束柱を支える束石が遺る館跡
館跡に行くまでを案内した途中にある看板
館跡にある配置図の看板
館跡の入り口
館内に入ってすぐの右側にある 「 馬屋跡 」 の路標
平場になった 「 馬屋跡 」
左側にある空堀の路標
斜めに立ち上がった土手の下の空堀
虎口の奥に石垣が見える
上から見ると枡形がよく分かる
鳥居がある入り口付近から見た枡形虎口
階段の先に 「 隈部神社 」 の鳥居がある
大きな木に挟まるように建つ鳥居
隈部神社本殿へと続く道
神社入口の脇にある 「 隈部氏館跡 」 の説明板
尖頭型の立石を起点とした庭園
広々とした館跡
標高340mの平場の館跡
館跡から見た菊鹿の町
隈部氏館跡は、中世、肥後国の有力国人であった隈部氏の
16世紀代の居館跡である。
館跡は、筑後・豊後の国境にほど近い八方ヶ岳山系の南西側山腹、
山鹿市菊鹿町上永野の標高340m程の地点に所在している。
天正15年 ( 1587 ) 、肥後国主の佐々成政の支配に反旗を翻した
肥後国衆 ( くにしゅう ) 一揆の中心的人物として有名な
隈部親永が隈府城に移るまで、隈部氏が本拠としたのが隈部氏館である。
館跡は、主郭を中心に、裏側に堀切2条、
西側斜面に小段群、館正面側の南西縁下に大規模な堀切を、
館正面に二つの区画を配する。
入り口部に石積みの枡形虎口 ( ますがたこぐち ) を設ける主郭では、
礎石建物3棟、雨落溝 ( あまおちみぞ )、
炉跡と思われる環状の石組、
庭園遺構等が見つかった。
見つかった建物はそれぞれ主殿、庭園を伴う会所、
蔵や台所の建物と推測される。
庭園遺構は、遠くの山並みを背景に、
滝石組 ( たきいしぐみ ) 最上部に据えられた
尖頭型 ( せんとうがた ) の立石 ( りっせき ) を起点として、
背後の丘が南へ下がっていく地形に応じるように、
順次高さを低くしながら要所に石を立てる構成である。
このように、中世肥後を代表する国人隈部氏の居館であり、
戦国時代の国人領主の居館の様相を知る上で貴重である。
所在地 / 熊本県山鹿市菊鹿町上永野1516-2