Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

決して邪魔させてはならぬ

2025-01-01 | 文化一般
大晦日のジルフェスタ―コンツェルトを観た。今年は無料券が余っていたので、年内の券をそこで使った。然しそこでは引継ぎが遅れたようでディレー中継になっていた。ArteのTV中継の方が早かったかどうかは分からないが、そちらに合わせたのかもしれない。

兎も角、ラディオ中継の方が早いのはお決まりだが、それもヴィーンからのノイヤースコンツェルトの様な同時中継のディレーよりも遥かに遅れていた。確かめようがないがフランス女性が舞台でモデレートしているのでそれを外そうと遅らせてしまったのだろう。

早速始まってブラームスの協奏曲はお目当てのトリフォノフの最初からの名演となる。確かに批評であったように最初のホルンとの掛け合いからして、協奏曲でもあり、ピアノ付き交響曲でもあり、室内楽でもあり、歌曲でもある演奏で、ひとえにこのピアニストによって初めて可能になった演奏だ。

ペトレンコ指揮ベルリナーフィルハーモニカーがしっかり合わせたのはユジャワンぐらいしか知らないが、これだけ一体となると新境地である。一昨年かの野外コンサートでのラフマニノフとの共演が流れて仕舞ったことは不幸でしかない。

然し週末に支配人が語っていた様に、トリフォノフとの共演はペトレンコが可能な限り実現させたいと願っていて、今後もと邪魔が入らない限り重ねられるだろう。会場には元DGのマネージャーで、現在ベルリンのセネターとして文化予算大削減への道を付けた人物がスタンディングオヴェーションをしていた。奴らの考えていることはツェッチマン支配人の合衆国ツアーでの予算削減への反響としてその背後が語られていた。つまりシカゴなどでもそうした公的な援助は抑々あまり考えられなくて、商業的な成功でしか計算できないので芸術的な価値が失われてしまっているという事が語られたと話している。

要するに首を絞めておいて、最後の活き血まで吸いつくそうとしている連中の魂胆がそこに存在するということになる。我々はそうしたものを決して看過してはいけないというアピールを絶えずしていかなければ文化は守れない。ペトレンコが新年への挨拶として語ったベルリンにもあるという証明した文化そのものである。

ミラノに「ばらの騎士」を観に行けたというが、やはり超一流の座付き楽団でないとああ云う演奏は不可能だ。それは編成の大きくしている「マイスタージンガー」前奏曲においても言える。両曲とも取り分け難しいが、復活祭での「指環」に向けて練習を重ねることになるのだろう。

それでも前半のピアノ協奏曲に関しては、アルゲリッチがその打鍵をして「今まで聴いたこともない」と絶賛しているトリフォノフの演奏によって初めてその細やかな表情を管弦楽団との間で描けた。

中々容易ならざることもある訳だが、前半のこの演奏だけでも大変な価値がある。メルケル元首相やその他有名人が沢山客席に映されるのは、嘗ての様な伽藍コンサートではなくなっても恐らく友の会の習慣として色濃く残っているのだろう。


参照:
言葉通りの「お試し」ど 2024-01-01 | 音
おこちゃまライスの響ど 2024-12-31 | マスメディア批評

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1 コメント

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令和7年初の書き込みですが (Saar Weine)
2025-01-01 23:28:39
pfaelzerwein様、新年あけましておめでとうございます。

本年もどうぞ宜しくお願い申し上げます。

キリルぺトレンコのコンサートを堪能されたのですね。確か去年伺った時にお部屋にぺトレンコの大きいポスターを貼っておられたのを思い出しました。

(去年お車を新調されたということで)また再度ベルリンやミラノへのご旅行のプランも脳裏に浮かんでいたりしますでしょうか。
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