ライプチッヒで行われたコンフェデレーションカップの三位決勝戦で、ドイツチームがメキシコチームに勝って、来年のワールドカップへの準備が整った。長くBクラスに甘んじていたドイツサッカーのモラルの復活が証明された。ブラジル戦に負けて、この試合は注目されていただけにこれで一挙にムードが盛り上がる。
不器用な守備をファール連発のアタックが示す半面、その速攻の攻撃力でバランスをとるところがドイツサッカーの美徳と言われる。このクリエイティヴなプレーが、ドイツサッカーらしいと賞賛されよう。欠点有る所にこそ最大の長所がある。
球技などは、相手を入れ替えて試合を繰り返して、相対的評価が絶対評価に近付き、その実力が俄然現実的に捉えられるようになる。一昨晩、日本経済研究家の対中国問題の講演を聞いたが、これなども視点が複雑に絡んでいて面白かった。内容自体は目新しい事は殆んど無かったが、気が付いていた報道の偏向が確認された事は大きい。
一つは、FAZ紙等で大きく報道されていた去年の津波被害時の中国の活躍で、「日本ではこれは報道されていない」という事が確認された。その他、アジアにおける中国の外交的な覇権が2010年から効力を持つ多くの二国間関税同盟によって具体化するということなどもアジア全体を見る場合、戦略上重要である。視点を変えることで台湾の海上閉鎖やシベリアンオイルラインの経路決定などの重要な事実や戦略が浮き彫りにされる。
ドイツの報道は諸外国と比べ「偏向」しているが、これはある程度仕方が無い。今日の膨大な情報量を考慮すると読者のために必要な情報を取捨選択しなければいけないからである。反対に、如何なる読者も十分な情報が得られるインターアクティヴな報道体制が敷かれてこそ初めて、これが用を為す。上の件もドイツ語圏の報道では、天然ガス・海底油田の問題が反日デモンストレーションと同格に報じられたことでその情報の偏向と短絡化が分かる。
サッカーのアジアンカップが注目されて来た以上にアジアの政治事情は重要になってきた。その外部からの視点を以って的を射れるのは、ゴールへの距離を測りながら巧妙なパスでネットへとボールの糸を引くのと同じく、相対的な視点が三角測量法のようにしてその対象の姿を立体的に具象性を持って示す時である。
不器用な守備をファール連発のアタックが示す半面、その速攻の攻撃力でバランスをとるところがドイツサッカーの美徳と言われる。このクリエイティヴなプレーが、ドイツサッカーらしいと賞賛されよう。欠点有る所にこそ最大の長所がある。
球技などは、相手を入れ替えて試合を繰り返して、相対的評価が絶対評価に近付き、その実力が俄然現実的に捉えられるようになる。一昨晩、日本経済研究家の対中国問題の講演を聞いたが、これなども視点が複雑に絡んでいて面白かった。内容自体は目新しい事は殆んど無かったが、気が付いていた報道の偏向が確認された事は大きい。
一つは、FAZ紙等で大きく報道されていた去年の津波被害時の中国の活躍で、「日本ではこれは報道されていない」という事が確認された。その他、アジアにおける中国の外交的な覇権が2010年から効力を持つ多くの二国間関税同盟によって具体化するということなどもアジア全体を見る場合、戦略上重要である。視点を変えることで台湾の海上閉鎖やシベリアンオイルラインの経路決定などの重要な事実や戦略が浮き彫りにされる。
ドイツの報道は諸外国と比べ「偏向」しているが、これはある程度仕方が無い。今日の膨大な情報量を考慮すると読者のために必要な情報を取捨選択しなければいけないからである。反対に、如何なる読者も十分な情報が得られるインターアクティヴな報道体制が敷かれてこそ初めて、これが用を為す。上の件もドイツ語圏の報道では、天然ガス・海底油田の問題が反日デモンストレーションと同格に報じられたことでその情報の偏向と短絡化が分かる。
サッカーのアジアンカップが注目されて来た以上にアジアの政治事情は重要になってきた。その外部からの視点を以って的を射れるのは、ゴールへの距離を測りながら巧妙なパスでネットへとボールの糸を引くのと同じく、相対的な視点が三角測量法のようにしてその対象の姿を立体的に具象性を持って示す時である。
寧ろ首相即ち国民の傾向として捉えられていて、日本人のヴァーグナー愛好熱が紹介されていた筈です。これはここでも何時か触れましたが、日本公演での熱狂はTV番組になっていました。「素晴らしい集中力、歓迎振り、ドイツ文化への憧憬」と言う反面「恐ろしい、逃避、ヒステリック、日本の生活の欲求不満の表れ」と語る歌手や指揮者などの意見が語られていました。日本人の過去の文化に対するノスタルジー感覚よりも米国の文化消費生活の反映を番組は示していました。
今時森鴎外を研究する東独?ドイツ人教授のような感覚は何処にでもありますが。
この番組をNHKは流さなかったのではないでしょうか?これなどは、その質はさて置き、自己自身ではなかなか辿り着けない批判の領域です。しかしこれらの問題は如何にしてもローゼンストック・ツアイスのメガネで見る事になるのは仕方ないです。
上述したように偏向を読み込みながら見れば、情報が無いのとははるかに違う立体感が出てきます。
神社への年参を非政治化・非宗教化するのと同じように、非ナチ化の進んだバイロイト訪問に文化的・政治的意味合いを持たせるのは難しいのです。
グローバリゼーションが進む現在、日本の貿易相手として中国はますます重要性を増してきているように感じます。おっしゃる通り、このままの成長率を維持することが出来るなら、日本とアジアでの覇権をめぐる相手になることは間違いないでしょう。
しかし、投資先としては魅力なのですが、アジアの同胞といわれながらもどうしても親近感がわかないのは、やはり中国が「共産国家」であるからなのでしょうか?情報の非対称性の存在が中国に対する信頼を揺らがせます。最近米国では中国の輸入に対して保護主義的な態度をとることが多くなりましたが、中国の影響力が増しつつある今、世界は「共産国家・中国」に対してより神経質になっていくと思います。中国が信頼できる国家になるよう世界的に中国との「付き合い方」を考えなければいけない時期に来ているのかもしれませんね。
中共に対しての私の個人的見解を、お察しの通り書こうとしたのですが、何故か!字化けしたので割愛しました。小平後の解放政策は強い党指導の下での自由主義経済ですから、語弊があるかもしれませんが昭和の高度成長期と比較したいと思うのです。市場主義が十分に機能しなかった時代です。
これはポイントでないかと思います。欧州も其れに対して繊維の制限をしましたし、為替市場への圧力も重要です。今後も経済制裁は効果的な武器になる?
工業先進国は、各々の企業が目先の市場占有率を奪い合うのではなくて、戦略的に協調していかないと制御が利かないです。中国は経済的な困難を対外的な拡張主義で乗り切ろうとする傾向がハッキリしていますので、包み込みの戦略が手遅れで無いように願うのです。
モスリムやアフリカを中心に反米の国々に中共が永く友好関係を築いて来ておりますので、ますます米国だけでは対抗出来ない勢力になっている事を注意して見ていかなければなりません。
情報として、中国は現在開かれているヴァチカンの会議への僧侶の出国を許可しませんでした。この辺も情報の解放と共に体制の綻びになるかもしれません。