フランスの暴動から、外国人の同化問題が再び話題となる。パリ郊外のスラム化した地域については、再三TV等で報道されていたので、状況は皆が知っている。当地の住人は自虐的にゲットーと呼んでいるようだが、暴動の飛び火を恐れて外出を禁止するとなると、まさしく隔離政策となる。隔離政策は、政治的・歴史的に大汚点となるのでどうしても避けるべきであった。
ベルリンのクロイツベルクでの放火事件で、飛び火を危惧されたが、ドイツでは同様な状況にはならないというのが一般的な見解である。外国人同化策が大分違うからである。ドイツのそれは、フランスのような植民地からの移住者ではないので、ドイツ語教育が最も重要な同化策でもある。国際学力比較(PISA)などが示す基礎教育の充実の問題である。同化策と教育問題は、現在の連立交渉でも重要な議論であって、二十年間以上も充分な対処策を出せなかったのが、PISAのランキング低下にも結びついてきている。
PISAの低下は、移住者だけに関係するのではなくて、家庭環境さらには社会環境に依存する。伝統的な家族関係が崩壊して、家なき子が増えて文字さえ読めない子供が増えたり、生活共同体からドロップアウトしてしまう例が多い。今回の事件は、そう考えると移住者にだけ限られた問題ではないのかもしれない。更に言えば、先進国社会が求めているのは安い労働力でなくて、質の高い労働力となる。質の高い柔軟な労働力となると、基礎・中等教育の充実と再教育システムこそが鍵を握るように思われる。
今回の事件が起こっているスラム化した近代的な高層アパート群への批判が聞こえる。ある専門家に言わせると、アフリカから来た彼らに手厚く与えられたこの近代的な施設は、彼らの全く違う生活観には決して快適ではないというのである。大雑把であるが文化的に非常に興味ある見解である。オアシスに寄り添う屋根を葺いた瀟洒な家々と動物との触れ合い、地平線に沈む太陽。子供達が育つには、スケートボードやバイクを乗り回す空き地や電化製品や水洗便所だけが必要ではない。我々が想像も出来ないほどの文化的な大きな隔絶があることを知らなければならない。
伝統的な共同体と近代以前の生活への憧憬、そこに西洋的な発展と非西洋との葛藤が付け加わる。今回の暴動に宗教的な背景がないと言うのは、それ以上に深い断層がある事を示してはいないだろうか?今日世界を揺るがし続けるテロ行為や地域紛争を、伝統的な社会観を破壊するネオリベラリズムを憂いて、近代終焉の引導を渡すのが西欧の使命ではなかろうか。そのためには、其れに変わる希望に満ちた世界観を指し示すことが必要である。
参照:平均化とエリートの逆襲 [ 文学・思想 ] / 2005-11-06
ベルリンのクロイツベルクでの放火事件で、飛び火を危惧されたが、ドイツでは同様な状況にはならないというのが一般的な見解である。外国人同化策が大分違うからである。ドイツのそれは、フランスのような植民地からの移住者ではないので、ドイツ語教育が最も重要な同化策でもある。国際学力比較(PISA)などが示す基礎教育の充実の問題である。同化策と教育問題は、現在の連立交渉でも重要な議論であって、二十年間以上も充分な対処策を出せなかったのが、PISAのランキング低下にも結びついてきている。
PISAの低下は、移住者だけに関係するのではなくて、家庭環境さらには社会環境に依存する。伝統的な家族関係が崩壊して、家なき子が増えて文字さえ読めない子供が増えたり、生活共同体からドロップアウトしてしまう例が多い。今回の事件は、そう考えると移住者にだけ限られた問題ではないのかもしれない。更に言えば、先進国社会が求めているのは安い労働力でなくて、質の高い労働力となる。質の高い柔軟な労働力となると、基礎・中等教育の充実と再教育システムこそが鍵を握るように思われる。
今回の事件が起こっているスラム化した近代的な高層アパート群への批判が聞こえる。ある専門家に言わせると、アフリカから来た彼らに手厚く与えられたこの近代的な施設は、彼らの全く違う生活観には決して快適ではないというのである。大雑把であるが文化的に非常に興味ある見解である。オアシスに寄り添う屋根を葺いた瀟洒な家々と動物との触れ合い、地平線に沈む太陽。子供達が育つには、スケートボードやバイクを乗り回す空き地や電化製品や水洗便所だけが必要ではない。我々が想像も出来ないほどの文化的な大きな隔絶があることを知らなければならない。
伝統的な共同体と近代以前の生活への憧憬、そこに西洋的な発展と非西洋との葛藤が付け加わる。今回の暴動に宗教的な背景がないと言うのは、それ以上に深い断層がある事を示してはいないだろうか?今日世界を揺るがし続けるテロ行為や地域紛争を、伝統的な社会観を破壊するネオリベラリズムを憂いて、近代終焉の引導を渡すのが西欧の使命ではなかろうか。そのためには、其れに変わる希望に満ちた世界観を指し示すことが必要である。
参照:平均化とエリートの逆襲 [ 文学・思想 ] / 2005-11-06
先ず都市政策ですが、これはまだ今回の騒動を受けて議論されています。ただし、スラム化に関しての議論よりも、町作りの問題として更に議論されるべきです。高層アパートの所謂ブロックの問題はケルンの地域や人口密集地のノルドラインの重工業地帯に多く存在します。学力の低下問題が叫ばれている地域です。炭鉱などがあった地域でF1のシューマッハーの出身地などが代表します。
クロイツベルクなどは、緑の党の党首が自ら住んで、スラムよりもマルチカルチャーと名付けています。実際には、路上で分かるぐらいのスラムは至る所に存在するのですが、そのようなスラム化したアパートは経済価値が下がり存在不可能となり、取り壊される傾向にあります。市場原理が働いて淘汰されているのかもしれません。
マンハイムを例に挙げると、ここ十年で大分様子は変わりました。トルコ人が恐らく同化してあまり目に付かなくなったのかもしれません。米軍の撤去が安い労働力の市場を削減したのかもしれません。トルコ人は長居をしない傾向があり帰国してしまいます。長居のイタリア・ギリシャ人はバルカンの人と並んで全く問題になりません。ベトナム人は問題なのですが、中国人よりは同化しています。アフリカ人は、日本人や韓国人やタイ人よりも少ないぐらいですね。
ですから、住居はトルコ人を受け入れるとすれば、高層も従来のアパートもどちらでもありえます。何れにせよ、住居に投資して綺麗に保つのがドイツの一般的な住居事情ですから、スラム化は経済的な破綻を意味しています。
スラム化させないとなると、投資して手を入れるので、ドイツ人であろうと住んでいられなくなります。我が共同住居でもドアを汚したりする者を圧力を掛けて先日追い出しました。こうして経済価値を保つしか方法はありません。
communautarismeは、面白い言葉ですね。実は本日、教会合同の資料を見ていたので、興味を引きました。ドイツでは緑の党などが主張する、マルチカルチャー思想ですが、あまり実態のないもので目標にはなりません。新旧教の宗教家の意見と似てきます。
その反対の同化主義と出生地主義をCSUのベックシュタイン博士などは推進しています。「ドイツ語を喋らない者は帰れ」から、ドイツの「中心となる文化」の設定ですね。基本的にはこちらが正しいように思うのですが、実態に合っていないのでこれも理想論です。
現在のドイツの合意として、移民受け入れ先ではないけれど、実際は五分の一が移民であるという実態を前提に政策を選定すると言う事です。つまり、同化策を強く推し進める一方、実態を重視して、有りの儘の社会構造を受け入れて行く方法です。同化策にはお金が掛かりますので、特別扱いすることなく厳しく処して行く事が大切です。さもないとハイダー博士もどきが出てきます。
ドイツはフランスとはこの辺で大違いで、市民的な圧力を掛けるのですね。プロテスタンティズムは、放って置かない。中華料理屋でもドイツ語が喋れなければ、「ドイツ語喋らずにはここで働くな」と脅しを掛け続けるのです。蛇頭経由の多くの中国人は、入れかわりドイツから退散します。
住居環境についてはまた改めて。失礼な事を申し上げましたが、助六さんがBLOG発信していないのが、大変残念です。
1)独都市政策
仏ではアルジェリア戦争終了以前の50年代から移民流入により、都市郊外に「bidonville」と呼ばれる仮設住居のスラムが形成されたため、50-70年代に事実上移民収容のための多くの郊外公営高層アパート群が建設されたとのことです。「臭いものは眼に付かぬところに」という発想はやはりあったようです。
独にも移民用住居は存在するが、都市内各所に分散していて、仏のような郊外「ゲットー」はないと仏紙は報じています。短時間で表面的観察ながら、ベルリンのクロイツベルクやノイケルン地区を歩いてみたことがあります。パリ18区の一部地区のような交差点で見渡すと8割は有色人種といった光景には出くわさず、トルコ人の比率も特に多くなく、大変静かなように映りました。
―ベルリンに限らず、独の移民用公営住宅は、一般旅行者の目には付きにくいように思いますが、どういう形で存在しているのでしょうか? 建築的には団地・一般のアパートメント建築、どちらの形態なのでしょうか?
―都市内に移民街ないし移民住居があった場合、周囲の住民が徐々に引越しゲットー化するといった傾向はないのでしょうか?
2)独移民統合政策
ご存知のように、仏では仏革命以来、移民を「フランス的アイデンティティ」に「同化」する政策を採ってきました。実に1世代で移民2世を全くのフランス人にするという意欲的政策です。「同化」の意味では以前は「assimilation」という言葉が用いられていましたが、「出身地文化の剥奪」と「仏文化への解消」というニュアンスがあるため、「SOS racisme」等のアラブ系移民支援団体の批判の対象となり、近年は官庁用語としても「intégration」という語が使われるようになっています。平行して「同化」する母体も「ケルト・ローマ・フランク・カトリック」(これらは極右「国民戦線」が主張する「フランス人」の定義に他ならず、一般仏人の頭の中ではなお根強い発想な訳ですが)というエスニシティ面に替わって「仏語使用・自由・平等・一元的で不可分・世俗性原理といった共和国理念」という理念的面が強調されつつあります。この同化政策は、イタリア・スペイン・ポルトガル・ポーランド・ヴェトナム系移民等に対しては大きな成功をあげてきたと言えます。例えば、今回の暴動の発火点となったパリ郊外クリシー・スー・ボワ市は、ロベルト・アラーニャの故郷ですが、シチリア移民2世の彼は完全にフランスに同化した形です。しかしこの同化政策がイスラム系移民に対してうまく機能しないことは、仏社会も認めざるをえなくなっており、今回の暴動を機に「英米型諸エスニック・コミュニティ並存社会モデル」「多文化主義」(仏では「communautarisme」と呼ばれる)が再び注目されています。非常に慎重な言い方ながら、「communautarismeを仏でも検討してみる価値がある」と発言する論者が複数現れたことは、新しい動きではないかと思います。「平等の個人」から成る「共和国」は一元的・不可分で、「共和国」内部に下部コミュニティは認めないのがフランスの強い信念で、「communautarisme」への歩み寄りを認めることは、仏社会構造と移民政策の根本的転換点と成り得るからです。
仏紙は、独は「同化主義」と「communautarisme」の間で揺れていると述べていましたが…。
―独社会は「同化主義」「communautarisme」何れを採り、何れの方向に進もうとしているのでしょうか?
―独が国籍条件を「血統主義」から「出生地主義」に転換したことは、「同化主義」への接近を含んでいる面があるのでしょうか? 「出生地主義」は「同化主義」の前提ですが、「communautarisme」を採る米が国籍出生地主義を採用していることが示すように、「出生地主義」が「同化主義」に直結する訳ではありませんから。
私もこうした郊外の問題地区に足を踏み入れたことがありますが、高層アパートは物理的にはスラム状態という訳ではなく、文字通りのスラムだった「bidonville」に比べて、衛生・生活条件の向上は明らかだとされます。こうした地区が「ゲットー」化したのは、パリへの交通の便が悪く(郊外高速地下鉄駅から2-3キロ)擬孤島状態で、高層アパートの環境が威圧的で非人間的なため、当初は存在していた「フランス人」住民が徐々に引っ越したからです。近代的高層アパートを忌避したのは、まず西洋人だった訳です。残った住民の子供たちは、ヴァカンスに行くこともなく専らこの地区で育ち、時たまパリに出れば「郊外移民地区出身者banlieusard」として猜疑の目で見られるという屈辱を味わうことになります。仏政府は98年以来、こうした高層アパートを漸次取り壊す方針を決め、自ら「近代建築」に引導を渡し始めた形です。
愚連隊の仕業ならなんでもないのですが、どうも為政者側もそのような輩が世界中に台頭して来ているようです。そうなるとフランスの暴動も、より広範な意味合いがあるように思えてきます。ウェストサイドストーリーとは一味違うのに気が付く事が出来るかもしれません。
TVなども政治からだけでなく社会性で、より踏み込もうとしていますので、議論が進むのを期待しています。ドイツでは所謂「中心となる文化」を定めようとする動きが一部にあって、これは当に叙事詩化なのです。その完成は幸か不幸か不可能に近いと考えています。
それでも、その発露の仕方次第で「何も得られない」と云うことを我々は知っています。現在行われている破壊行為も何も得ることはないのですが、少なくとも自己主張はしていますね。小さな民族がオリンピックやサッカーで必死になるのと同じです。
「何も得られない」の合理的な感覚自体が既に違うと云う指摘もあります。注目を集めて何を得るかですね。ネットや携帯等を通じて暴徒は組織化されているのも忘れてはなりません。
米国が金を巡って世界統一を目指しているように、欧州が精神を以って世界統一していく事も難しいでしょう。トルコ系移民にこれを摺り込んで洗脳するのさえ難しい。トルコがEU加盟するのと相似です。
フランスは、EU憲章を国民投票で批准していないので、今回のような隔離政策が可能となっています。フランスでさえ、精神の統一にグローバリズムとして未だに賛成していないのですから。IDの発露です。
発展途上国若しくは南からの指導者層でも、西欧的な発展を真剣に目指している人などは知る限り殆んど居ません。それらエリート層は、そのような顔をして援助を呼び込み、私腹を肥やす事を考えれば良い訳です。何故ならば民衆はそれを真剣に考えることはないのを知っているからです。飢餓や病気を取り除くことだけでも出来れば国連の役目は済むのですが、これが難しい。
東欧を含めて、中近東からアフリカ・アジア、南米もも西洋モデルの経済発展はありえないと云う事でしょう。そのモデル自体が怪しくなっている情勢ですから、発想の転換が必要です。
ヒットラーが地下室での結婚式の先生で「私は純粋なアーリア人・・・」と言ったり日本人の島国根性とか・・・
差別意識は隠せない・・・
フランスの暴動はイスラム教の若者が暴れてるとか・・差別する側とされる側では意識が違うから理解するのは難しい・・・