「悪い記者の真似をして、あるいは週刊誌を読みすぎて、進んで情報の味付けをする。そうするのが新聞に対する広報サービスだと思っているらしい、という。同時に、このサービスの裏には警察の点とり主義ということもある。つまり情報の味付けによって記事の扱いが大きくなれば、それが広報担当者ないし警察署幹部の点数になるのである。東京の各警察署は警察記事の切り抜きにはげみ、扱い件数の多さと扱い段数の大きさを競っている。少しでも扱い段数を大きくしようとして「明日の夕刊、紙面のあき具合はどうですか」と記者クラブにたずねてくる広報担当者なども珍しくない。明日の紙面が何か予定があって一杯なら明後日にしよう、というわけである」
これは「新聞記者 疋田桂一郎とその仕事」215ページにある文章で、1970年代のものです。
清原容疑者逮捕直後の2~3日、どの新聞もテレビ局もこの事件で埋め尽くされた感があります。上記のような事情が警察にあるとすれば、清原容疑者が逮捕された事件は警察の大手柄ということになります。警察は2年間ほどかけて綿密な捜査をしたとされ、一時期は組織犯罪対策5課が総動員されたと報じられています。
しかし、この事件は覚せい剤所持容疑ということであり、他の誰かを傷つけたり、被害を与えたりするものではなく、本人が健康を損ね、自滅する可能性があるだけの事件です。彼は密売組織のカモであり、被害者でもあります。それだけに捜査資源を大量に使う警察の方針は疑問です。この事件のために捜査がおろそかになり、他人を害するような重要犯罪が見逃された可能性は否定できません。
大臣や学長が覚せい剤に手を染めたり買春をやったりすれば、その落差にびっくりし、ニュース価値を持ちます。しかし清原容疑者は優れた選手であったとしても高潔な人格者とは限らす、その意味では意外性はありません。堕ちた英雄としての興味なのでしょうが、少し騒ぎすぎの観があります。影響は彼の子供達にも及ぶでしょう。野次馬達の欲望を満たすための大きな、そして理不尽な代償です。
有名人が覚せい剤所持で逮捕されれば、覚せい剤使用に対する警鐘となることを期待したのかもしれませんが、逆にあの有名な人がやってまだちゃんと生きているのなら、オレもやってみよう、という負の影響もないとは言えません。
疋田桂一郎氏が上記の文を書いたのは40年ほど前ですが、現代の警察にも十分通じるようです。警察から特大のニュースネタをもらう立場のメディアが警察の捜査を批判することはなさそうです。警察はポピュリズムに堕することなく、地道であっても、はるかに影響の大きい密売組織への捜査を優先するのがあったりまえ、と思うのですが。
ついでながら現在の報道にも十分通用する疋田桂一郎氏の言葉を紹介します。
「警察につかまるのは悪人にきまっている。悪人については何を書いてもかまわない、とでもいうのだろうか。このような事件報道が、人を何人殺してきたか、と思う」・・・かつては朝日にも立派な記者がいたようです。
これは「新聞記者 疋田桂一郎とその仕事」215ページにある文章で、1970年代のものです。
清原容疑者逮捕直後の2~3日、どの新聞もテレビ局もこの事件で埋め尽くされた感があります。上記のような事情が警察にあるとすれば、清原容疑者が逮捕された事件は警察の大手柄ということになります。警察は2年間ほどかけて綿密な捜査をしたとされ、一時期は組織犯罪対策5課が総動員されたと報じられています。
しかし、この事件は覚せい剤所持容疑ということであり、他の誰かを傷つけたり、被害を与えたりするものではなく、本人が健康を損ね、自滅する可能性があるだけの事件です。彼は密売組織のカモであり、被害者でもあります。それだけに捜査資源を大量に使う警察の方針は疑問です。この事件のために捜査がおろそかになり、他人を害するような重要犯罪が見逃された可能性は否定できません。
大臣や学長が覚せい剤に手を染めたり買春をやったりすれば、その落差にびっくりし、ニュース価値を持ちます。しかし清原容疑者は優れた選手であったとしても高潔な人格者とは限らす、その意味では意外性はありません。堕ちた英雄としての興味なのでしょうが、少し騒ぎすぎの観があります。影響は彼の子供達にも及ぶでしょう。野次馬達の欲望を満たすための大きな、そして理不尽な代償です。
有名人が覚せい剤所持で逮捕されれば、覚せい剤使用に対する警鐘となることを期待したのかもしれませんが、逆にあの有名な人がやってまだちゃんと生きているのなら、オレもやってみよう、という負の影響もないとは言えません。
疋田桂一郎氏が上記の文を書いたのは40年ほど前ですが、現代の警察にも十分通じるようです。警察から特大のニュースネタをもらう立場のメディアが警察の捜査を批判することはなさそうです。警察はポピュリズムに堕することなく、地道であっても、はるかに影響の大きい密売組織への捜査を優先するのがあったりまえ、と思うのですが。
ついでながら現在の報道にも十分通用する疋田桂一郎氏の言葉を紹介します。
「警察につかまるのは悪人にきまっている。悪人については何を書いてもかまわない、とでもいうのだろうか。このような事件報道が、人を何人殺してきたか、と思う」・・・かつては朝日にも立派な記者がいたようです。
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