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其角句碑「稲妻塚」

2011年08月20日 | インポート

Kikakukuhi 大滝山に戻ります。芭蕉句碑の建てられた同じ年に、その隣に其角の句碑も建てられました。建設者・揮毫者も同じ閑日庵応吏(?~1853)です。高さは93cm、幅は88cmあります。

「稲づまや きのふは東 けふは西   晋子」

晋子は其角の別号です。稲妻のことを詠んだ句なのでこの碑は「稲妻塚」とも呼ばれています。

宝井其角(1661~1707)は江戸生まれで、芭蕉のもっとも有力な門人です。芭蕉の没後は江戸俳諧では一番大きな勢力となりました。隣接して荻生徂徠(1666~1728)が私塾「蘐園塾」を開き交流が多かったというのが面白いです。徂徠といえば、日本における「古文辞学」の開拓者であり、儒学から道徳主義を取り外し、古典に戻って儒学を吟味しようという考え方で、学問・文学・歴史としての面を追求した人物です。西洋におけるルネサンスのように、日本に文芸の進化をもたらしました。一種の自由主義といってもよいでしょう。国学もその影響で進化します。其角の俳句表現にもそのような自由主義的な部分があるのでしょう。この句も稲妻の、人智を超えた自由さを詠んでいるように思います。

応吏の師匠である元徳島藩士の三露園万和(1767~1827)は徳島から大阪に出て俳諧を修行し、「其角四世の宗匠」と呼ばれるほど其角に傾倒した人物でした。門人の応吏としても芭蕉と共に其角の句碑も奉納したのだと思われます。変体仮名も使いながら、石の形に合わせて文字配置が考えられています。書風も柔らかく豊かな感じです。


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