「 九州 ・ 沖縄 ぐるっと探訪 」

九州・沖縄・山口を中心としたグスク(城)、灯台、石橋、文化財および近代土木遺産をめぐる。

猛スピードで開花  「 今が見ごろ満開の桜 」

2018-03-31 18:41:03 | お題


















































































今月半ばまで蕾だった桜が、
後半の暖かい気温に反応して一気に開花した。
それは 「 あっ! 」 と言う間の速さだった。

ちなみに写真の桜は
福岡県みやこ町犀川の祓川沿いにある
個人が手入れした 「 季楽庵 」 さんの桜である。



熊本県宇土市 ・ 海苔漁民の救世主 「 ドゥルー女史記念碑 」

2018-03-31 13:11:41 |  滝 ・ 名所 ・ 神社仏閣














江戸時代の初めから行われていた日本の海苔養殖産業は、
人工採苗技術が確立するまでは自然任せの産物で、
年ごとの採取量が安定していなかった。
そのため海苔は 「 海苔1枚,米1升 」 と呼ばれるほど高価なもので、
庶民の口には程遠い存在でした。

1949年,英国マンチェスター大学の海藻学者であった
ドゥルー女史が海苔の生態を解明したことにより、
海苔の人工採苗の技術が確立され,海苔産業は飛躍的な発展を遂げた。

ドゥルー女史は九州大学の瀬川宗吉教授と親交があり、
研究の成果を同教授に手紙で知らされ、
教授は熊本県水産試験場の太田扶桑男技師に伝えられた。
そして1953年、遂に太田技師が人工採苗に成功した。
この結果、日本の海苔養殖技術が飛躍的に発展し、
現代の海苔養殖が確立された。

1957年,ドゥルー女史は日本の海苔養殖の発展を知ることなく、
56歳という若さでこの世を去った。

「 海苔漁民の救世主 」 となった女史の功績を永遠に称えようと、
1963年に海苔漁民の手によって、
有明海を一望できる住吉公園に記念碑が建立されたものである。
それ以後、毎年4月14日、
県内外の海苔養殖関係者が集まり 「 ドゥルー祭 」 が開催されている。

平成13年,ドゥルー女史生誕100年を記念して、
ドゥルー女史のご子息・ご息女を招いて
「 ドゥルー女史生誕100年記念事業 」 が実施された。



 「 悩ましの大根と今日のコトバ 」

2018-03-31 06:25:41 | 日記 ・ イベント








今日もテレビが映らない。
それで、悩ましの大根と今日のコトバにした。
今朝は西の半空に白い月が浮かんでいた。
昨日ほど赤くなかったが、真ん丸い月だった。

昨夜から喉がいがらっぽくて、風邪気味である。
思えば去年の今頃インフルエンザにかかった。
ひょっとしてそうかも知れない。
そうそう、現場で貰った大根だが、
あまりにも悩まし気なので、掲載することにした。

二十八宿 胃 ( い ) 世話事、普請、造作、公事に吉。


     今日のコトバ

 同じあやまちを再び繰り返すな

 ( 神谷正太郎  1898~1980  昭和期の実業家 )