
『 バナナの叩き売り発祥の地 』
バナナの叩き売り発祥由来の記
昔しを偲べば、大陸、欧州、台湾、国内航路の基盤と、
九州鉄道の発着の基地点として大いに発展した。
ここ桟橋通りは往昔の絵巻の一コマとして、
アセチレンの灯のにぶい光の下で、黄色くうれたバナナを戸板にならべ、
だれとはなしに産まれ伝わる名セリフは大正初期~昭和13、14年頃まで不夜城を呈し、
日本国中の旅行者の目を楽しませた。
バナナの叩き売りの風情は門司港のこの桟橋通り付近を発祥の地と由来せし。
と、説明板に書かれてある。

門司港駅構内にある 「 0哩 」 の起点
バナナの叩き売り(バナナのたたきうり)は、かつて八百屋、露天商、的屋が行う、
独特の口上を述べながら客を引き寄せてバナナを露天で売る手法。
いわゆる啖呵売のひとつとして有名である。
大正時代初期に福岡県北九州市門司区の門司港周辺で行われたのが元祖。
門司港がバナナの叩き売りが有名なのは、
バナナを神戸に運ぶためにその過程で悪くなったバナナをいち早く捌くため。
また、当時、鉄道の九州の玄関口が門司港だった事。
バナナだけでなくて物資を運ぶためには、当時鉄道が主で、
九州の玄関口が門司港だったため。
今でも九州の起点として0哩の塚がある。