中津城内にある 「 西南の役中津隊之碑 」
大分県中津市の中心街にある中津城。
その場内に建立された宇都宮氏を祀る「城井神社」の手前に
「 西南の役中津隊之碑 」がある。
西南戦争の時には他藩であった旧中津藩士・増田栄太郎は、
「 一日西郷に接すれば一日の愛生ず。
三日接すれば三日の愛生ず。
親愛日に加わり、今は去るべくのあらず。
ただ死生をともにせんのみ 」 と、
まるで初恋をした少女のような台詞を吐いた。
増田栄太郎 ( 福沢諭吉の又従兄弟 ) を中心とする中津士族約60名が決起。
中津城内の大分県中津支庁を襲い、武器弾薬を奪い中津城は炎上。
4月1日~2日大分県庁を攻撃。
県庁は政府軍に救援を求めたが満足な救援が得られず、
4月1日県内の杵築・日出・鶴崎で士族を急募。
55名を “ 臨時巡査 ” に採用し警視隊・県所轄巡査隊と共に守り抜いた。
中津隊は諦めて薩軍に合流するため大分を去る。
臨時巡査は4月3日に中津隊が去るまで召集された。
4月2日、中津士族の反乱に続き宇佐郡敷田村 ( 現宇佐市 ) で一揆が起こる。
翌日には下毛郡・国東郡に拡大。
学校・吏員住宅・富農・富商への放火・略奪・破壊をくり返して暴徒化した。