小畠鼎子(こばたけていこ)という画家は知らなかった。
川端龍子(かわばたりゅうし…男性)という日本画家の弟子で、川端龍子が創立した「青龍社」という団体の一員として、絵を描いたり発表したりしていたそうだ。
家庭を持ち、4人の子供を育てながら絵を描き続けてきた。65歳で亡くなるまで35年間の画家生活で、時代は戦前戦後にわたる。
会場の年表を見て記憶にあるのは、最初の女の子を2歳くらいで亡くしていることだ。辛かったことだろう。その後4人の子供に恵まれたようだが、長男はその後戦死している。長男の死後は暗い色調の植物の絵を描いているようだった。
戦時中は、国策なのか「増産」や「突進」などという題名の絵を描いて(描かされて?)いたようだが、「突進」は鴨たちが列をなして泳ぐ姿であり、「増産」は女の子がサツマイモを掘って蔓を引き上げている絵である。
戦時中は、画家たちの活動もままならなかったようだが、1945年の敗戦直後の秋には、すぐに展覧会を開いていた。すごいと思う。
この人の絵は、上手なのか下手なのかわからない。輪郭と背後の色との境がはっきりせずきれいでないものもある。下書きがうまくできたからといって、色をつけたらよくなるというものでもないというようなことを本人が言っており、絵を描く上で苦労していた点でもあったようだ。
この人の絵の展覧会が、ここで今開かれたのは、元々この人が吉祥寺に住んでおり、武蔵野市が、ご遺族から絵を寄贈されていたからだそうだ。全部で47点くらいあったようだが、額縁などには入っておらず、紙の状態だったので、絵を修復したり額に入れたりする作業に年月を要して今に至ったとのことである。
(クジャクとシャクヤク とても華やかな作品)
この人の絵を見ると、かなり鳥が好きなようなので、私としては、酉年に展覧会を開いたのはちょうど良かったのではないかと思った。
(親黒鳥と雛の様子がむつまじい)
吉祥寺美術館は、入館料が100円でとても安い。スペースが狭く、今回の企画展での絵の数は、20点程度と少ないので、この値段の安さもそれに合ったものであるかもしれない。
しかし、小規模であるだけに、ちょっと立ち寄るのにちょうどよい。
その他に常設展があり、萩原英雄の富士山の絵もよかった。時々立ち寄りたい場所である。
川端龍子(かわばたりゅうし…男性)という日本画家の弟子で、川端龍子が創立した「青龍社」という団体の一員として、絵を描いたり発表したりしていたそうだ。
家庭を持ち、4人の子供を育てながら絵を描き続けてきた。65歳で亡くなるまで35年間の画家生活で、時代は戦前戦後にわたる。
会場の年表を見て記憶にあるのは、最初の女の子を2歳くらいで亡くしていることだ。辛かったことだろう。その後4人の子供に恵まれたようだが、長男はその後戦死している。長男の死後は暗い色調の植物の絵を描いているようだった。
戦時中は、国策なのか「増産」や「突進」などという題名の絵を描いて(描かされて?)いたようだが、「突進」は鴨たちが列をなして泳ぐ姿であり、「増産」は女の子がサツマイモを掘って蔓を引き上げている絵である。
戦時中は、画家たちの活動もままならなかったようだが、1945年の敗戦直後の秋には、すぐに展覧会を開いていた。すごいと思う。
この人の絵は、上手なのか下手なのかわからない。輪郭と背後の色との境がはっきりせずきれいでないものもある。下書きがうまくできたからといって、色をつけたらよくなるというものでもないというようなことを本人が言っており、絵を描く上で苦労していた点でもあったようだ。
この人の絵の展覧会が、ここで今開かれたのは、元々この人が吉祥寺に住んでおり、武蔵野市が、ご遺族から絵を寄贈されていたからだそうだ。全部で47点くらいあったようだが、額縁などには入っておらず、紙の状態だったので、絵を修復したり額に入れたりする作業に年月を要して今に至ったとのことである。
(クジャクとシャクヤク とても華やかな作品)
この人の絵を見ると、かなり鳥が好きなようなので、私としては、酉年に展覧会を開いたのはちょうど良かったのではないかと思った。
(親黒鳥と雛の様子がむつまじい)
吉祥寺美術館は、入館料が100円でとても安い。スペースが狭く、今回の企画展での絵の数は、20点程度と少ないので、この値段の安さもそれに合ったものであるかもしれない。
しかし、小規模であるだけに、ちょっと立ち寄るのにちょうどよい。
その他に常設展があり、萩原英雄の富士山の絵もよかった。時々立ち寄りたい場所である。