ヒマなもんだから、結局次の本を読むことにした。
瀬戸内寂聴と萩原健一の対談「不良のススメ」を読んでいる。1時間くらいでもう半分くらい読めてしまうくらいスカスカの文字数なのだ。萩原健一が四国88カ所のお遍路をした話などもある。お遍路っていうのは観光気分でできるもんじゃない。大変なものなんだなと思う。歩くうちに悟りが生まれるのかもしれない。
この本は図書館で借りてるんだけど、文中に時々鉛筆で線が引かれている。それをゴシゴシ消しゴムで消しながら読んでいる。先に借りた人間が線を引いたわけだけど、どうしてこんなところに、というようなどうでもいいところに引いてあるのがくだらない。
最初から最後まで読むうちに、最初から最後までの落書きを消す。図書館員の仕事みたいだね。
図書館で本を借りると、線どころではなく、何やら文を書きこんでいる人間もいる。
そう言う人は自意識過剰で自分のコメントがすごく価値のあるものだと思っているのだろう。だから、次に読んだ人間が感心するかとも思っているようだ。
これは人ごとではなく、自分も高校時代なんかに、欄外に何か小さな文字で書きこんだ事があるような気がしないでもない。そしてそのときには、読んだ人間がみんな書きこんで行ったら面白いだろうなんて思ったものだ。
しかし、実際に人の書いたもの(本への書き込み)を見てみると、バカじゃないのこの人は?と思うことのほうが多い。それは、ある意味その人の精神を尊重していないってことでもあるけど、書いてあることに同感出来ない場合が多い。こっちがバカで理解できない場合もあろう。しかし、著者が書いた内容にいちゃもんつけてる場合もあり、アンタは著者より偉いのか?と思ったりもする。著者の書いている事が間違ってるか?でも客観的事実が違うならまだしも、見解が違う場合などは、自分の意見と違うからってそこで異論を唱えるのはおかしい。又同感だとか絶賛だとしても、そんなことは知りたくはない。
そうだ、自分より先に読んだ人間が何を思おうと、次に読んだ人間には関係がないのだ。
次の人間は純粋に、その本の著者から情報を得たいだけなのだ。
ということで、公共の本に線を引っ張ったり書き込みをするのはやめてください。
話はそれましたが、この本は読むやすく、すいすい進みそうです。
瀬戸内寂聴と萩原健一の対談「不良のススメ」を読んでいる。1時間くらいでもう半分くらい読めてしまうくらいスカスカの文字数なのだ。萩原健一が四国88カ所のお遍路をした話などもある。お遍路っていうのは観光気分でできるもんじゃない。大変なものなんだなと思う。歩くうちに悟りが生まれるのかもしれない。
この本は図書館で借りてるんだけど、文中に時々鉛筆で線が引かれている。それをゴシゴシ消しゴムで消しながら読んでいる。先に借りた人間が線を引いたわけだけど、どうしてこんなところに、というようなどうでもいいところに引いてあるのがくだらない。
最初から最後まで読むうちに、最初から最後までの落書きを消す。図書館員の仕事みたいだね。
図書館で本を借りると、線どころではなく、何やら文を書きこんでいる人間もいる。
そう言う人は自意識過剰で自分のコメントがすごく価値のあるものだと思っているのだろう。だから、次に読んだ人間が感心するかとも思っているようだ。
これは人ごとではなく、自分も高校時代なんかに、欄外に何か小さな文字で書きこんだ事があるような気がしないでもない。そしてそのときには、読んだ人間がみんな書きこんで行ったら面白いだろうなんて思ったものだ。
しかし、実際に人の書いたもの(本への書き込み)を見てみると、バカじゃないのこの人は?と思うことのほうが多い。それは、ある意味その人の精神を尊重していないってことでもあるけど、書いてあることに同感出来ない場合が多い。こっちがバカで理解できない場合もあろう。しかし、著者が書いた内容にいちゃもんつけてる場合もあり、アンタは著者より偉いのか?と思ったりもする。著者の書いている事が間違ってるか?でも客観的事実が違うならまだしも、見解が違う場合などは、自分の意見と違うからってそこで異論を唱えるのはおかしい。又同感だとか絶賛だとしても、そんなことは知りたくはない。
そうだ、自分より先に読んだ人間が何を思おうと、次に読んだ人間には関係がないのだ。
次の人間は純粋に、その本の著者から情報を得たいだけなのだ。
ということで、公共の本に線を引っ張ったり書き込みをするのはやめてください。
話はそれましたが、この本は読むやすく、すいすい進みそうです。