グスク入り口の分かれ道に立つ路標 ( グスクへはこの城址標から右に入る )
グスク内にある拝所
グスクの頂部広場
陶器に焼かれた説明版
大城グスクの場所を示す案内板
大城按司の 「 ポンドウ御墓 」
大城按司の墓の説明版
大城グスクは、大城集落の北側の山の上に築かれたグスクである。
グスクの規模はそんなに大きくないが、南側に向いて城門が開かれ、
北側の一段高くなった所が、主郭で、
南側の少し低くなっているのが二の郭になった連郭式になっていて、
城壁の石積みが拝所の前にわずかに残っており、
井戸の跡、そして拝所などが確認される。
大城グスクは、玉城按司の二男・大城按司眞武によって築かれたと伝えられている。
大城按司は、14世紀ごろこの付近一帯を支配していたと言われている
大城軍と大里軍は、長堂原で大合戦を演じていたがなかなか決着がつかず、
稲福遺跡がある台地へと戦場を移して戦ったときは、大城軍の優勢であったが、
大城軍の旗手が誤って自軍の旗を倒してしまう。
それをグスク内から眺めていた按司夫人や若按司は、てっきり自軍が敗北したと思い、
城殿に火を放ってしまう。
それまで優勢に戦を進めていた大城軍は、自分の城に目をやると、
なんと自分の城が燃えているではないか。
そこへ劣勢になっていた大里軍が勢いを取り戻して、大城軍を攻め立て、
ついに力尽きた大城按司は稲福の崖下で自刃してしまう。
そこで夫人とその子・真宗(しんそう)は、玉城間切垣花に身を隠し、
真和志間切儀間村に移った。
それ以来、大城グスクは廃城になったといわれる。
大城グスクへのアクセス
大城グスクへは、県道86号線を玉城から大里方面に進み、
大城集落にある案内板(右側)より右に約800mほど山に向って行くと、
上に掲載した城址標が頂上付近の右手にある。
そこからさらに右に200mほど登って行くと、突き当たりに養鶏場がある。
そこを右に50m行くとグスク入り口に説明板がある。
駐車は、グスク入り口に広場があり、駐車できる。