デカダンとラーニング!?
パソコンの勉強と、西洋絵画や廃墟趣味について思うこと。
 



このblogの内容が、タイトルにある「デカダン(頽廃)」らしくないかも、と思っている人も少なくないかもしれないが、今回は少しそれらしき話題を書きたい。

18世紀から19世紀初頭にかけて活躍したフランスの画家に、ユベール・ロベール(Hubert Robert,1733-1808)という人がいる。ロベールは廃墟画をたくさん描いた人で、21歳のときにローマに来て、「ブランコ」で有名なフラゴナールや「牢獄の想像図」や「ローマの廃墟」で有名なピラネージと親交を結び、廃墟画のパンニーニと知遇を得た画家で、10年以上ローマに住んだ。(フラゴナール、ピラネージ、パンニーニは、いずれも廃墟画で名を馳せていて、彼らはイタリアにいるロベールに決定的な影響を与えた。)
フランスに戻ってからロベールは廃墟画で名声を得、ルーヴル美術館の整備・展示計画の責任者や監視官に就任する。
『NHKルーブル美術館Ⅳ』(日本放送出版協会)によれば、彼はルーヴル美術館の最初の館長となり、革命騒ぎによる投獄(1792年から約二年間)のあと、1801年には再びルーヴルの館長になったという。
簡単にロベールの略歴を紹介したわけであるが、私の好きなロベールの作品に


『ルーヴルのグランド・ギャラリーの改造案』(1796)


『廃墟化したルーヴルのグランド・ギャラリーの想像図』(1796)

がある。(これらの作品はこのブログのタイトルのところにある絵です)
両作品は同じ年に制作されていて、全く違う状態のルーヴル美術館を描いた作品なのに、描かれている時間は(ルーヴルの)未来のいつか、という点で共通している。
ロベールが両作品を描いた理由にはいくつか説があるのだが、私は20年以上もルーヴルに住んだロベールに、革命による投獄でルーヴルが廃墟化する可能性が頭をよぎったのかもしれない、また出獄後にルーヴルが健在だったことがなおさら印象に残ったかもしれない、と思っている。いずれにせよ、私はロベールが二つの作品を描いたことによって、未来のどちらのルーヴルの姿を想像するにせよ、ルーヴルを存続させようという一種の戒めみたいなものを感じている。それは、きっとロベールの生命力なんだろうな、と私は思っている。

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