Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

山羊の競り落とされる日(2)

2005-05-20 | 
式のプログラムからプログラムの間は、ブラスバンドが音楽を奏し縫い目無く進行する。進行役の親爺は梯子を伝ってお立ち台に上がり、若夫婦にインタヴューする。手馴れたマイク捌きとその巧妙な話術で当日の朝の感想などを聞いた後に、今度はそれよりも時間をかけて、腰を屈めて山羊君にまるで孫に対するように話しかける。「君は大人しくて、賢明だな、よしよし、君は健康そうで色艶良く」。この親爺、平素はどちらかと言うと凛として真面目な顔つきで頭を下げるだけで、物静かで口数少ない。

舞台後景ではショッペンワインで口を濡らす光景が散見される合間、音楽が吹奏される。その舞台前景で今度は大きな樽が運ばれて来て、登場するのは「地元には、二種類の職業しかない」と言う、ワイン醸造職人と樽職人である。

親方が大樽の上に立ち、掛け声の音頭をとって、キューファーの労働歌を掛け合う。なるほど、彼らが一生の内に飲み切るワインの量は途方もない。箍を打つ槌の音は、今のところ未だ小気味が良い。親方が半リッターワインを三口で飲み切ると、祭りは一つ目の山場を迎える。一気飲みを見て皆が嬉しくなって、心が浮き足立ち、士気が一気に上がるのだ。流石に玄人は、綺麗に美味そうに飲む。観衆の持ったショッペングラスもそれに釣られてその厚いガラスの底が天を向く。

間奏曲が流れると、今度は大樽に変わり二つの楕円形の樽が新たに舞台に転がされる。この形状は、発酵に使うので作業穴が開けられていて、こちらに口が向けて並べられる。綺麗に樽を洗う事の必要を説き水の重要さが語られると、職人服に身を包んだ子供たちが舞台に駆け上がる。そして一人一人が名を名乗ると、親爺の号令一貫、この穴に頭から入って、頭から出てくるのを競うのだ。新婚夫婦と山羊はこれを足下に見下ろす。暗い樽の中とその外の風景は、強い対照となっている。母体回帰への子供たちの喜びを皆で分かち合う。如何しても穴の前に立ちはだかろうとする子供たちを、親爺は観衆の視角の邪魔にならないようにと追い散らそうとするが儘ならない。

式は、長い歴史の中の伝統を継承する形で、不要なものは切り取られ、新しい物が付け加えられ、無駄が省かれて自然の鉱石のような美しい結晶となっている。「何時の時代に何が」という問いは、絶えず残る。しかし、現在の形が完成したものである事を確認するのが、祭りなのだろう。親爺が式の冒頭に、風習であると強調していたのをまざまざと思い知らしめる。



参照:
ワイン街道浮世床-ミーム談義 [ 文化一般 ] / 2005-05-25
山羊の競り落とされる日(1) [ 暦 ] / 2005-05-19
山羊の競り落とされる日(番外1) [ 生活・暦 ] / 2005-05-20
山羊の競り落とされる日(番外2) [ 生活・暦 ] / 2005-05-21
山羊の競り落とされる日(番外3) [ 生活・暦 ] / 2005-05-21
山羊の競り落とされる日(3) [ 生活・暦 ] / 2005-05-22
山羊の競り落とされる日(結) [ 生活・暦 ] / 2005-05-23

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2 コメント

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母体回帰願望 (★シオン☆)
2005-05-21 02:36:37
はじめまして。

短歌『母体回帰願望』にトラックバックしてくださってありがとうございました。

詩『―忘却―綿毛のたまご』にも母体回帰願望という言葉が使われております。



子供たちがワイン樽の中に入って出る行事があるのですね。

日本でも子供たちが酒樽に入って出るというのを、どこかでやっているのかもなぁなんて思いました。
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穴の潜りというのもある (pfaelzerwein)
2005-05-21 13:30:15
★シオン☆さん、コメントありがとうございます。



なるほど、詩の方も拝見しました。ここでの樽とは、大分肌触りが違いますね。木の硬く撥ね付ける感じは男の子向けでしょうか。



木の根もとや柱の穴の潜りというのも良くありますね。
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