは現実の話ではないのでしょう。もっともそんな共同体があれば政権に代わる支配者となる可能性があります。
法律家共同体のコンセンサスを受け入れない国民はどうなるのでしょうか。解釈に背くもの、つまり法に背くものとして扱われるのでしょうか。そして後半、長谷部氏は、みんなの同意で決まったものでも法律や憲法や正統性を基礎付けることにはならないとし、同意があっても憲法を作り直すことを否定しています。その理由として多数決が正しいとは限らないことを挙げています。そして10年、20年おきに憲法を全部作り直さないといけないと言って、部分的な修正を考えていません。全く変えないか、全部作り直すかの二者択一、法律家共同体のコンセンサスに二者択一、中間を認めない単純化であり、非現実的な議論になります。こういうのを空論というのでしょう。
海外では憲法を頻繁に変える国は珍しくありません。憲法を変えず、自分達が解釈権を独占することによって憲法の実質的な運用者になることを考えているのではないか、と勘ぐりたくなります。多数決はよい方法とは思いませんが、他にいい方法がないから仕方なく採用されているわけで、それまで否定すれば民主主義は成り立ちません。多数決を否定するのであれば、法律家共同体のコンセンサスはどうして作れるのでしょうか。ヒトラーのような独裁者に期待するのでしょうか。
長谷部氏の議論は法律家共同体のコンセンサス、同意は憲法や法律の正統性を基礎付けることにならない、多数が決めることに対する否定と、理解に苦しむ言葉が並びます。この朝日の記事は一般向けに平易に書かれたものなので、私の読解力が足りない可能性は小さいと思います。それとも彼長谷部氏の文章には「解釈学」が必要なのでしょうか。
長谷部氏のような影響力のある学者がこんな珍妙で非現実的な議論をされることに驚きます。もしかして憲法学会は左の勢力が強いため、学問的な業績より左偏向の強さが学会での地位向上につながるのではないか、と邪推したくなります。そしてこんな長谷部氏の議論を継続して掲載してきた朝日の見識こそ問題です。
同社大学の現学長、村田晃嗣氏は次期学長選挙に敗れましたが、その理由は7月に安保法制をめぐる衆院特別委の中央公聴会で「中国が力をつけるなか、日米同盟の強化は理にかなっている」と述べたためだとされています。彼の発言はごくあたりまえのことと思われますが、選挙人たちは気に入らなかったようです。左翼でなければ出世は無理なようです。信条によって差別されないと、憲法14条には書いてあるのですが。
10年程前、村田晃嗣氏の小論文を読んだことがあり、なかなかの見識を備えた人物だ思っていただけに、信条によって地位を奪われるような事態は残念です。また左翼による圧力や弾圧を誰も問題視しないことも腑に落ちません。
11月29日の朝日には1ページの大半を使った長谷部・杉田、両氏の対談が載っています。そこには我々の常識をひっくり返すような興味深い文言が並んでたいたので紹介したいと思います。さすがは朝日新聞だと感心しましたが。
長谷部
「法律の現実を形作っているのは法律家共同体のコンセンサスです。国民一般が法律の解釈をするわけにはいかないでしょう。素っ気な言い方になりますが、国民には法律家共同体のコンセンサスを受け入れるか受け入れないか、二者択一してもらうしかないのです」
杉田
「おそらく、宗教と並んで、法について解釈学が発達してきたことには理由があり、専門的な解釈の積み重ねによってしか運用できないものなのでしょう。しかし、それは一般にはなかなか理解されない。解釈の余地がない、透明な秩序を作れるはずだと多くの人が思っている。憲法についても国民自身が参加する透明な手続きで、透明なものに作りかえられるし、その方が望ましい。国民の同意によって出来た憲法であれば、政府を縛る力が強まるはずだと」
長谷部
「しかし、同意が基礎だと言い始めたら、10年、20年おきに憲法を全部作り直さないといけなくなります。しかも、同意は法律や憲法の正統性を基礎付けることにはならない。(中略)みんなで決めたことだから正しいという主張に根拠はない」
長谷部氏は「国民一般が法律の解釈をするわけにはいかない」といっています。しかもこれは限定なし、すべての法律についてです。つまり法律は選挙で選ばれた議員によって作られますが、その解釈は国民に選ばれたわけでもない法律家の思い通りになるというお考えのようです。まさしく現代のパリサイ人、人間の考えることは変わりませんね。
また「国民には法律家共同体のコンセンサスを受け入れるか受け入れないか、二者択一してもらうしかない」という述べていますが、ここには法律家共同体という一枚岩の組織があるかのようです。法律家の中で解釈の分かれる法律や憲法は数多くありますから法律家共同体のコンセンサスというのは現実の話ではないのでしょう。もっともそんな共同体があれば政権に代わる支配者となる可能性があります。
法律家共同体のコンセンサスを受け入れない国民はどうなるのでしょうか。解釈に背くもの、つまり法に背くものとして扱われるのでしょうか。そして後半、長谷部氏は、みんなの同意で決まったものでも法律や憲法や正統性を基礎付けることにはならないとし、同意があっても憲法を作り直すことを否定しています。その理由として多数決が正しいとは限らないことを挙げています。そして10年、20年おきに憲法を全部作り直さないといけないと言って、部分的な修正を考えていません。全く変えないか、全部作り直すかの二者択一、法律家共同体のコンセンサスに二者択一、中間を認めない単純化であり、非現実的な議論になります。こういうのを空論というのでしょう。
海外では憲法を頻繁に変える国は珍しくありません。憲法を変えず、自分達が解釈権を独占することによって憲法の実質的な運用者になることを考えているのではないか、と勘ぐりたくなります。多数決はよい方法とは思いませんが、他にいい方法がないから仕方なく採用されているわけで、それまで否定すれば民主主義は成り立ちません。多数決を否定するのであれば、法律家共同体のコンセンサスはどうして作れるのでしょうか。ヒトラーのような独裁者に期待するのでしょうか。
長谷部氏の議論は法律家共同体のコンセンサス、同意は憲法や法律の正統性を基礎付けることにならない、多数が決めることに対する否定と、理解に苦しむ言葉が並びます。この朝日の記事は一般向けに平易に書かれたものなので、私の読解力が足りない可能性は小さいと思います。それとも彼長谷部氏の文章には「解釈学」が必要なのでしょうか。
長谷部氏のような影響力のある学者がこんな珍妙で非現実的な議論をされることに驚きます。もしかして憲法学会は左の勢力が強いため、学問的な業績より左偏向の強さが学会での地位向上につながるのではないか、と邪推したくなります。そしてこんな長谷部氏の議論を継続して掲載してきた朝日の見識こそ問題です。
同社大学の現学長、村田晃嗣氏は次期学長選挙に敗れましたが、その理由は7月に安保法制をめぐる衆院特別委の中央公聴会で「中国が力をつけるなか、日米同盟の強化は理にかなっている」と述べたためだとされています。彼の発言はごくあたりまえのことと思われますが、選挙人たちは気に入らなかったようです。左翼でなければ出世は無理なようです。信条によって差別されないと、憲法14条には書いてあるのですが。
10年程前、村田晃嗣氏の小論文を読んだことがあり、なかなかの見識を備えた人物だ思っていただけに、信条によって地位を奪われるような事態は残念です。また左翼による圧力や弾圧を誰も問題視しないことも腑に落ちません。
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