村上春樹のアンダーグラウンドを3分の2くらい読んだところです。
普通は、読後感想文を書くものですが、私の場合、読中感想文を書くことが多く、しかも最後まで読まずに放置という本も多々あります。
でも、たぶん、この本は最後まで読むと思いますけどね。
ただ、やはり、さすがにボリュームがあるなあ、と思います。
文庫本で読んでいるんですけど、厚いので、ページを開いて持つのが大変。手のひらや指の筋肉を普通のサイズの文庫本以上に使うなあと思って、ちょっと不便です。
それから、地下鉄のいろんな線や駅名が出てきて、だんだんわけがわからなくなってきました。路線図でも見ながらアタマを整理しつつ場所を確認したほうがいいのでしょうが、とにかくダダっと読んでいるので、位置関係・時間関係がこんがらがってきてしまいました。しかも、サリンが最初に置かれた電車と、けり出された駅と、次の電車に乗っていてその影響を受けた人や、ホームで被害に遭った人など、もうわけがわからなくなってきてしまいました。
あとで整理されたものを読んでもこの状況ですから、当日の混乱は大変なものだったのでしょう。こんなことをされては、全く不可抗力でしょう。
でも、この時にはすでに松本サリン事件が起きたあとであり、オウム真理教が怪しいとも言われていたし、神奈川県の中ではオウムの危険性が注目されていたというので、警察がもう少しちゃんと対処していたら、こんなことに発展する前に、オウムの活動を阻止できたかもしれなかったと思います。
こんなに危険な集団であるオウム真理教を、宗教法人として認めたのもおかしいと書いている人もいて、確かにそうだと思いました。
1990年ころは、衆議院選挙なんかに立候補していて、街には変な歌を歌いながら象のかぶり物をかぶった教団員たちが踊りを踊ったりしていました。本当に変だった。選挙には当然落ちました。変な集団だけど、そんな危険なことをたくらむ集団だとは思いもしませんでした。選挙に当選できず、その後は別の手段、別の方向に進んでいったのでしょうか。
「アンダーグラウンド」のこの本のボリューム、つまりその証言の人数の多さとその一人一人の文章の量もかなりあります。そこには、村上春樹の普通でないパワーと意志を感じます。それは、聞ける人からは1人残さず聞いて、聞いたことは、本人が承諾するかぎり、きちんと記録するということでしょう。それを気分で取捨選択したり、本のページ数がいくつだからどこを削って、なんていうことはしないでしょう。この厚さが、この人の誠実さであり、ひとりひとりの人を大切にしているのだと感じます。また、本に記されるのを拒んだ人の話も、印刷物にはならないものの、村上氏の心の中にしっかりと受け止められたはずです。
だから、読むほうもきちんと、ひとりひとり全部読むのが礼儀だと思います。
これを読んでいると、いつも何の関心も持たずに電車に乗り合わせている乗客のみんなが、それぞれに自分の人生を大切に歩んでいるということが具体的に見えてくるようでした。自分だけが頑張っているわけでも苦労しているわけでもなく、みんなも同じなのだと、あらためて感じます。他人の命の重さや、他人の生活の重要性を知らされました。