カイザースラウテルンで鯉のぼりが揚げられたのは先日伝えられていた。その時は気がつかなかったのだが、この町には昔から漁師町でもないのに幾つもの魚の伝説が伝わっている。特に鯉は、グリム兄弟が1815年にカッセルで纏めた独逸伝説集に載っている。バルバロッサとして有名なフリードリッヒ皇帝に纏わる伝説である。それによると、トルコ人による収監から解放されたバルバロッサはカイザースラウテルンに宮殿を作り庭を拵えた。もともと濠でもあったところに作った池の鯉を捕らえた皇帝は、それを記念して自らの金の指輪を鯉の耳に付けたというのである。そしてその鯉は末代まで捕らえられることはなかったが、何時ごろか二匹の鯉がのど元を金の鎖で結ばれて見つかったと言うようなものである。
もう一つの魚はカマスである。1497年の11月6日に見つかったという6メートル近いカマスが吊り上げられて、胸元の金のプレートにギリシャ語で「カイザー皇帝によって1230年のワイン五ヶ月目の六日(10月6日)に放たれた魚であるぞよ。」と書かれていたと言う。この魚は、当時の首都であったハイデルベルクのプァルツ選定候フィリップの食卓に上って、プレートはお宝として保存されたと言う。こうした伝説から今でもカイザースラウテルンの市章には魚が描かれている。
ワールドカップサッカーの期間を向かえて各地の住宅の窓や車など至る所に国旗が掲げられているのを見る事が出来る。これを、スポーツによる代替戦争のパトリオティズムと見てしまえばそれで終わりだが、上の例のように地方や民族の歴史や伝説を示してアイデンテティーを護る行いに違いないのである。イングランドの赤十字も然りである。こうしたものを、少なくとも過去の忌まわしい歴史から敢然と決別している限りにおいて、誰も否定する理由は無い。
ミュンヘンにおける開会試合前に、ドイツ連邦共和国歌の斉唱を注意深く聞いていたが、以前と比べて「独逸は世界一」と言う戦前や旧東独逸の国歌のフレーズを口ずさむ人は断然少なくなっているような気がする。旋律はオーストリアの皇帝フランツ二世の誕生日にハイドンが作曲したものに基づいていて、18世紀の遺物である国歌の歴史にも対応しているが、今日国歌がなんらかの意味を持つためには教育の正しさと明確な国家理想像を示しているべきではないだろうか。ヴァイツゼッカー大統領時代の1991年になって始めて歌詞が正式に認知された国歌は素晴らしいものであり、世界中で歌われるべき内容で、法制化の意味することがこうして今実感出来るのである。伝説の追想やIDの強化を意味するような歌詞の国歌とは随分と違い、これは近代国家として文化的発展のレヴェルを示しているのだろう。
情報:オランダ戦は民放の放送であった。民放は媚びた放送のような感じで良くない。日本チームは近郊に宿泊しているとなっているがマンハイムのマルティムホテルと情報を得た。カイザースラウテルンには国際一級のホテルが無いと言うことの証明なのであろう。勿論その中間にあるワイン街道のバッド・デュルクハイムにも無いのである。キッチンをホテルと分けて使うのだろうか?
参照:
お宝は流れ流れて [ 文学・思想 ] / 2005-03-15
ドイツ鯉に説教すると [ 文学・思想 ] / 2005-03-14
言葉の意味と響きの束縛 [ 音 ] / 2006-04-15
IDの危機と確立の好機 [ 文学・思想 ] / 2005-04-20
もう一つの魚はカマスである。1497年の11月6日に見つかったという6メートル近いカマスが吊り上げられて、胸元の金のプレートにギリシャ語で「カイザー皇帝によって1230年のワイン五ヶ月目の六日(10月6日)に放たれた魚であるぞよ。」と書かれていたと言う。この魚は、当時の首都であったハイデルベルクのプァルツ選定候フィリップの食卓に上って、プレートはお宝として保存されたと言う。こうした伝説から今でもカイザースラウテルンの市章には魚が描かれている。
ワールドカップサッカーの期間を向かえて各地の住宅の窓や車など至る所に国旗が掲げられているのを見る事が出来る。これを、スポーツによる代替戦争のパトリオティズムと見てしまえばそれで終わりだが、上の例のように地方や民族の歴史や伝説を示してアイデンテティーを護る行いに違いないのである。イングランドの赤十字も然りである。こうしたものを、少なくとも過去の忌まわしい歴史から敢然と決別している限りにおいて、誰も否定する理由は無い。
ミュンヘンにおける開会試合前に、ドイツ連邦共和国歌の斉唱を注意深く聞いていたが、以前と比べて「独逸は世界一」と言う戦前や旧東独逸の国歌のフレーズを口ずさむ人は断然少なくなっているような気がする。旋律はオーストリアの皇帝フランツ二世の誕生日にハイドンが作曲したものに基づいていて、18世紀の遺物である国歌の歴史にも対応しているが、今日国歌がなんらかの意味を持つためには教育の正しさと明確な国家理想像を示しているべきではないだろうか。ヴァイツゼッカー大統領時代の1991年になって始めて歌詞が正式に認知された国歌は素晴らしいものであり、世界中で歌われるべき内容で、法制化の意味することがこうして今実感出来るのである。伝説の追想やIDの強化を意味するような歌詞の国歌とは随分と違い、これは近代国家として文化的発展のレヴェルを示しているのだろう。
情報:オランダ戦は民放の放送であった。民放は媚びた放送のような感じで良くない。日本チームは近郊に宿泊しているとなっているがマンハイムのマルティムホテルと情報を得た。カイザースラウテルンには国際一級のホテルが無いと言うことの証明なのであろう。勿論その中間にあるワイン街道のバッド・デュルクハイムにも無いのである。キッチンをホテルと分けて使うのだろうか?
参照:
お宝は流れ流れて [ 文学・思想 ] / 2005-03-15
ドイツ鯉に説教すると [ 文学・思想 ] / 2005-03-14
言葉の意味と響きの束縛 [ 音 ] / 2006-04-15
IDの危機と確立の好機 [ 文学・思想 ] / 2005-04-20
ただ、今回のワールトカップ招聘で村おこしをしようとしている姿はとてもけなげです。日本のカイザースラウテルンでの戦いは終わりましたが、この町がWM中どんな様子なのか引き続き市が運営しているHPを覗こうかなぁ、と思っています。日本でWMが開催された時の九州の中津江村に通ずるものがないですか?
私はサッカーファンでないので、詳しいことはわかりませんが、日本代表がBONNを宿泊地としたことは、予選リーグでのトータル的な移動を考えたからではないでしょうか。日本代表ともなれば至れりつくせりで荷物運びの心配は不要でしょうが、いろいろなところを転々とするよりは、一箇所に拠点を置いて試合のときだけその場所に移動するのが得策だと思います。
サッカー関連で言えば、FC・KLの成績が経済指標となるかもしれません。
ボンでの駐留は日本チームには良かったでしょう。他のチームはどちらかと言えば滞在型のリゾートホテルなどを利用しているようですが、日本チームには近代型のホテルがどうしても必要なようです。平素の生活形態に近いからでしょう。