山本飛鳥の“頑張れコリドラス!”

とりあえず、いろんなことにチャレンジしたいと思います。
と思っていたけど、もうそんな年齢じゃなくなってきた。

輪切り恵方巻き

2017-02-03 15:09:11 | 食べ物


今日の昼ごはんは、近所のコンビニに行って恵方巻きと唐揚げを買ってきました。

恵方巻きは、今年は北北西を見て、黙って丸かぶりするものらしいですが、私は当然そんなことはしません。

普段から、昼ごはんは「助六寿司」を食べることが多く、これは太巻きとかんぴょう細巻きといなりずしのセットですので、その一部分のようなものです。

当然食べやすく輪切りして、切り口を見て楽しみます。

今日の恵方巻きも助六に入ってるのと同じもので、大した中身じゃありません。

焼きアナゴ・卵焼き・かんぴょう・シイタケ・おぼろ・高野豆腐・キュウリ と書いてあります。京都清水寺の御祈願海苔を使っているそうです。

どうやって大量の海苔の御祈願をしているのか、見てみたいですね。

家の近所のコンビニは、控えめに恵方巻きが置いてありました。
これが、会社の近くのコンビニだと、山もりの恵方巻きに占領され、普段のお弁当は全くなくなってしまい、昼ごはんを買いに行っても買うものがない状況です。

すごい強気で恵方巻きを勧めてくるので、
会社で丸かぶりしろってのか?と文句を言って、何も買わずに出てきたこともあります。
こうやってコンビニは、ふだんの固定客のニーズに合わないことをして、売り上げを落としているのだ、ばかじゃないかと思うのでした。

今年は、逆に仕事が休みなので、コンビニに恵方巻きを買いに行っちゃったら、おそろしく控えめです。弁当も少なければ恵方巻きも少ないです。
住宅街であまり売れないお店なのです。

それに、近頃恵方巻きを売るノルマがバイト店員に課されるということで、問題になっており、ニュースでも放送されていることがあるのかもしれません。

全く、恵方巻きを作り過ぎるのはやめた方が良いです。

幸せどころか、恵方巻きを売らねば食べねばという強制で、恵方巻きストレスになってしまいます。

それに、恵方巻きは黙って丸かぶりしないと意味がないぞと説教をするのもやめてもらいたいです。
食べる自由、食べない自由、好きな形で食べる自由もあるわけですよね。
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ハイビスカス2号

2017-02-03 14:59:10 | 植物・花・木


今年になってから咲いたハイビスカスの2個目。

このピンクに黄色の縁取り(これ何色って言ったらいいんだろうか?)のハイビスカスは、夏も1個か2個しか咲かなかったのですが、一昨日ひとつ咲きました。

黄色のハイビスカスに引き続いて咲き、エアコンの下はよほど温かいものと思われます。

しかし、まあ、夏のようにきれいな感じではないのですが、記念に撮影しておきました。

パキラも成長期で大変です。

家の中に入れるために上の方を切ったのですが、その分を取り戻すくらい、再び大きくなってしまいました。

あと2か月くらいしたら外に出せるかな。

植物との同居で、狭い部屋がさらに狭いです。

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震災の前と後

2017-02-03 11:59:05 | 日記2017


最近、2011年3月5日の東京湾クルーズのときの写真を見ながら、記事を書いています。

そのきっかけは放送大学の授業に「海からみた産業と日本」という科目があって、その内容は知らないのですが、そのタイトルから、あのときのクルーズで見た景色を思い出したからでした。

しかし、それだけではなく、先日、記憶喪失の人の番組をテレビでやっていたのですが、そこで取り上げられていた青年のうちの1人が、東北の出身で、おそらく北のほうから南を目指して逃げて来て、九州に到着したが、記憶を失って、どこの誰なのかわからないということでした。

そこで、おそらく東北から逃げてきたことと、記憶から消してしまいたかった経験がある、というのは震災と関係があるのではないかと感じたのでした。実際には愛知県の高校を卒業している人だったようですが、言葉の特徴からやはり東北出身の人のようで、未だ事実はわかっていないようです。

その番組を見たときに、私の中でも、記憶喪失ではないにしろ、過去の記憶が分断されていることがあると気がついたのです。

2011年3月11日の東日本大震災は、東京には直接の被害はありませんでしたが、あの震災ショックは、確かに大きなものだったと思います。

普通だったら、3月5日に東京湾クルーズをして、3月8日にブログにだいたいのあらましを写真とともに掲載し、その後も色々と撮った写真を載せていくのが私のブログの書き方です。しかし、それができる精神状態ではなくなりました。

つまり、あのようなきれいな海や埠頭の景色は、東北の津波の被害があった後には、見るに堪えられないものとなってしまったのです。

東京にはそれが震災前も後も変わらずにあり続けるわけだけれど、東北では失ったものが大きすぎるのでした。だから、精神的に平和な東京湾を暢気に眺めている気には到底なれるものではありません。

だから、あの写真は封印していたんだと思います。

あれから、6年近くなって、東北の復興はまだ途中だし、失ったものは帰らないけれど、これまでの歳月で、平和な海が普通の気持ちで眺められるようになったんだと思います。

記憶を失っていた人が、自分は誰だったんだろうと過去を探し始めたように。
私の場合は、そんな大変なものではないけれど、あの日見た東京湾の記憶を、今になって普通に、たどれるようになったんだなと思います。
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ホウスイ

2017-02-03 10:22:15 | 産業・技術


2011年3月5日の東京湾クルーズで写した写真です。

(当時は、直後に東日本大震災があって、撮った写真を眺めるどころではなくなってしまい、そのままになっていました。)

「ホウスイ」とは何なのか、今ごろになって調べてみました。

写真を見ても水産物を保管する冷凍倉庫だとはわかるのですが、

「株式会社ホウスイ」という会社です。(東証1部上場)
水産物の冷凍冷蔵保管事業や水産食材の卸売事業等をしているようです。
また、厚焼き卵などの加工食品も製造販売しているようです。

写真に写っているのは、「豊海第二冷蔵庫」で、築地に隣接する埠頭内で最大の庫腹だそうです。25000トン。
(「庫腹」とは、その倉庫の空間の大きさだそうですが、容積とどう違うのかよくわかりません。保管有効な容積ということで、保管以外に使う部分の空間は含まないということかもしれません。)

この写真を撮ったのは、おそらく後ろにそびえるツインタワーや近くのビルとのバランスが良く、きれいな景色だったからだと思います。

東京湾周辺にどんなものがあるのか、もっと知りたいなあと思います。



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APL

2017-02-03 02:32:24 | 産業・技術
引き続き、東京湾にあった海運会社のご紹介です。
前記事の NYK MOL K LINE と 似たようなアルファベット APLですが…





American President Line Limited の略でした。

シンガポールに本社を置くコンテナ輸送海運会社だそうです。

日本の会社ではありませんでした。

保有するコンテナ積載量は世界7位だそうです。

東京・横浜・千葉・大阪・神戸・福岡等で見られるそうです。

海運会社は、色々な国の会社が数社集まっていくつかのグループを組んでいて、
APLは、G6というグループに属し、商船三井・日本郵船と業務を提携しているらしい。

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そういえば、これらの海運会社のところにある大きな鉄の構造物は、コンテナをつり上げるためのクレーンなのですね。形がそれぞれ違って面白いです。
あっ、単に見る角度が違うってことかな?結局、同じような形なのかも。



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