山本飛鳥の“頑張れコリドラス!”

とりあえず、いろんなことにチャレンジしたいと思います。
と思っていたけど、もうそんな年齢じゃなくなってきた。

ブラウン管テレビの処分

2013-01-27 19:48:28 | 日記
ダイニングキッチンで以前使っていた14型のブラウン管テレビだが、昨年の秋ごろ音声の調子が悪くなり、急に音が出なくなるようなことがあった。テレビの音が出ないのは致命的であり、映像がきれいに映っていても、何を言っているのかまるでわからない。また、キッチンでは、画面を見ないでニュースを聴きながら調理をしたりすることが多いので、音が出ないとなると、まるで用をなさないのだ。
それで、このテレビを処分することにした。自宅にはもう1つ使っていなかった11型のとても小さな液晶テレビがあるので、今はそれを代わりに使っている。これもアナログなのだが、ケーブルテレビ会社が2015年3月まで、デジアナ変換してくれるので、使える限りは、あるものを無駄にしたくない。

そんなわけで、新しいテレビと買い替えたわけではないから、買った店で古いのを引き取ってもらうというのではなく、粗大ごみとして、廃棄しようとしたのだが、テレビや冷蔵庫は特殊な電化製品なので、粗大ゴミセンターでは引き取ってくれないことがわかった。

テレビのリサイクル料というのを、そのテレビの種類・大きさ・型番に応じて、指定金額を郵便局から振り込むことが家電リサイクル法という法律で決められている。うちのテレビは、1785円だった。
まずは、それを済ませないと、どうにもならないので、それをしたのが12月の始めだった。その後はずっとベランダに置いてあった。
電化製品の指定引取場所は、各所にあるが、大部分は一時中継所であるため、そこに持っていってもいくらかの運送費が取られるそうだ。そのうち世田谷区給田か、板橋区板橋にある運輸会社の営業所内にある引取りセンターは、最終的に集められる中継所だからか、そこに持っていけば、運送料はかからず、すでに振り込んだリサイクル料だけで済むことがわかった。

そうであれば、せっかく車があるので、そこに直接持って行こうと思っていた。
ところが、ここは日曜・祝日はやっていないので、行けるのは土曜日だけだったが、土曜日に夫の休日が取れず、なかなか持っていけなかった。
テレビは、クルマから受付のカウンターまでも自分で運ばないといけないそうだ。営業所の場所もよくわからないし、クルマを停めるところもどうなるかわからない。ブラウン管テレビは大きいので、夫も一緒に行ってもらわないと心細い。一度、日曜日に場所を下見に行こうとしたら環八が渋滞していて、一向に進まないので、あきらめて帰ってきたことがあった。そのあとは、今度は雪が降ってしまって、積もっていたら危ないと思ってやめておいた。

そんなことをしているうちに、もう1月も終わりそうだ。リサイクル料の振り込み証明は10年間有効だそうだが、いつまでもテレビを家に置いておくのも不安になってきた。
これ以上待っても、土曜日にテレビを運べる日は、いつやってくるのかわかりはしない。

それで結局、今日調べたら、電気屋さんでも不要なテレビを受け付けてもらえることがわかったので、リサイクル料の振り込み証明といっしょに、近隣の電気屋さんにさっそくもっていった。運送料が1050円取られたが、仕方がない。

そのテレビは、ソニーのトリニトロン。そういえば、そんな名前を昔はよく耳にしたものだ。夫はソニーが好きなので、今見ている主なテレビはブラビアである。
このトリニトロンは、以前の家では、居間ではなく子どもたちの部屋に第2のテレビとしておいてあったものだ。製造は2002年と書いてあった。となると、ちょうど10年使ったことになる。

テレビよ、御苦労さまでした。
引っ越し前の家で使っていたものが、だんだん我が家から姿を消していく。
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コリント人への第一の手紙(9章27節)

2013-01-27 09:42:10 | 日記
前記事の聖句について
いったいどこに書かれていたものだったか、気になって探してみました。

「むしろ自分の身体を打ちたたき、奴隷として引いていくのです。…(略)…」

この前後はこうなっています。
9-24
競争の走者はみな走りはしますが、ただ1人だけが賞を受けることをあなた方は知らないのですか。あなた方も、それを獲得するような仕方で走りなさい。
9-25
また、競技に参加する人は皆、すべてのことに自制を働かせます。もちろん彼らは朽ちる冠を得るためにそうするのですが、わたしたちの場合は、不朽の冠のためです。
9-26
ですから、わたしの走り方は目標の不確かなものではありません。私の打撃の仕方は、空を打つようなものではありません。
9-27
むしろ、自分を奴隷として引いて行くのです。それは他の人たちに宣べ伝えておきながら、自分自身が何かのことで非とされるようなことにならないためです。
(新世界訳)

なぜ、この部分の聖句を思い出したかというと、
それは、私がまだ30代前半のころ、あるクリスチャンの人から聖書のことを教わっていたのですが、その人の勧めで、当時、日曜日に行われている集会にも、子どもたちを連れて参加したりしていました。しかし、やはりめんどうくさいし、せっかくの休みがつぶれてしまうので、休みたいという気持ちが強まります。
そんなときに、クリスチャンの人が、日曜の集会にいくのに、「自分の身体を打ちたたき、奴隷として引いて行く」という、この聖句を紹介したのでした。

私が、昨日急にこれを思い出したのは、『休みの日の午前中に、行きたくないところに行く方法』という共通な状況下だったからなのでしょう。
この聖句はもちろん、クリスチャンのあり方について記されているものですが、仕事にしても、別のことにしても、あてはめることができます。

この部分の聖句は、他の聖書によると、ちょっと訳文がちがっています。
9-24
あなた方は知らないのか。競技場で走る者は、みんな走りはするが、賞を得るものは1人だけである。あなた方も賞を得るように走りなさい。
9-25
しかし、すべて競技をする者は、何ごとにも節制をする。彼らは朽ちる冠を得るためにそうするが、わたしたちは朽ちない冠を得るためにそうするのである。
9-26
そこで、わたしは目標のはっきりしないような走り方をせず、空を打つような拳闘はしない。
9-27
すなわち、自分の身体を打ちたたいて服従させるのである。そうしないと、ほかの人たちに宣べ伝えておきながら、自分は失格者になるかも知れない。
(日本聖書協会)

ここでは「奴隷のように引いて行く」ではなく「服従させる」となっていました。

いずれにしても、自分自身が非とされたり失格者とならないために、選択の余地なく、我慢することは我慢し、やるべきことはやる、ということですね。

自分に対して甘い私にとっては、本当に厳しい内容です。
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自分を奴隷のように引いていく

2013-01-27 00:14:10 | 日記
今週は、筋トレをサボってしまった。週に2回は行こうと思っているのだが、週始めはサボり、次に行ける日は、午後の仕事を休んで帰宅していたので、再び外出するのが面倒になってしまい、その次に行ける日は、出勤する時にトレーニングウェアなど一式が入った手提げを持って出るのを忘れ、夕方一度自宅に戻ったら、また外出するのがいやになってしまったのだ。それ以外の2日は勉強で通学しているから行けない。
そんなわけで、今週の平日は1回もスポーツジムに行ってなかった。会費がもったいな~い。

今日は、特に用事が無かった。今まで土曜日にジムに行ったことはないのだが、今日行かないと、今週は本当に行かずじまいになってしまう。
しかし、せっかくの休みに行くのは面倒臭い。どうせだから今日も行かないで、来週から頑張ればいいのではないか?でも、行かなかったら、また自己嫌悪に陥るのだろうなあ・・・等と悩んでいた。

そのときに、ふと「自分の身体を打ちたたいて奴隷のように引いて行くのです」という聖書の言葉が浮かんできた。
そうだ、行きたくないところに行く、やりたくないことをする、そういう時は、やる気を出すとか出さないとかの問題ではない。意思などは関係ないのだ。
やるべきことをやるとき、行かなければならないところに行く時は、自分を打ちたたいて、その場に無理やり連れていく、とにかく身体を持っていくという方法があるのだ。
そこでは、自分の意思と身体を一旦切り離さなくてはならないのだ。

昔、この聖書の言葉を知ったときは、ちょっと驚いた。物事はなんでも自分の意思に従うものだと思っていた。だから、サボりたいと思ったときには、まず、その心を変えて、やる気を出さなくてはいけないのだ、と思っていた。
でも、この言葉では、嫌なものは嫌なままでいいのだ。気もちなんか関係ないのだ。

私はもともと運動が好きではない。だから、基本的に気が重い。行きたいという力より休みたいと言う力が勝る傾向なのである。
でも、この言葉を思い出し「無理やり自分を連れて行こう」と考えてでかけることにした。

そんなわけで、今週も、なんとか1日は出席することができた。

土曜日の午前中は、案の定、知らない人ばかりだった。インストラクターはいつものメンバーだった。女性ばかりだけど、感じの良い人ばかりだ。それにかっこいい。気合いが入っているので、元気がもらえるし、自分もそういう人になりたいなあと思う。

筋トレをすると、身体があたたまり、気分もよくなった。筋肉は1週間のうちにまた衰えていたし、トレーニング機器の使い方がへたくそになっていた。人間ってすぐに忘れちゃうものだ。それから、すぐに心拍数が上がる。これも有酸素運動を習慣にすると、あまり上がらなくなってくるようだ。

やるべきことはすべて「奴隷のように、自分を無理やり引いて」いけば、成し遂げられるのかもしれない。

きょうは、ジムには行って来たけど、あとはまたいつも通りの怠慢で、何もしないで1日が終わった。でも、ジムにだけでも行けてよかった。


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