「 九州 ・ 沖縄 ぐるっと探訪 」

九州・沖縄・山口を中心としたグスク(城)、灯台、石橋、文化財および近代土木遺産をめぐる。

あります。

2018-05-24 19:47:41 | お題








ボクらの青春時代は、
スマホはおろか、
携帯電話もなければメールもない時代だったので、
想いを伝えるのは、手紙が主流だった。
もちろん、それは想いを寄せた人への恋文である。

いま思うと、あのころは純情で、
  ” 好きです ” などの歯の浮いたようなコトバは照れがあって
ストレートに書けなくて、
自分の夢とか思想とかを書いた真面目な文面だったように思う。


最近あるメモ紙の文字に恋をした。
顔も知らなければ名前すら知らない人の文字に・・・

 「 文字に恋? 」 って思うかも知れないけれど、
白い紙に書かれた文字に恋をしたのである。


熊本県菊鹿町  「 原口五一郎 顕彰碑 」

2018-05-24 13:08:08 |  滝 ・ 名所 ・ 神社仏閣















菊鹿町にあるこの碑は、江戸時代末から明治時代にかけて
菊鹿 ( 主に下内田 ) 地区の発展に尽力した
下内田村の九代目庄屋であった原口五一郎 ( 文政10年~明治28年 )を
顕彰した石碑である。 

碑はもともと明治14年に日渡の旧火葬場近くに立っていたが、
平成16年に現在の場所に移されたものである。

原口五一郎は若くして長谷村や太田村、庄村などの庄屋となり、
その後も山鹿郡の役職を歴任した。
明治維新後は太田や下内田などの戸長 ( 村長的役職 ) と学務委員になり、
明治23年の合併で六郷村が誕生した後は書記を務めた。

そんな中で行った明治14年の島田市街の整備は
その後の島田地区繁栄の基礎となった。

また、原口五一郎は、諸記録の散逸を心配して、
書類や書物の保存や書写に力を注ぎ、
天保十二年から明治二十八年まで ( 1841~1895 ) の
下内田に関する膨大な重要記録を編集、書写した 「 砕玉談 」 を遺した。
これは、山鹿市の文化財に指定されている。


第8位 みずがめ座 今日のラッキーアドバイス 「 消しゴム 」

2018-05-24 06:00:41 | 今日の占い ・ 二十八宿とコトバ

昨日、一日中降ったり止んだりを繰り返した雨も
今朝はスッカリ止んで散歩に出たが、
上から一枚羽織らなければならないくらい冷えた。
そんな今日の順位は8位で、
ラッキーアドバイスは、
 「 消しゴム 」 である。

単純なミスが重なり空回り?
基本に忠実な作業を心がけよう!


二十八宿  奎 ( けい )  婚礼、棟上げ、旅行など万事に吉。



   今日のコトバ

 頑固と嫌悪は間近に続く

 ( ラ・ブリュイエール  1645~1696  フランスのモラリスト )