夜中に目が覚めた。それほど水分を摂った訳では無かったが、ヴァイツェンビーアも利尿効果に寄与したかもしれない。三時前だったのでその後は眠りが浅くなった。中々起きれなかった。最近は早起きしないでいい時は中々起きられなくなった。土曜日の放送が終ってから眠くなって、堪えられないようになった。夏の朝起きは早いのだが、夜起きていられなくなる時も多い。
朝起きして喉に若干の痛みがあったり、耳朶が瘡蓋状になったりと、やはり何かおかしい。夏風邪でもない。その傾向は二月から一貫していて、洟ぐずぐずなどは一度も無く、花粉症気味の時にくしゃみが出ていたぐらいだ。特に皮膚が乾くという事はないのだが、喉の感じも乾くという印象でもないのが特徴だ。
1973年7月「ばらの騎士」の中継録音放送全曲を聴いた。発売されている製品は7月13日となっているが、BRでは一切言及がない。当然編集はされている。既にネットにあった当該のSACD版を聴いていたのでその差は音響的な差だけかもしれない。比較していないので分からないがラディオ放送としてはそれほど悪くはなかった。しかし、オリジナルの磁気テープをデジタル化して読み込んでという再生ではないと思う。販売されているSACDを使ったと思われるが一度確認してみなければいけない。兎に角、放送で流れた演奏はそれなりに大劇場の音響と雰囲気を伝えていた。
演奏はやはりよかった。歌手陣は特に主役の伯爵夫人が1972年初日シリーズのギネス・ジョンソンでは無かったりと、今でもあるバイロイトやザルツブルクの音楽祭出演の都合でキャスティングが変わる。そのこともあって、同じ制作の再演が1979年に映像制作化されている。1972年のオリジナルキャストでの録音等は無いようで、1973年のオパーフェストのこの録音が記録として残ることになった。
なにが良いかというと、やはりカルロス・クライバーの指揮で、管弦楽も素晴らしい。再演の方は確認していないが、これだけ準備しての演奏は難しかったのではないかと思う。この演奏の即興的に思えるような演奏もその楽団の反応もみっちりと準備していないとついてこれないものだ。同時に本当に細やかなシュトラウス演奏の伝統が満ち溢れている。ある面、ここ数年間キリル・ペトレンコが同じ制作を再演していた時の演奏と多くの共通点さえ見つかるのである。これに比較される指揮はクライバーのそれでもあまりないように思う。確かにこの演奏を聴くと天才的な演奏行為で、フォンカラヤンの後任と目されていたのも良く分かる。
同じ座付管弦楽団での演奏会も経験したのだがここまでのヴィッドな反応は出来ていなかった。スカラ座の楽団でのオペラもこうしたしっかりした枠組みから食み出すようなその生命感と同時にスタイルの正統性というものまでは感じられなかった。やはりこの若い時期の指揮は特別に良かったのではなかろうか。
先週ザウワーランドの森で写した花はローターフィンガーフートと呼ばれる花らしい。どこでもありそうなのであまり気にならなかったが、毒性のある花らしい。食には適さない。致死性があるので触るのも良くないのだろう。なるほど紫でも珍しい色合いで、中の彩もけばけばしい。
バイロイトの管理局の新理事になったフォンヴァルテムフェルツ氏へのインタヴューが興味深かった。その任務の内容は、辞める取締役の後任人事と劇場の大改修の管理という。またそれに関連してカタリーナ・ヴァークナーの健康状態について、一時は生命の危険があって人工心臓によって持ち直したという事だった。そして個人的に話したという。そして生命力も回復していい方に向かっていると答えた。要するに心不全で危篤であったという事らしい。話した内容も何もないので、ICUで意識はあって反応は出来るという状態という事だろう。補助的な人工心臓かまたは心臓移植が出来るような病状かは分からないが、到底通常の職務には戻れないと考えるべき状況だろうか。
そこでインタヴューアーは、今後ヴァークナー家がいなくなるバイロイト祝祭劇場というのは考えられるかという質問をして、それに対してはヴァークナー家の誰かがいればそれ以上のことはないが、さもなくば第三者でと話した。また元祖音楽監督クルスティアン・ティーレマンの任期が切れるがの質問には、彼以上の経験がある指揮者が殆どいないのは間違いないが、それを決断するのは監督のヴァークナーであって、何よりも回復を待つしかないと再三に亘って繰り返されたことを再び補足した。要するに時期が来れば、今後の人事へと大きく舵取りがなされる。
参照:
フランクフルトへと 2020-06-28 | マスメディア批評
スイスイと滑るように 2020-06-19 | 雑感
朝起きして喉に若干の痛みがあったり、耳朶が瘡蓋状になったりと、やはり何かおかしい。夏風邪でもない。その傾向は二月から一貫していて、洟ぐずぐずなどは一度も無く、花粉症気味の時にくしゃみが出ていたぐらいだ。特に皮膚が乾くという事はないのだが、喉の感じも乾くという印象でもないのが特徴だ。
1973年7月「ばらの騎士」の中継録音放送全曲を聴いた。発売されている製品は7月13日となっているが、BRでは一切言及がない。当然編集はされている。既にネットにあった当該のSACD版を聴いていたのでその差は音響的な差だけかもしれない。比較していないので分からないがラディオ放送としてはそれほど悪くはなかった。しかし、オリジナルの磁気テープをデジタル化して読み込んでという再生ではないと思う。販売されているSACDを使ったと思われるが一度確認してみなければいけない。兎に角、放送で流れた演奏はそれなりに大劇場の音響と雰囲気を伝えていた。
演奏はやはりよかった。歌手陣は特に主役の伯爵夫人が1972年初日シリーズのギネス・ジョンソンでは無かったりと、今でもあるバイロイトやザルツブルクの音楽祭出演の都合でキャスティングが変わる。そのこともあって、同じ制作の再演が1979年に映像制作化されている。1972年のオリジナルキャストでの録音等は無いようで、1973年のオパーフェストのこの録音が記録として残ることになった。
なにが良いかというと、やはりカルロス・クライバーの指揮で、管弦楽も素晴らしい。再演の方は確認していないが、これだけ準備しての演奏は難しかったのではないかと思う。この演奏の即興的に思えるような演奏もその楽団の反応もみっちりと準備していないとついてこれないものだ。同時に本当に細やかなシュトラウス演奏の伝統が満ち溢れている。ある面、ここ数年間キリル・ペトレンコが同じ制作を再演していた時の演奏と多くの共通点さえ見つかるのである。これに比較される指揮はクライバーのそれでもあまりないように思う。確かにこの演奏を聴くと天才的な演奏行為で、フォンカラヤンの後任と目されていたのも良く分かる。
同じ座付管弦楽団での演奏会も経験したのだがここまでのヴィッドな反応は出来ていなかった。スカラ座の楽団でのオペラもこうしたしっかりした枠組みから食み出すようなその生命感と同時にスタイルの正統性というものまでは感じられなかった。やはりこの若い時期の指揮は特別に良かったのではなかろうか。
先週ザウワーランドの森で写した花はローターフィンガーフートと呼ばれる花らしい。どこでもありそうなのであまり気にならなかったが、毒性のある花らしい。食には適さない。致死性があるので触るのも良くないのだろう。なるほど紫でも珍しい色合いで、中の彩もけばけばしい。
バイロイトの管理局の新理事になったフォンヴァルテムフェルツ氏へのインタヴューが興味深かった。その任務の内容は、辞める取締役の後任人事と劇場の大改修の管理という。またそれに関連してカタリーナ・ヴァークナーの健康状態について、一時は生命の危険があって人工心臓によって持ち直したという事だった。そして個人的に話したという。そして生命力も回復していい方に向かっていると答えた。要するに心不全で危篤であったという事らしい。話した内容も何もないので、ICUで意識はあって反応は出来るという状態という事だろう。補助的な人工心臓かまたは心臓移植が出来るような病状かは分からないが、到底通常の職務には戻れないと考えるべき状況だろうか。
そこでインタヴューアーは、今後ヴァークナー家がいなくなるバイロイト祝祭劇場というのは考えられるかという質問をして、それに対してはヴァークナー家の誰かがいればそれ以上のことはないが、さもなくば第三者でと話した。また元祖音楽監督クルスティアン・ティーレマンの任期が切れるがの質問には、彼以上の経験がある指揮者が殆どいないのは間違いないが、それを決断するのは監督のヴァークナーであって、何よりも回復を待つしかないと再三に亘って繰り返されたことを再び補足した。要するに時期が来れば、今後の人事へと大きく舵取りがなされる。
参照:
フランクフルトへと 2020-06-28 | マスメディア批評
スイスイと滑るように 2020-06-19 | 雑感