山本飛鳥の“頑張れコリドラス!”

とりあえず、いろんなことにチャレンジしたいと思います。
と思っていたけど、もうそんな年齢じゃなくなってきた。

タイムカプセル

2009-11-15 23:47:44 | 日記
タイムカプセルというと大げさですが、1ヶ月半前に封印した段ボール箱を開けました。

今日は、先週家具屋さんに行って注文した食器戸棚と本棚が届いたので、引越し以来ダンボールに入れたままになっていた食器やCDや本などを、戸棚の中に収納しました。
やらなきゃならなかったこととは、このことです。夫は本棚を、私は食器戸棚を担当して、昼過ぎから夜までかかりました。
2人とも、片づけをはじめるとどんどん散らかるばかりの整理能力のない者同士なので、なんか途中でいやになっちゃいましたが、なんとか収めました。

食器のダンボールは3個くらいあったのですが、ダンボールを開けたとき、あれっ、こんなマグカップあったんだ、とか、そういえばこんなお皿使ってたねと、なんかすごく懐かしく感じました。
2ヶ月も経っていないのに、引越し以来限られた食器だけを出して使っているうちに、以前のものをすっかり忘れてしまっていたのには驚きます。

新聞紙やプチプチを剥がしながら出していくと、荷造りをしたときのことが鮮明に思い出されてきました。ここに入ってる空気って、向こうの家のものかな?ゴキブリ出てくるかも・・・。幸いにして向こうの家のゴキブリは出てきませんでしたが、茶渋のついた湯飲みなど見ると、なんか以前の家の生活が甦ってくるようでした。
新しい家には茶渋は似合わず、即座にキッチンハイターで漂白しました。

以前使っていた食器戸棚は木目だったのですが、今度はシンクや壁が白いので、真っ白なのにしました。
売り場に陳列されていた現品を選んだので、定価より1万円安く済みました。
値段重視で適当に選んでしまったので、変だったかな~と不安でしたが、置いてみると周囲の雰囲気と合っていたのでよかったです。

1ヶ月半積みあがっていたタイムカプセルのダンボールはやっとお役御免です。

・・・でも、実は、まだ部屋のほうに何個もあるんだよね。
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サザエさん

2009-11-15 23:22:47 | 運転・車・道路の事
今日は、ふとテレビをつけると、人間版(実写版というのか?)のサザエさんをやっていた。サザエさんは観月ありさ、お母さんのフネは竹下景子だった。
場面は、フネさんが運転免許を取る決意をしたところであり、いつもの和服姿で自動車学校にパンフレットをもらいに行ったりしていた。
へえ、面白そう、フネさん、ぞうりはいてるけど、自動車学校に通い始めたら洋服になって靴はいて、そして最後には波平さんやみんなを乗せてドライブに行くのかな~なんて想像した。
ところが、ドラマの展開は、片岡鶴太郎演じる波平さんが免許を取るのを反対したために、家事をボイコットして男どもを困らせ、主婦がいないとどれだけ困るかを思い知らせるというものだった。男たちは醤油の場所や靴下の場所がわからなかったりして困り果て、家庭内の女性の重要さを思い知ったということだった。
そして、波平さんが謝って仲直りする場面になるのだが、私が驚いたことには、フネさんは、「ただ友達が免許を取ったので自分も取ろうかと思っただけ。自動車学校に行ったら若い人ばかりだった。免許は取らない」ということで、めでたしめでたしという結末だったのだ。なんたるつまらないストーリー。
これは洗濯機に脱水機がない場面を見るに、昭和30年代くらいの時代背景かと思うが、現代放送するにはあまりにも感覚がずれすぎているように思える。というか、昔はこうだったといいたいのかな?
最初のほうを見ていないのでよくわからないが、私個人の勝手な希望としては、フネさんがいい年をして運転免許を取ったらよかったな~と思ったのだった。

いつも思うことだけど、フネさんも波平さんもどうしてあんなにおじいさんとおばあさんみたいなんだろう。あれで小学生の子供の親じゃないの。サザエさんが20何歳かで孫のタラちゃんもいるとはいえ、どのくらいの年かな?と思うと、フネさんはどう考えたって40代ではなかろうか。どうしてあんなに年寄りっぽいのかな~。

そのあと、別の話が始まったけど、つまらないのでチャンネルを変えてしまった。

ところで、私は漫画のサザエさんのほうは全然見ないのだけれど、サザエさんの家では、誰が車の免許を持ってるんでしょうね。

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10分ドライブ

2009-11-15 22:45:56 | 運転・車・道路の事

先週の火曜日以来運転をしていなかったので、今日はハンドルを握らなければと思っていたのですが、いろいろしなきゃならないこともあるうえに、やっぱり運転恐ろしい~という気がして、あんまり遠くにでかける勇気がなく、ほんのわずかだけ走ってきました。
べつに怖い思いをしたわけでもないのに、どうして怖いのか不思議です。走り出してしまえば、そう怖くもないのですが、家で思いをめぐらすと怖いのです。

夫と自転車で昼ごはんを食べにでかけ、幹線道路沿いを走りながら、どうして世の中の人々はあんなに暢気な表情で余裕を持って運転してるんだろうね、と話しました。
こっちは必死の命がけみたいな感じなんです。
それで、まるでバンジージャンプするような感じなので、1度・2度成功したからといって、何度もできるというものではなく、そのたびに危険を感じ、恐ろしさが募るわけでした。

余裕で運転が出来る人というのは、たとえば40歳で運転しているおばさんがいるとすれば、きっと子供のときから家の車に乗りなれていて、助手席や後部座席に乗って親の運転を見て成長したあとに、自分も運転免許を取って20歳くらいから運転し始め、それから20年も運転してるということが考えられます。

一方、こちらは、まあ、私の場合は18歳までは時々父運転の車に乗っていたとはいえ、それから30年間自動車というものには、運転するどころか、乗客としても年に数回しか乗らないで来たわけです。そうです、バスもタクシーも滅多に乗らないで、自転車ばかりです。だから、車というものがまるで無縁の乗り物だったといえるでしょう。
夫の場合は、育つ過程にも車がなかったし、その後もずっと車なしですから、私よりもずっと長く車とは無縁の生活をしてきたのでした。

だから、条件悪いよな~、とは思うものの、そんなことを考えたところでどうなるものでもなく、とにかく頑張って運転するしかないなあ~と思います。

今日のコースは、歩いて15分の駅までの道を、自動車で行き、駅のそばにあるコインパーキングに車を入れたつもりで、そこからまた家に戻ってくるというものでした。
これは、今月末に田舎から母がきたときに、駅まで迎えに行くのですが、歩いて家まで来るのはちょっと遠いので、いくらかでも車で走ったらいいんじゃないかと思うわけです。
駅前では車を止めて人を待つことができないし、携帯電話を持たない母とは現地で連絡もとれないため、駅近くのコインパーキングに車を止めて駅の改札まで迎えにいく予定です。
近頃は、公衆電話もなくなってしまったので、母が公衆電話を見つけることもできないかもしれず、東京駅に到着した時刻から計算して、時間をみはからって降車駅で待つようにします。

ところで、コインパーキングというのはいろいろあるのですが、駅のそばだと道路が狭くしかも混んでいると運転技術のない私にはうまく入れることができないのではないかというおそれがあります。
そのため、駅から5分くらい歩くような場所でいつも比較的空いていて、駐車場の前の道路が広くて、しかも通る車が少ないところがいいのです。
そんなところを一箇所みつけたのですが、例によって時間制限や一方通行ばかりの道路ゆえ、その道路を本当に走れるのかということを確かめてきました。
想定通り走ることができました。実際に駐車してこなかったので、駐車がうまくいくかどうかはぶっつけ本番になりそうですが、当日他の駐車車両が少ないことを祈ります。

そのあと、一方通行道路を家に向って走ってくると、途中、他の車には遭遇しなかったものの、自転車や歩行者が多く、しかも思わぬ動きをすることに驚きました。まるで歩行者専用道路のように歩いているんですね。道路の真ん中を平気で歩いているし、こっちが交差点で左右の確認をするために一時停止して出ようとしているときに、右から左から自由自在に動き回ったり、横断したりするために、本当にどれだけ歩行者のために進めなかったか、と驚きました。その道路は車の通りが少ないので安心ですが、その分、怖いのは歩行者だということがわかっただけでも収穫だったようです。

往復10分程度の短い短いドライブでしたが、これからいつでも運転できるんだから、あせることはないかなと思いました。
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