山本飛鳥の“頑張れコリドラス!”

とりあえず、いろんなことにチャレンジしたいと思います。
と思っていたけど、もうそんな年齢じゃなくなってきた。

ある送別会で思ったこと

2021-07-16 16:11:25 | 日記2021

なぜ急に、過去のことを思い出したのかわかりませんが、最近ふと思い出したので、そのことを書こうと思います。

今や、新型コロナ感染防止のために、職場で送別会なんてものは開きませんが、何年か前は退職する人がいるたびに送別会を開いていました。

私の会社は、上司などが参加し、退職者のいる部署の人がそれなりの企画をすると、会社から経費を出してもらえるようです。

それで、多くはそういう正規の送別会をしていたのですが、中には上司との折り合い悪いのか、そもそもそれで辞めたくなったのか、職場全体での送別会はしないという人もあったのです。

その場合、送別会はしませんということになっているのかもしれませんが、ひそかに特定の人間だけに送別会の日程と場所の連絡がきて、参加者を募るメールが届きました。

あるとき、私にもそのメールが来たのですが、どうみても、大部分の人宛てにメールが送られているものの、ごく一部分の人だけが抜けているのです。退職する人がその一部分の人を嫌いだったのでしょう。なんか、そういうのは嫌だなあという気がしました。

また、それにはさらにしかけがあり、まずは、ぜひとも参加してほしい人を誘った後、まだ募集枠がいっぱいになっていないということで、「補欠」を募るという仕組みになっているようでした。

例えば、あるお店で20人以上参加者が居れば一人当たりの金額が割引になるけど、15人しか集まらないので、あと5人、誰かを呼ぼうみたいな感じです。

それで、メールには、最終的に決定したお店や日時が記載されているのですが、「すでに参加希望を連絡済みの人は返信不要です」などと書かれているのでした。

これは、大人気ないのですが、ちょっとムカっとしたのです。

退職者本人の大好きな人をまず誘う。それで、人数に余裕がある(あるいはもっと多いほうがサービス面で都合がよい)場合は、まあ好きでも嫌いでもなく、居ても問題ない人を誘う。嫌いな人は除外。

そういう仕分けなのだと思うのです。

私は補欠的位置づけが嫌だと内心思いつつ、身近な人には、「特定の人を外しての送別会は乗り気がしない」と伝えたところ、幹事さんから、一部の人を外したのではなく、元々が有志で、それが大規模になったのだとの説明が来たのでした。

こういうものには同調したほうが良いのでしょうね。もし同調しなければ、自分も外された人と同じ立場を自ら選んだことになりそうです。

でも、わたしはどうも多数派にはなれない性格なんですよね。

結局、その送別会には行かなかったのですが、参加しなかった理由はもう1つあります。

その退職した人は、一時、私の直属の上司になったことがあります。私はあるとき、パートタイマーの勤務日(曜日)を都合で入れ替えたいと、上司の許可を得ようとしたことがあったのです。

それで、来週の何曜日の休みを何曜日と交換させてくれ、と伝えたのですが、「あなたの勤務日なんか私はそもそも知らない」という返事が返ってきたのでした。

これに私は、どう答えたんだったか?特に何も言わず、とにかく伝えたので、そのまま休みを入れ替えたんだったと思います。
この上司の言い分は、たしかに、会社の仕組みがおかしかったのかもしれません。いきなりパートを管理する人にされたものの、誰がどういう勤務時間なのか聞いたこともないということなんでしょうか。

元々は上司でもなんでもなく同じ部署にいた人というだけで、その人が正社員だったというだけなのでした。

私は何年も同じ部署で働いているので、私が何曜日に休みなのかくらい誰でも知っていると思っていたのですが、パートのオバサンの勤務日なんか知ったことではないのだったのでしょう。

だから、変更を許可するもしないも、知らんわということなのです。

なんか、そういう雰囲気の人なので、気に入った人だけを集めて送別会をするというのもその人らしいなあと思ったのでした。もちろん、幹事はその人の意向をよく汲み取れる理解者だったんだと思います。

私は、その人にとって、特に害にもならない存在だったらしく、「呼んでもいいよ」という位置づけだったことは、嫌われてはいなかったんだなと思いました。

しかし、「あなたの勤務日なんかそもそも知りません」と言われた恨みは消えないのですよ~~

 

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東京市

2021-07-16 00:59:31 | 日記2021

7月17日は、東京の日だそうで、1日早いけど東京について書いてみようと思います。

なんで東京の日かといえば、1868年の7月17日に、江戸を東京というようになったからだそうです。

旧暦の7月17日なので、本当は9月になるらしいです。

・・・

ところで、私は18歳のときに、地方から東京に出てきたのですが、東京には東京という住所はないように思いました。

私は、東京育ちではないので、東京の歴史については学校で教わったことがありませんでした。

それが、45歳のときに、不動産会社の仕事に就いたのをきっかけに、売買のために土地や道路や水道菅・ガス管・排水管などについて調べることが多くなったのです。

それは、区役所・市役所・法務局・水道局などに行って、図面を出してもらったりして調べるのですが、そのときに古い資料を見ると、「東京市」という住所が出てきて「何なんだろう?」と思ったものでした。

そして、古くは、「東京市」というものがあったのだと察しがつき、結局それは現在の東京23区だと言うことを知りました。

東京市は、1943年(昭和18年)7月1日に、東京23区になったようです。なので、それ以前の資料を見ると東京市になっているのですね。

そんなことは、常識ですよ、と言われるかもしれませんが、地方出身の人は私のように知らない人が多いのではないかと思います。

そして近年、大阪では、維新の会の人が「大阪都構想」を打ち出しましたが、大阪府には現在も大阪市があるそうで、これが昔の東京市みたいな形なのかな?と思ったりしました。(よくわかりませんが。)

・・・

「東京に住んでいる」というと、広い意味では東京都に住んでいることになり、かなり広い範囲になりますが、狭い意味では、元東京市である23区のことを示すのかと思います。

東京に行くというと、東京駅なのか、山手線あたりか、23区なのか、それとも東京都なのか、色々な意味がありますね。

それから、今は「西東京市」というのがあり、これこそが「東京」という言葉を含んだ名前になっていますが、これは昔無かったのに、いつの間にかできていました。調べてみると2001年1月に田無市と保谷市が合併したのだそうです。今は田無市も保谷市もないのかと驚くような古い人間です。

東京の西のほうの市っていう意味なのか、練馬区が元東京市だとすれば、確かにその西側に隣接している市で西東京市になるのかなと思います。

ということで、お題は「東京の思い出」とのことですが、不動産の仕事で古い図面を見ると「東京市」っていうのがあったなあ~という思い出でした。

 

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