山本飛鳥の“頑張れコリドラス!”

とりあえず、いろんなことにチャレンジしたいと思います。
と思っていたけど、もうそんな年齢じゃなくなってきた。

20 日本製紙グループ(エコプロダクツにて)

2013-01-31 22:46:01 | 産業・技術
1月も今日で終わりです。
そこで、大変なことになっていることに気が付きました。なんと、エコプロダクツの見学記録が、まだ終わってなかったのです。
一応、20回までとしようと思っていたのですが、その最後の記事がまだだったのです。
で、それがこの「日本製紙グループ」なわけなんですが、実は、ここはすごく充実してまして、実際、1番良かったかなと思うくらいなんで、最後をかざろうと後回しにしていたところ、な、なんと、大部分の内容をざるのように忘れてしまったのでした。

どうしよう・・・。
それに、実は今日は時間がないのです。(学校の宿題やらなくちゃ・・・)

それで、とにかくも写真を載せときます。



紙と言えば、木を原料にしてパルプから紙製品を作るわけですが、その製品の種類はもういろいろとありまして。



紙だけではなく、いろんなものがあります。
原料を無駄にせず、特殊な効果のある物質も精製されております。
このへん、詳しく記載したいところですが、勉強不足。ちょっと調べる時間がないので、またいつか機会があったら改めて記事を書きたいと思います。



製造工程で出た物やエネルギーはすべて有効に活用されています。



驚いたのは、ここで出たバイオ燃料で発電がされており、その発電量は練馬区で使われる電気量に相当するということでした。
化石燃料ではありませんので、地球上の二酸化炭素を増やすわけではないそうです。



それから、植物を植えてみどりを増やしたりする活動にも力を入れているそうです。

たとえば、静岡県では、製紙会社で作っているお茶畑などもあり「さえみどり」というお茶を栽培しているそうです。

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ここで、個人的なことをかけば、私は静岡県の出身で、子供のころ、親戚の家に行く途中、製紙工場のある街を通りかかることがありました。
それは、昭和40年代くらいの高度成長のころで、煙突からは煙が出て、それはそれはすごい臭いが立ち込めていたのです。
そのころは、田子の浦なんて、ヘドロで有名でした。ヘドロは製紙工場から出たものだと聞いていました。
しかし、そんな時代はもうすっかり終わっています。
(これは、以前紙の博物館を見学したときも書いたことだったと思います。)
今、40年前の日本のような公害の状況にあるのは「中国」なのでしょう。日本の技術を取り入れて、クリーンな工場設備を作るべきですね。
中国は深刻な問題です。

製紙工場は、木を伐採して森林を減らしてしまうし、エネルギーを使ったり、公害を生み出すという考えは、日本では昔のことで、現在にはまるで当てはまらないということが、はっきりしています。
木は適切に伐採し、また植林すれば、地球上の森林は無くなることはありません。
また、その原料や製品は、無駄なく活用され、リサイクルもされている。
自然を守りながら、産業を発達させることは不可能なことではないでしょう。

最近は、文書の電子化なども増えてきましたが、紙が人間の生活からなくなることはまったくありえません。
これからも、発達し続ける産業だと確信しました。

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駆け足で大雑把で大変申し訳ありません。
改めて書きたいと思いますが、本日はこのへんで。
とりあえず、2012年のエコプロダクツ見学記はこれで終了といたします。

(エコプロダクツに関する一連の記事は、このブログの「産業・技術」のカテゴリーを選択してください。




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大鵬

2013-01-31 00:32:28 | 日記
元横綱の大鵬さんが亡くなり、今日、お通夜が営まれたとのことだ。
大鵬は、私が小さかったころのお相撲さんとして、記憶にある。
それで、わたしの幼少期の相撲に関する最古の記憶として、今書かないとおそらく今後書く機会はなかろうと思うので、ここで書いておくことにした。

といっても、そんな大した記憶ではない。

それは、たぶん私が4歳くらいの冬の事だろうと思う。
私の家族は小さな借家に住んでいた。その日は、祖母(父の母)が来ていて、母と祖母と私と炬燵に座って過ごしていた。父はまだ仕事から帰っていなかった時間だったのだろう。

そのとき、母と祖母はいろいろと大人同士でずっと話をしていて、わたしは黙ってその話に耳を傾けていた。
そうしたら、祖母が、「この子はよく大人の話をじっと聞いているね」と驚いた。普通、子どもというのは、大人の話なんか聞かないで、遊んでいるものだろう、というのだ。
聞いていておもしろいか?わかるか?などと聞かれ、「うん」と答えたのを覚えている。
そのとき、私は大人同士の話を聞いて、全部理解していると自覚し、2人の話を聞いていて全く飽きることはなかった。

それから、そのとき、テレビがついていた。テレビは白黒テレビで、ちょうど相撲をやっていた。大鵬と柏戸の取り組みになった。
祖母は柏戸を応援していた。私は、「なんでおばあちゃんは柏戸なんかが好きなのかな?断然大鵬のほうが顔がいいのに」と思った。
祖母が、私にどっちが好きかと聞くので「大鵬」だと答えると、へえ~この子は大鵬が好きなのか、と驚いていた。

私は、確かに大鵬が好きだった。

今思えば、本当に幼いころは、自分が何が好きで何が嫌いかと、自分で意識することはないのかもしれない。人に聞かれて初めて意識化されるのだ。

私は、幼いころのことをあまり覚えていないのだが、大人に「この子はおとなしい」とか「この子は緑と黄色が好きなんだね」とか「歌がうまいね」「絵がうまいね」などと言われて、自分とはそういうものなのか、と自覚したように思う。

それで、大鵬と柏戸とどっちが好き?と聞かれて、このとき「大鵬だ」と答えたことにより、「自分は大鵬が好きだ」ということを強く自覚するにいたったのだ。

小さいとき、お相撲さんといえば、「大鵬」だった。

私が生まれて初めて名前と顔を知り、好きだと思ったお相撲さんは「大鵬」だったようだ。



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