なぜ急に、過去のことを思い出したのかわかりませんが、最近ふと思い出したので、そのことを書こうと思います。
今や、新型コロナ感染防止のために、職場で送別会なんてものは開きませんが、何年か前は退職する人がいるたびに送別会を開いていました。
私の会社は、上司などが参加し、退職者のいる部署の人がそれなりの企画をすると、会社から経費を出してもらえるようです。
それで、多くはそういう正規の送別会をしていたのですが、中には上司との折り合い悪いのか、そもそもそれで辞めたくなったのか、職場全体での送別会はしないという人もあったのです。
その場合、送別会はしませんということになっているのかもしれませんが、ひそかに特定の人間だけに送別会の日程と場所の連絡がきて、参加者を募るメールが届きました。
あるとき、私にもそのメールが来たのですが、どうみても、大部分の人宛てにメールが送られているものの、ごく一部分の人だけが抜けているのです。退職する人がその一部分の人を嫌いだったのでしょう。なんか、そういうのは嫌だなあという気がしました。
また、それにはさらにしかけがあり、まずは、ぜひとも参加してほしい人を誘った後、まだ募集枠がいっぱいになっていないということで、「補欠」を募るという仕組みになっているようでした。
例えば、あるお店で20人以上参加者が居れば一人当たりの金額が割引になるけど、15人しか集まらないので、あと5人、誰かを呼ぼうみたいな感じです。
それで、メールには、最終的に決定したお店や日時が記載されているのですが、「すでに参加希望を連絡済みの人は返信不要です」などと書かれているのでした。
これは、大人気ないのですが、ちょっとムカっとしたのです。
退職者本人の大好きな人をまず誘う。それで、人数に余裕がある(あるいはもっと多いほうがサービス面で都合がよい)場合は、まあ好きでも嫌いでもなく、居ても問題ない人を誘う。嫌いな人は除外。
そういう仕分けなのだと思うのです。
私は補欠的位置づけが嫌だと内心思いつつ、身近な人には、「特定の人を外しての送別会は乗り気がしない」と伝えたところ、幹事さんから、一部の人を外したのではなく、元々が有志で、それが大規模になったのだとの説明が来たのでした。
こういうものには同調したほうが良いのでしょうね。もし同調しなければ、自分も外された人と同じ立場を自ら選んだことになりそうです。
でも、わたしはどうも多数派にはなれない性格なんですよね。
結局、その送別会には行かなかったのですが、参加しなかった理由はもう1つあります。
その退職した人は、一時、私の直属の上司になったことがあります。私はあるとき、パートタイマーの勤務日(曜日)を都合で入れ替えたいと、上司の許可を得ようとしたことがあったのです。
それで、来週の何曜日の休みを何曜日と交換させてくれ、と伝えたのですが、「あなたの勤務日なんか私はそもそも知らない」という返事が返ってきたのでした。
これに私は、どう答えたんだったか?特に何も言わず、とにかく伝えたので、そのまま休みを入れ替えたんだったと思います。
この上司の言い分は、たしかに、会社の仕組みがおかしかったのかもしれません。いきなりパートを管理する人にされたものの、誰がどういう勤務時間なのか聞いたこともないということなんでしょうか。
元々は上司でもなんでもなく同じ部署にいた人というだけで、その人が正社員だったというだけなのでした。
私は何年も同じ部署で働いているので、私が何曜日に休みなのかくらい誰でも知っていると思っていたのですが、パートのオバサンの勤務日なんか知ったことではないのだったのでしょう。
だから、変更を許可するもしないも、知らんわということなのです。
なんか、そういう雰囲気の人なので、気に入った人だけを集めて送別会をするというのもその人らしいなあと思ったのでした。もちろん、幹事はその人の意向をよく汲み取れる理解者だったんだと思います。
私は、その人にとって、特に害にもならない存在だったらしく、「呼んでもいいよ」という位置づけだったことは、嫌われてはいなかったんだなと思いました。
しかし、「あなたの勤務日なんかそもそも知りません」と言われた恨みは消えないのですよ~~