山本飛鳥の“頑張れコリドラス!”

とりあえず、いろんなことにチャレンジしたいと思います。
と思っていたけど、もうそんな年齢じゃなくなってきた。

初運転・初散歩

2013-01-04 22:23:32 | 車・運転・道路2013


最近、運転してなかったので、今年最初の運転をしました。
行き先は近場の公園。駐車場はガラガラでした。
今日は、仕事始めだというので、業者の車やトラックなどが走っているかと思ったのですが、まだあまり走っていないようでした。
一方、会社員などは仕事に行っているからか、公園には家族連れもいませんでした。
犬の散歩をする人がちらほら。釣りをするおじいさんたちがちらほらです。
あ、バードウォッチングをするおじさんたちが何人か、三脚を設置してカメラを構えていました。

空は晴れていますが、風が強くて、日陰がかなり寒いです。
池の一部分は凍っているようでした。氷は今年初めて見ました。

ボートに乗る人もいないので、白鳥が勢ぞろいしています。(写真)
池をぐるりと回って戻ってきました。駐車代金600円。1時間400円に30分経過ごとに200円なので、1時間半置いたようです。
往復のバス代の方が安いなあ~。(バスの場合420円ですね。)

この公園に車で行ったのは初めてですが、駐車場はすぐに見つかりました。道にも迷いませんでした。
まあ、知っている場所だからでもありますね。走行距離は、たったの12.9キロでした。
もっと走らないと、バッテリーの充電がたまりません。

ところで、今日、運転中、変った出来事といえば・・・

普通バスというのは停留所に停まりお客さんを載せて出発となったときに、
右ウィンカーを出すと、なんのためらいもなく右に出て走りだすのが常です。
公共の交通機関である乗りあいバスの場合、その走行を妨害してはいけないので、前方にバスの右ウィンカーを見たならば、
私はすぐに速度を落として、バスに進路を譲るようにしています。
そうしないと、バスがどんどこ車線に出てきてぶつかりそうになるのです。すでに横を走っているのにも構わず寄せてくるバスさえ多いのです。

バスはそれだけ、強引なのがあたりまえ、バスは絶対優先だと思っていたのです。
ところが、
今日のバスはそうではなかった。
私がバスの右後ろで速度を落としても、バスは出ようとしないので、ついにこちらが止まってしまったのですが、
それでも右ウィンカーを出したまま動きません。
それで、バスの脇を前へ通り過ぎました。(バスは車線より左によったバス停用スペースに停車中)

そういうバスもあるのか。運転手さんが新人だったのだろうか?
ウィンカーは出したものの、何か取り込み中で発車できなかったのかな?
ちなみに、私がこれまでよく行きあうバスは「関○バス」や「東○バス」でしたが、今日のは「西○バス」でした。
バス会社によって強引さがちがうのかな?
それとも走る道路によって違うのかな?
急ぐ必要のない状況だったのかな?
あ、私の後ろから車が続いて来なかったからかな?
バスは、その後、私のすぐ後についてきました。

時と場合によって、いろいろなものですね。



コメント

「走る」ことについて

2013-01-04 00:40:21 | 日記
駅伝を見ていたら、子どものころ走らされたマラソンのことを思い出した。
箱根駅伝では、上り坂や下り坂があって、その大変さなどが語られている。
上りも大変だが、下りは勢いがついてしまって脚への負担が大きく、箱根のカーブのきつい坂道を下ったあとは数日間、脚が元に戻らないそうだ。

そう言えば、私が子どものころ故郷で走らされていたコースでも、山あり谷ありのものだったので、上り坂の身体の重さや息の苦しさ、下り坂の脚への衝撃、重力によって転がり落ちるような勢いで進んでしまう感触というのは、素人ながら実感として思い出すことができた。私は下りでは苦しくなくなり走れるチャンスのところ、必ず横腹が痛くなってしまって、また思うように走れなかった。

そんなことを家族と話しながらテレビを見ていたら、実家の母の話によると、子どものころから戦争で体育の授業なんかしたことがないので、マラソンの経験はないのだそうだ。
労働のような作業ばかりさせられていて、重い米俵を運ばされて華奢な体の母は、よろよろしてしまった辛い経験などが、思い出されるそうである。

娘は中学高校と運動部で走ったりはしていたものの、私が見る限り、娘の学校の周囲は平地であるので、起伏の激しい地形を走った経験はなさそうであった。また、都会なので、人や車も多いから、学校の外には出ず、敷地内を何周という運動が多かったはずだ。

そうなると、私の場合、近所の裏山を一周してくるコースや、学校から坂を下って海辺まで行き、別の坂を上って戻ってくるコースなど、当時すごくいやだったマラソンだが、そんな自然の地形を走れたのは貴重な経験だったかもしれないと思えてきた。
急な上り坂のところは「心臓破り」なんて言われていた。それらのコースは、中学・高校とも体育の時間内にやっと戻って来られるくらいの距離であり、結構きつかった。のんびりしていると次の時間に間に合わなくなってしまうので必死だ。冬になると、体育の教師は生徒に「行って来い」といって送りだしておしまいである。だが、先生が途中を見張っていないからといってずるはできなかった。近道をしてごまかす抜け道などもなかった。

箱根駅伝などを見ていると、選手の出身地が紹介されているが、「東京」の人がほとんどいない。東京にも坂はあるだろうし、自然が無いわけではなかろうが、圧倒的に地方の出身の人が多いように思う。やっぱり自然環境というのが背景になるのかなあとふと思った。

それにしても、小学校から高校まで、マラソンは「苦しい」以外のイメージだけしかなかった。でも、大人になって最近のジョギングというと、いきなり苦しいような走りをするものではないとか、決して無理をしないようにとか言われている。ウォーミングアップの方法などきちんと指導されているようだ。今通っている筋トレの教室でも、有酸素運動では心拍数を測り、適度な心拍数を保ち、極端に上がりすぎないように注意されている。

だが、昔は、筋トレでもなんでも、とにかく「極限の苦しさに打ち勝たなければ失格だ」というような意識で、しごかれたものだ。私の場合、マラソンは走りだしてからかなりの時間、呼吸が苦しくてたまらず、普通に走りたくとも、みんなにおいついていけなかった。そうすると「根性がない」ということで人間失格のように扱われた。みんな同じに苦しいのだから、それに打ち勝てないのは精神力がないというわけだ。

でも、本当にみんなが同じに苦しいわけではなく、みんな苦しくないからあんなに早く走っていったのであろう。私は自分の肺が片方しか動いていないんじゃないかと疑ったほどである。その私はかなり走ったあとでやっと調子づいてきて、後半では歩いている人を追い越したりした。後半で歩いている人はサボっているとしか思えないが、その人はその人で走り続けられない辛い要因があったのだろう。自分は全く呼吸も苦しくないし筋肉も辛くないので、不思議だった。単に立ち上がりが遅かったということだ、と今になって思う。どうやったら立ち上がりを早くすることができるのか。走るという状況に体を適合させることができたのだろうか。

当時は、本当にがむしゃらに、ただ「始めから最後まで出来る限りの速度で走ってこい」ということを繰り返した体育の授業だった。本当は、競技ではなく、体力作りや健康維持を目的とするべきではなかったのかな。そんなわけで体育嫌いの人が多かった。

マラソン(道路を使う長距離走)はたった1人でもできる運動だ。駅伝選手の中には、小学校のときに全校生徒が7人しかいなかった人がいた。それで、球技のゲームができず、運動と言えば必然的に1人で走るものしか選べず、マラソンの道に進むしかなかった、などと紹介されていて、ちょっと笑ってしまった。

マラソンは、誰にも迷惑をかけず1人でできるということでは、もしかしたら自分に適したスポーツかもしれないと思える。
マラソンは苦しいもので、駅伝なんか見ていると、なんであんなにまでして辛いことをするのだろうかと思うが、軽いジョギングくらいなら、自分もやってもいいかなと思えてきた。誰にも強制されず自分のペースで走れるのならちょっとやってみようかな。


コメント