Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

音楽芸術の時空の流れ

2024-11-20 | 
久しぶりに薬を服用した。忙しいので早く治したいからだ。午後も少し横たわっていたが、夕方も走るほどには到底回復していなかった。前夜の事を思い出せば急に起きていられなくなったので38度超えていたと推測しなおしたが、39度になれば口を濯ぐ余裕もなくベットに向かっていた筈だ。40度を超えると殆ど倒れるようになって、ベット這って行くような感じになるのが今迄の経験である。

22時30分ほどに床に入って、結構苦しく、何も出来ないので1時過ぎに目が覚めて、結局2時ごろまでは熟睡できなかった。その時刻に録音とかがあると、ベットにいても前夜の苦しみの中では何もできない。投薬するものももう一度その頃にもう二錠摂るようにする。

録音の準備をする前に一昨年の生中継の音を聴いてみた。相変わらずマーラーの七番の出だしは早いが、それとどうようになかなかラフな音が出ている。最後の生の印象はその前のやはり壮行演奏会におけるアルテオパーでの響きである。比較するとやはりより乾いた響きで、この名ホールの響きが感じられる。

そう言えば先の評でのアルテオパーの音響の特徴を近接録音としていたが、なるほどカーネギーホールの場合は舞台の枠内は後ろからの跳ね返りがあって、雛壇との距離感がある。アルテオパーの場合は最上階に行くと距離があり過ぎて、視覚と若干ズレる傾向があって、左右からの残響が多くなり、平土間は上からの残響が邪魔になる。その分音響的に広がりもあるのはそこでの録音でも分かる。

それにしてもマーラー七番に続きブルックナー五番を合衆国ツアーに持って行くのはとても素晴らしい。さぞかし我々の様に両方を聴く人が少なからずいると思う。こうして両方を聴き比べるととても重要な視点が得られると思う。

日本から持ってきて貰っていた薬を飲んで解熱と胃の調子で体調は改善した。録音の準備はしていたのだが、直前になって、記録するNASが夜中にシャットダウンするのを思い出して再駆動したりして慌てていると、AACの直波の記録が上手く行かなかった。更にラディオ放送の最初のジンゲルから暫く落ちていたので楽屋袖の話しからしか聴けなかった。オンデマンドで聴けるから構わないのだが、若干慌てた。

寝室に音を出すようにしていて、結局最後まで小さく音を流していた。その印象ではとても早いテムポに感じて、ティムパニーが不自然にな鳴っていた。テムポに関してはなるほどその音響の中におらずに音を細部からしっかり追っていないと、流れてしまうように聞こえるのが分かった。この仮説は他の人の評を読んでいて感じていて言及している事なのでそれを証明したことになる。

普通は流れが速いと細部が聴きとれない様に思うのだが、音楽はやはりその時間の流れがその創作の中にあって、決してユークリッド時空での座標にはないことが分かる。恐らくその感覚というのは浪漫派以降の音楽に共通するもので、それを如何に演奏実践の中で表現するかに関わるのだろう。



参照:
本物のブルックナーの響き 2024-11-19 | 音
歴史上唯一無二の可能性 2024-11-18 | マスメディア批評

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