誰に苦言を呈するかと言えば、この日本国土に対して。
どうして、いつまでも、こんなに寒いの!?
もう3週間もろくにクルマの運転をしていないのだが、週末に強風が吹いたり雨が降ったりと天気があんまりよくなかったからである。
それで、今日は久しぶりに晴れているし、風も強くはないのだが、とにかく寒い。
家の中にいてもエアコンをガンガンつけている状態だ。
そりゃあ、真冬に比べれば暖かいはずで、こんなことを理由に外出ができない、などというのはおかしいのだが、どうも出かける気になれないのだ。
気が向かない時は、もうそのままでいいよ。家の中にこもっていよう。
そろそろゴーヤの種でも蒔いたほうがよさそうで、そのためにはプランターと土でも買ってこようかと思っているのだが、なんか気が重い。
だって、ベランダが寒いだろうから。
ああ、どうもすっきりしない気分だ。
先日、ほんの少しだけ車に乗ったのだけど、それがなんと、
またドライブレコーダーがフロントガラスからはがれ落ちてしまい、貼り直してもらいに、買ったお店に行ったのだ。
ドライブレコーダーが落ちたのは、それよりもっと前であって、夫が気づいた。私は平日は車を見ないので全く気がつかなかった。
このまえ、新しい両面テープで貼り直してもらったばかりなのにいったいどういうことだろうか。
夫がメーカーに聞いたところ、両面テープだけを貼り変えてもダメなんだそうだ。つまり、本体の貼着面状態と両面テープの粘着性の両方の特性によって、その貼着力が発揮されるらしいのだ。
ということで、今度は本体もろとも交換となったのであった。まだ保証期間だからね。
落ちる事自体は、かなり迷惑な話だけど、日本とはなんと素晴らしい国なのであろうか。
これが近隣の某国であったなら、「しばらくすると落ちるものです」とか「暑いと剥がれるのは当たり前」という感じで「不良品じゃありません、涼しいところにおいてください」「3か月は持ったでしょう」などということで済まされてしまうに違いない。なんといっても某国の特徴は、「売ればいい、あとは知らない」というものだ。それに比べると、日本のメーカーのなんと誠実なことなのであろうか。
今度こそ落ちないでくれよ。
ドライブレコーダーを取り付けに行ったら、ガソリンが急に減っているのを発見。もしかしたら娘が乗ったのかもしれない。たしか、半分くらい入っていたはずが4分の1くらいに減っているので、ガソリンを入れに行った。
私が車に乗る用事は、ドライブレコーダーを貼り直すのとガソリンを入れに行くだけで、10キロも走らないし、結局クルマ自身のための走行だけなのだから、おかしな話だ。
車を手放したら、お金が全然かからなくなって、駐車場代も浮くし、私は毎月3万円くらい洋服を買ったり高級レストランで食事ができたりしそうだ。でも、クルマを手放すなんてペットを手放すのと同じくらい悲しいに違いない。だから無駄な経費を払うために頑張っている。
クルマは1つのステータスだ。軽自動車ごときでステータスという言葉を使うと笑われそうだが、クルマがあるという状態を維持するためには、それなりに仕事などしていなければ経費を捻出できないのだ。もし車がなければ、「ああ、もう疲れた。仕事やめちゃお、専業主婦のほうが楽だわい」なんてことになりかねない。そうすると気は楽になりそうだが、一気に力が抜けていきそうである。クルマがあることによる「無理」によって頑張るしかない自分を作りだし、それなりに「社会人」としてやって行く。そんな「意地」みたいなものが必要なのだ。クルマを維持するためには意地が必要ってわけだ。
だから、私は免許を取って車を買って乗るようになってから、ある意味、気が強くなったと思うし、気を強くもたなければやっていけないのである。
それが本当に自分の力に合っているのか、それとも自分の力以上のものが必要なのか、自分の力が足りないときには、手放すしかないだろう。
近所の人で、70代の人が最近車を処分された。運転の適性が合わなくなってきたせいもあるだろうし、年金や貯蓄を使っての生活で、自家用車を持つ意味がなくなったのかもしれない。今でさえあんまり必要もない自家用車だから、自分にもそんな日が来ることは確実だ。でも、そのうち娘がもっと使ってくれる機会もあるかなとも思う。
どうして、いつまでも、こんなに寒いの!?
もう3週間もろくにクルマの運転をしていないのだが、週末に強風が吹いたり雨が降ったりと天気があんまりよくなかったからである。
それで、今日は久しぶりに晴れているし、風も強くはないのだが、とにかく寒い。
家の中にいてもエアコンをガンガンつけている状態だ。
そりゃあ、真冬に比べれば暖かいはずで、こんなことを理由に外出ができない、などというのはおかしいのだが、どうも出かける気になれないのだ。
気が向かない時は、もうそのままでいいよ。家の中にこもっていよう。
そろそろゴーヤの種でも蒔いたほうがよさそうで、そのためにはプランターと土でも買ってこようかと思っているのだが、なんか気が重い。
だって、ベランダが寒いだろうから。
ああ、どうもすっきりしない気分だ。
先日、ほんの少しだけ車に乗ったのだけど、それがなんと、
またドライブレコーダーがフロントガラスからはがれ落ちてしまい、貼り直してもらいに、買ったお店に行ったのだ。
ドライブレコーダーが落ちたのは、それよりもっと前であって、夫が気づいた。私は平日は車を見ないので全く気がつかなかった。
このまえ、新しい両面テープで貼り直してもらったばかりなのにいったいどういうことだろうか。
夫がメーカーに聞いたところ、両面テープだけを貼り変えてもダメなんだそうだ。つまり、本体の貼着面状態と両面テープの粘着性の両方の特性によって、その貼着力が発揮されるらしいのだ。
ということで、今度は本体もろとも交換となったのであった。まだ保証期間だからね。
落ちる事自体は、かなり迷惑な話だけど、日本とはなんと素晴らしい国なのであろうか。
これが近隣の某国であったなら、「しばらくすると落ちるものです」とか「暑いと剥がれるのは当たり前」という感じで「不良品じゃありません、涼しいところにおいてください」「3か月は持ったでしょう」などということで済まされてしまうに違いない。なんといっても某国の特徴は、「売ればいい、あとは知らない」というものだ。それに比べると、日本のメーカーのなんと誠実なことなのであろうか。
今度こそ落ちないでくれよ。
ドライブレコーダーを取り付けに行ったら、ガソリンが急に減っているのを発見。もしかしたら娘が乗ったのかもしれない。たしか、半分くらい入っていたはずが4分の1くらいに減っているので、ガソリンを入れに行った。
私が車に乗る用事は、ドライブレコーダーを貼り直すのとガソリンを入れに行くだけで、10キロも走らないし、結局クルマ自身のための走行だけなのだから、おかしな話だ。
車を手放したら、お金が全然かからなくなって、駐車場代も浮くし、私は毎月3万円くらい洋服を買ったり高級レストランで食事ができたりしそうだ。でも、クルマを手放すなんてペットを手放すのと同じくらい悲しいに違いない。だから無駄な経費を払うために頑張っている。
クルマは1つのステータスだ。軽自動車ごときでステータスという言葉を使うと笑われそうだが、クルマがあるという状態を維持するためには、それなりに仕事などしていなければ経費を捻出できないのだ。もし車がなければ、「ああ、もう疲れた。仕事やめちゃお、専業主婦のほうが楽だわい」なんてことになりかねない。そうすると気は楽になりそうだが、一気に力が抜けていきそうである。クルマがあることによる「無理」によって頑張るしかない自分を作りだし、それなりに「社会人」としてやって行く。そんな「意地」みたいなものが必要なのだ。クルマを維持するためには意地が必要ってわけだ。
だから、私は免許を取って車を買って乗るようになってから、ある意味、気が強くなったと思うし、気を強くもたなければやっていけないのである。
それが本当に自分の力に合っているのか、それとも自分の力以上のものが必要なのか、自分の力が足りないときには、手放すしかないだろう。
近所の人で、70代の人が最近車を処分された。運転の適性が合わなくなってきたせいもあるだろうし、年金や貯蓄を使っての生活で、自家用車を持つ意味がなくなったのかもしれない。今でさえあんまり必要もない自家用車だから、自分にもそんな日が来ることは確実だ。でも、そのうち娘がもっと使ってくれる機会もあるかなとも思う。