この頃、「技術者倫理」という言葉をよく思い出す。
これは、放送大学の科目の中にある。
なぜ、この頃思い出すかといえば、まずはワクチンのことだ。
この新しいワクチンは、本当に安全なものなのだろうか?
大多数の医師や科学者は、問題ないとしているが、中にはこのワクチン接種を中止しろという運動を起こしている医師たちもいる。
一番気になるのは、元ファイザーの副社長マイケル・イードン氏が、この新型コロナワクチンを世界中の人間に接種する行為を否定しているということだ。
短期間の見切り発車であること、長期間にわたる人体に対する安全性が確認されていないこと、子供や妊婦には接種しないほうが良いこと、世界をコロナの恐怖に陥れワクチンを普及させる罠であること、ワクチンパスポートが実行される前に止めなければいけない・・等々。
このような内容のどこからどこまでが、実際に本人の主張していることなのかもわからない。
いったいこの人は、なぜ今はファイザーの副社長をやめているのか?まるで経緯などもわからない。
自分が開発したり関わったりしたものの危険性や欠陥に気づいたときに、それをどうやって止めるのか、というのが技術者倫理である。
この人は、その倫理感で行動しているのだろうか?
危険性に気づいたときに、それを指摘せず行動にも移さず、ずるずると過ごしてしまった場合どうなるのか?
今は本当にそういう場面なのだろうか?
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熱海市伊豆山の土石流災害にもついても、これは人災であることが判明した。
この地の盛り土のやり方が危険であることは、過去に誰も気づかなかったわけではなかった。
かなり多くの人や市や県や業者や住民などが気づいていたことだ。
にもかかわらず、この危険な行為を止めることができず、結果として大規模な土石流が民家を襲い、多くの命が奪われてしまった。
土木の専門家は、それが不法であり危険であることがわかっていたはずである。
市も、不法な行いについて、もっと徹底した対策はできなかったのだろうか?
誰一人、本気で阻止しようとした者はいなかった。
まさか、こんなことになろうとは、予測できなかったのだ。
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少し前に、大阪の民家の土台が崩れ、家屋が地面と共に崩壊した事件があった。
あれもまた、近くで工事をしたら、石崖がくずれそうだということは、容易に予測できたはずだ。
だが、工事を続けてしまったのは、やはり楽観していたのだろう。
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今、本気でファイザーの元副社長や一部の医師が、倫理に基づいて行動をしているのだとしたら、それはきちんと受け止めるべきであろう。
小さなひずみを見つけたときに、それを無視して前進し続けるのだろうか?
人々はいつでも楽観していた。原発から放射能が漏れることなどありえないと思っていたが、原発事故は起こり、ロケットが墜落することなんかないと思っていたが、ロケットは墜落した。
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今は、本当に何を信じてよいのかわからない。
日本政府を信頼して、その方針に従って行くべきなのだろうか?
危険だという証拠はないのであっても、それは安全だという証拠ではない。
日本の方針や世界の方針は正しいのか?
確かに、ワクチンは重症化を抑え、一定の効果を出してはいる。
だが、このワクチン接種についての評価は、何年後かにならなくてはわからないということだ。