「 九州 ・ 沖縄 ぐるっと探訪 」

九州・沖縄・山口を中心としたグスク(城)、灯台、石橋、文化財および近代土木遺産をめぐる。

沖縄県渡名喜島  「 神の宿る岩 ( イェーンシジ ) 」

2014-08-25 05:02:41 | 離島めぐり



渡名喜島 ( 神の宿る岩 ・ イェーンシジ )


























カーシリぬヌーチュヌガー御嶽の下に点在する島は、
入砂島かの神さまが海を渡って来る
「 神の宿る岩 ( イーェーンシジ ) 」 といわれている神聖な場所で、
地元では 「 神の岩 」 と呼ばれている。



北九州市若松区 「 奥洞海航路第八号灯浮標 」

2014-08-25 05:01:41 | 福岡の灯台







灯浮標の赤いランプを横目に
水面を流れるように船は
奥洞海航路をススム



熊本県上天草市 「 肥後兜島 ( ひごかぶとしま ) 灯台 」

2014-08-24 00:05:41 | 熊本の灯台



釣り人の格好の場所となっている肥後兜島灯台









低そうに見えても8.52mある灯台








島の近くを釣り船が行き交う








維和島から見た兜島灯台








灯台の後方に三角港が見える












灯台表番号 / 6437
ふりがな / ひごかぶとしまとうだい
標識名称 / 肥後兜島灯台
所在地 / 熊本県上天草市 ( 兜島 )
北緯 / 32-34-29
東経 / 130-27-31
塗色 / 白色
灯質 / 単閃白光 毎3秒に1閃光
光度 / 実効光度26カンデラ
光達距離 / 3.5海里
地上~頂部の高さ / 8.52m
平均水面上~灯火の高さ / 11.99m 
地上~灯火の高さ / 8.30m
業務開始年月日 / 昭和41年3月23日
現用灯器 / LED灯器 ( Ⅱ型白 )




肥後兜島灯台へのアクセス
肥後兜島灯台へは、国道266号線を大矢野中学校から右に入って行き、
2キロほど行くと維和島に続く「東維和大橋」がある。
そこから右手に兜島灯台が見えるが、橋を渡った維和島からも見る事が出来る。




熊本県八代市 ( 旧・東陽村 ) 「 平山橋 」

2014-08-24 00:04:41 | 熊本の石橋






















所在地 / 熊本県八代市東陽町平山
架橋 / 明治初期頃 (1872年)
石工 / 種山組
長さ / 約1.8m  径間 / 約1.3m
幅  / 約1.8m  拱矢 / 約1.0m


平山橋は、国道443号線を釈迦院から泉村方面に進み、
氷川ダムを過ぎて旧・東陽村の平山地区の左上にある。
橋自体が小さく、看板がなければ見過ごしてしまうような小さな橋である。
夏場は草が多くて写真では石垣が確認しづらいが、
小さいながらもアーチで組まれたしっかりした橋である。


平山橋へのアクセス
平山橋へは、上に書いたように443号線の平山地区に位置する。
八代の(旧・宮原町、旧・東陽村)を経由しての逆回りでも行くことが出来る。
駐車場なし。


8月23日 「 どんよりとした朝 」

2014-08-23 06:28:41 | 朝の風景とその他の風景



どんよりとした朝に老人ホームの灯りがひと際目を惹いた






昨日は明け方の凄い雨の音で目が覚めた。
その雨は9時ごろまで続いたが、
午後からはその雨が嘘のように
カラリと晴れた。

今朝はどんよりと曇ってはいるものの
雨は降らないようである。

広島のみならず、
全国各地で迷惑をかけている雨は
もう要らない。




沖縄県渡名喜島 「 渡名喜里遺跡 ( となきさといせき ) 」

2014-08-23 05:01:41 | グスク ( 城 ) ・ 遺跡



渡名喜島で随一の信仰地である 「 里 遺跡 」








里 殿の横にある 「 ヌル殿内 」







里 遺跡に立つ説明板








上ノ手展望台の上に位置する 「 里 遺跡 」







里遺跡から見た渡名喜集落





渡名喜の里には、 「 里殿 」 。 「 ヌル殿内 」 も拝む殿があり、
島内随一の信仰地となっている。
また集落の開闢の伝えもあるが、1978年 ( 昭和53年 ) の発掘調査の結果、
この地は14世紀から15世紀頃のグスク時代の遺跡だということが判明した。
当時の人びとの生活の足跡として里殿の拝殿北隣の平場では、基壇掘立柱建物跡が発見され、
ヌル殿内の拝殿平場ではL字状の小満を有する掘立柱建物跡が明らかにされ、
各平場の隅には小貝塚が形成されていた。
遺物はフェンサ上層四季と呼ばれるグスク系土器、輸入陶磁器、鉄釘、鉄鎌、古銭、鉄滓、
牛の遺存骨、炭化米、麦などが出土した。

里 遺跡はグスクという呼び方はされていないが、沖縄史で言えば三山分立時代から、
尚 巴志による三山統一前後の時代における島の豪族の居館跡であり、
グスクとして理解される遺跡である。
里の時代は旧来から続いていた狩猟・漁撈による自然物採取の経済段階を完全に抜きん出て、
農漁社会の生産経済段階であり、社会構成史的には当然階級社会の
歴史的発展段階にあった時代であると思われる。




熊本県八代市( 旧・東陽村 ) 「 新開橋 」

2014-08-23 05:00:41 | 熊本の石橋



穴のような大きさの径間









新開橋説明板







小さな橋の割りに厚みがある新開橋






下流側から見た新開橋





所在地 / 熊本県八代市東陽町新開
架橋 / 江戸末期
石工 / 不明
長さ / 約2.2m  径間 / 約1.1m
幅  / 約2.2m  拱矢 / 約0.9m


新開橋は旧・東陽村役場から左に入った小浦川に沿う
最初の集落(新開集落)の右側にあり、
規模は小さく、個人の家の庭先を通って橋の架かるところまで行かなければならない。

橋自体も小さいが新開集落の入り口にある路標も分かりづらくて、
館原から帰りに見つけたので順番が逆になってしまった。
順路からいえば、小浦川沿いの石橋探訪での最初の石橋は、
この新開橋からが順当だと思う。
集落の順番  陣内 ー 新開 ー 重見 ー 館原 の順路で石橋探訪が出来る。


新開橋へのアクセス
新開橋へは、旧・東陽村役場から右に小浦川に沿って入って行った
最初の集落の右側にある。
駐車は路上駐車になるので、邪魔にならないように広い場所に停めなければならない。


長崎県長崎市 ・ 近代土木遺産 「 神ノ島天主堂 」

2014-08-22 06:10:41 | 近代化産業遺産・土木遺産



長崎湾や女神大橋が見える場所に天主堂が建っている










白亜の天主堂が外国を思わせる









長い階段を上って門まで来ると目の前に天主堂が現れる









頭頂にある8角形から立ち上がるドーム









もっともインパクトの強い棟尻に立つ柱







各所に明かり取りの小窓が設けられている







破風には溝が彫られ水切りに笠木が設置されている







連続したシンプルな窓枠







色とりどりのステンドグラスから漏れる明りが夢を与える







リズミカルでがっちりしたリブ・ヴォールト天井







特徴的な白い束ね柱







民家の間を抜けて長い階段の上に天主堂がある







背景の山に浮かび上がる白亜の天主堂







十字架を乗せた門柱の向こうに女神大橋が見える







天主堂横の窟に立つマリア像







神ノ島天主堂の下にある海に向って建てられたマリア像











所在地  /  長崎県長崎市神の島町
竣 工  /  1897年  ( 明治30年 )
設計者  /  デュラン神父



昭和42年ごろまで小さな島だった神ノ島。
その突端にそびえる神ノ島天主堂は絵になる教会である。

慶応元年にキリシタンの存在が発覚するや、
神ノ島にはブレル神父が巡回するようになり、
明治13年からラゲ神父が定住し、木造の天主堂を建造した。
そして明治25年に赴任したデュラン神父が現在の天主堂の原型を作ったのである。
大正9年とその後2回の改修を経て現在の形になっており、
大浦天主堂に次ぐ早期の信仰告白が天主堂建設の由来となっている。

建物の特徴は正面中央の塔屋とその上に設けた鐘楼と、棟尻に立つ柱である。
頭頂には8角形から立ち上がるドームがあり、天主堂を象徴する意匠となっている。
堂内に入ると、白い束ね柱とリズミカルに交されたリブ・ヴォールト天井が目に入る
眩いばかりの白さを誇る外観は、煉瓦建物に石灰とセメントを塗っているためで、
もともとは漆喰塗りであったと言われている。


神ノ島天主堂へのアクセス
神ノ島天主堂へは、ながさき出島道路から左に「女神大橋」方面に行き、
「女神大橋」を渡り、渡り終えたところから左に降りて行くと
マリア像のある四郎ヶ島の向かいの山の中腹に天主堂が見える。
駐車は、天主堂下に広場があるのでそこに駐車した。



北九州市若松区 「 若松航路第八号灯標 」

2014-08-22 06:08:41 | 福岡の灯台







薄暮時の鈍色の海に
くすんだ赤い灯標が
ポツンと立ち尽くす





8月21日 「 月と星の朝 」

2014-08-21 06:18:41 | 朝の風景とその他の風景














今朝は5時すぎに家を出ると
東の空に星がひとつ。
そして高い位置に三日月が浮かんでいた。

最近は毎日のように雨が降る。
一日一回は雨を降らさないと気が済まないのか?
こう、毎日雨が降ると
身体の中にまでカビが生えそうである。





沖縄県渡名喜村 「 入砂島 」

2014-08-21 05:02:41 | 離島めぐり



大本田(ウーンダ)から見た入砂島




















この島は、NHKのドラマ 「 ちゅらさん 」 のオープニングで流れていた島である。
入砂島 ( いりすなじま ) は、沖縄県島尻郡渡名喜村に属する無人島で、
出砂島 ( いですなじま ) ともいわれる。

島は渡名喜島の北西約3kmに位置し、
面積0.26km²、周囲1.96km、標高32.0mの円形で低平な島である。
島南端に北西から南東方向に伸びる長さ約450mの陵丘と、
北側に扇状の低地が約500m四方に亘って広がる。
中生代の基盤岩から構成され、南端の陵丘部は中生代の緑色岩、
北側の海岸低地は完新世の沖積層となる。
島北側に砂浜が形成され、周囲にビーチロックが発達している。

歴史

東恩納寛惇の 『 南島風土記 』 には 「 てそな 」 、
『 正保国絵図 』 に 「 戸無島(渡名喜島)之内出砂しま 」 、
『 琉球国由来記 』 には 「 離レ出砂 」 と記載されている。
また国土地理院発行の2万5千分の1の地図では「入砂島」と表記されているが、
20万分の1では「出砂島」となっている。

貝塚時代からグスク時代にかけての遺跡が残存し、
その時代における土器やカムィヤキ、15世紀頃の青磁が出土している。
入砂島頂上部に位置する4つの御嶽は渡名喜住民の聖地として崇められている。
また初穂の麦を供物として捧げる麦穂祭で「イベの火神」へ祭祀を行った根神3人を祀っている。
戦前の1933年に入砂島の農地開墾が始まり、渡名喜村民により耕作された。


1945年4月に米軍により入砂島全域が接収され、1954年10月に射爆撃場に指定された。
管理はアメリカ空軍が行っているが、
海軍や海兵隊、日本復帰後の1975年には航空自衛隊も共同訓練に参加している。
訓練が実施されない日曜日に入砂島の上陸が許可され、
春頃にアオサノリを収穫する人々で賑わう。

今度渡名喜島に行く時は、日曜日に船をチャーターして入砂島に渡りたいものである。



自動車のヘッドライトをきれいにする ( 自分で磨いてピッカピカ )

2014-08-21 05:01:41 | モノレール ・ 乗り物 ・ 旅客機



黄ばんだクスミが取れてこんなにキレイに









耐水ペーパー800番で黄ばんだ汚れが出る








耐水ペーパー1500番くらいになると汚れが白くなってくる







汚れをきれいにふき取ってコートする前のライト







ピカールとヘッドライトリフレッシュ







耐水ペーパー 







耐水ペーパーの裏に番号が書かれている ( 1500番と1000番 )






車のヘッドライトがくすんでいたので、ヘッドライトを磨いた。

まず、ヘッドライトの周りに傷がつかないようにマスキングテープを貼る。
それからヘッドライトの汚れをきれいに拭き取ってから
水をつけて耐水ペーパーの800番でやさしくヘッドライトを磨いて行く。
すると、黄ばんだ汚れが流れて落ちる。
ある程度してから水できれいに汚れを流した後に、
耐水ペーパーを1000番に替えて同じことを繰り返す。
黄ばんだ汚れがだんだん白くなってくる。
それを1200番、1500番、2000番の順序で行うと、
表面がきれいになっていく。

耐水ペーパーで磨き終わった後は、
きれいに水洗いして乾いた後に、仕上げに乾いた布にピカールを付けて
やさしく丁寧に磨いて行けばピカピカになると思いますが、
大事な車ですので、
※ この作業 ( 行為 ) は、あくまでも自己責任で行って下さい。


また、ソフト99のヘッドライトリフレッシュの場合は、
ベースクリーナーで磨くので耐水ペーパーをかける必要はないと思います。

ちなみに、耐水ペーパーとピカールで行えば、
耐水ペーパーが一枚100円くらいなので、1000円くらいで出来る思います。
ソフト99の場合はヘッドライトリフレッシュが1400円くらいなので少し割高になります。


8月20日 「 雨と朝焼けの朝 」

2014-08-20 06:24:41 | 朝の風景とその他の風景















今朝5時前に家を出たとき、
雨は落ちていなかった。
家に帰りついた頃から
ポツポツと雨が落ちだした。

それから10分ほどして、
周囲が朱に染まるほど
明るく赤く色づいた。




熊本県八代市 ( 旧・東陽村 ) 「 椎屋橋 」

2014-08-20 04:53:41 | 熊本の石橋



下流の側面から見た椎屋橋









椎屋橋 説明板








通路部はコンクリートで補強されている







側面から覗かなければ石橋とは気付き難い





所在地 / 熊本県八代市東陽町平山
架橋 / 大正時代
石工 / 不明
長さ / 7.04m  径間 3.66m
幅  / 3.98m  拱矢 1.87m


椎屋橋は国道443号線沿いの平山地区にあり、
一部コンクリートなどで補強されているものの、
現在も現役の橋として利用されている。


椎屋橋へのアクセス
椎屋橋へは、平山橋から宮原方面に少し行った左側にある。
駐車場はないが、路肩に止められる。


馬の詩より ・ 「 小倉で二度泣く 」 アキヒロホマレ

2014-08-20 04:52:41 | 馬の詩 ・ それぞれ...

「小倉で二度泣く」  アキヒロホマレ




アングロアラブ
父 マルケンダイドウの血の強さ
母 ビクトリアータイムの血の速さ
その走りが見たいゆえ
気持ちまでが飛んでゆく
アキヒロホマレのたてがみに
気が風となり付いてゆく
並み居るサラブのつわものと
同じ土俵の相撲なら
負けても強しと言わせたい
小倉で二度泣く
アキヒロホマレは
アラブの最強馬




初勝利の2戦目の小倉で圧勝して、
サラブレッドを相手に小倉3歳ステークスに挑んだ。
アラブの快速馬イナリトウザイではないが、
劣性のアラブがサラブレッドに勝ったらどんなに痛快だろうと思わせた。
さらにその挑戦は続き、古馬になってからも小倉大賞典に挑んだアキヒロホマレ。
そのアキヒロホマレが18日、老衰のため死亡した。29歳だった。

1987年から3年連続でJRA賞最優秀アラブに輝いたアキヒロホマレは、
アラブの重賞タマツバキ記念 ( 88年、89年 ) などを制し、
サラブレッド相手の90年陽春S ( オープン特別 ) では3着と健闘した。
92年に種牡馬となり、引退後は北海道の静内種馬場で余生を送っていた。