山本飛鳥の“頑張れコリドラス!”

とりあえず、いろんなことにチャレンジしたいと思います。
と思っていたけど、もうそんな年齢じゃなくなってきた。

初めての東京旅行

2021-07-17 20:52:05 | 日記2021

「東京」というお題で、3個めの投稿です。

それだけ、東京について思うことが多いのかもしれません。

私が生まれて初めて東京に行ったのは、小学校6年生の修学旅行でした。

日本の首都ということですね。

私は静岡県の出身なので、確か5年生では静岡県庁のある静岡市あたりに就学旅行に行き、6年生で東京に行ったのですが、どっちも日帰りなのです。

それは大部分の時間が往復の移動に費やされると思うので、実際、東京で何を見学したのか、ほとんど覚えていないのです。

写真に残っているのが、国会議事堂でした。

国会議事堂については、全く記憶がありません。中を見たわけではなく、外から建物を見て、その正面で集合写真を撮っただけだと思います。

東京に住んでいる今、国会議事堂の中を見学してみたいなと思っていますが、40年以上もの間、いまだに見学したことはありません。

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小6の就学旅行でただ一つ記憶にあるのは、羽田空港でジャンボジェット機を見たことです。

それまで、本物の旅客機なんか、空高くはるか遠くに点のように飛んでいる姿しか見たことのない子供でした。

行く前から、ジャンボはものすごく大きな飛行機だと聞いていたので、その姿を空想していました。

おそらく、小学校の校舎くらい大きいんだろう。。。

そして、実物を見たわけですが、これまで普通の飛行機すら目前に見たことのなかった子どもゆえ、あまりにも大きな機体を想像していたのでした。

そして見ると、それは想像よりも小さかったのでした。

たしかに、1年~6年生までのクラスが全部はいっている校舎は、いくら田舎の小学校とはいえ、ジャンボジェットよりずっと大きいのです。

あんな校舎のような巨大なものが飛んでるわけないですよね。

飛行機の中では一番大きかったはずですが、飛行機を見たことがなく、大きな建物を基準に想像してしまった子供でした。

・・・

そのジャンボジェットですが、いつのまにかもう旅客機としては飛んでいないそうで、現在は貨物機だったらあるらしいですね。

時代は変わるものだなあと思います。

大きければいいってもんでもなく、そんなに一度に大量の人を運ばないで、中型の飛行機で便数を増やしたほうが効率的なのでしょう。

羽田空港や、その後できた成田空港は大人になってから何度か行っています。飛行機の大きさよりもいろいろなデザインがおもしろいです。

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修学旅行でたぶん行ったはずのところは、もう一つNHK放送センターに行ったんじゃないかと思っています。

それも、当時のことは覚えていませんが、大人になってからは数回足を運んでいます。

小6のときはたぶん、国会議事堂とNHK放送センターと羽田空港を駆け足で見て、トンボ返りしたんでしょう。

バスの車窓から東京タワーや、代々木の国立競技場くらいは見たはずですね。

東京タワーは大人になってから1度くらい展望台に上ったことがあります。

スカイツリーにはまだ上ったことがありません。

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今(コロナ禍じゃない場合)は、小学生の修学旅行でも宿泊付きで行くようです。

我が家の子どもは、東京育ちですが、小6では逆に静岡県の臨海学校に自然を堪能しに行きました。

そういえば、うちの子たちが東京で国会議事堂や空港を見学したのはいつだったのか、私は記憶にありません。

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今思えば運がよかった受験

2021-07-17 11:10:01 | 日記2021

もうかれこれ40年以上も前のことになります。
私は東京にあこがれて、地方から東京の大学を受験しました。

自宅から始発電車に乗ると、なんとか試験会場に到着するくらいの距離だったので、都内に宿泊はせず、日帰りで試験を受けて帰りました。

第一志望の大学の試験会場は本当に東京といえる場所です。東京都千代田区にキャンパスがありました。
その大学と短大を受験しましたが、見事に不合格となりました。

その後、滑り止めの短大を受けました。こちらは、品川区にありました。
そして、この短大に入学し、卒業しました。

アパートは、短大から徒歩5分の住宅街にあり、1階4畳半・トイレ共同、お風呂は銭湯というところでした。短大2年間とOL2年間の計4年を過ごしました。周囲はチマチマした住宅街で近くに商店街がありました。

第一志望の大学に入れなかったのは、本当に残念だった、もっと勉強しておけばよかったと思って、この年まで生きてきました。

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ところで、本当に最近気づいたのですが、その東京のど真ん中にあった第一志望の大学ですが、1・2年生は八王子キャンパスだったのです。

それって、確か受験するときから知っていたはずなんですよ。ところが、とにかく合格することだけを考えていて、その八王子という場所がどこにあるのかってことを、全く考えていなかったのですね。

近年になって、初めて車で東京都内を色々走り回るようになったのですが、八王子ってすごく遠いじゃないですか。東京都の果てです。

電車で行っても、新宿から京王線に乗って、なんか山を越えて行くみたいな、とにかく東京というひとかたまりの生活圏とはまるで違う地域なんですね。

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だから、もし第一志望の大学に合格していたら、いったいどうなっていたんだろうと今になってぞっとします。
親だって地元からは一歩も出たことのない人間です。品川の短大に行くことになり、短大近くの不動産屋に駆け込んで学校のそばの安いアパートを見つけ、そこで賃貸契約してくれました。
そして、当時は宅急便なんか無かったので、国鉄で実家から布団なんかを送ってきたように思います。
それから、現地でカラーボックスや櫓こたつなどを購入しました。

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これがもし、第一志望の大学だったらどうしたでしょう。
入試は千代田区に行ったとして、実際に学ぶのは八王子です。いったいどうやって八王子に行くんですかね?実家は静岡県なのですが、その場合は八王子にはどうやっていくのかなあ?

当時は学園都市のような感じで八王子が開発されていたのだったと思います。都心に入りきれない多くの大学が、近郊地域に新キャンパスを増設していた時代でした。
私は、いまだにその大学の八王子の所在地は知らず、行き方もわかりません。

八王子でアパートをみつけたとして、そこで1・2年暮らしたら、今度は3・4年で千代田区にまたアパートを探さなくてはならなかったわけです。しかも、その大学から徒歩5分なんてところに学生向けのアパートなんかなかったように思うのです。そうすると、ちょっと離れた地域をみつけて、そこでアパートを探して電車などで通うことになったかもしれませんが、田舎者にはどのあたりの地域を選べばよいかも皆目わからなかったと思うのです。

だから、今になると東京というところに土地勘がない私一家にとっては、第一志望の大学が不合格だったことは、ラッキーだったんじゃないかなと思うのです。

田舎者の親に、私の住まい探しなんて面倒なことをさせなくて済んだし、自分自身も右も左もわからない子どもだったので、受かったら大変だったのではないかと思うのでした。

・・・

そして、入学した短大には、たまたま高校のクラスメートも合格していて、近くのアパートに住んでいたので、寂しい思いをすることはありませんでした。

その友達と一緒に、新しい友達も自然に作ることができて、環境が変わったことのストレスや不安はほとんどなく過ごすことができました。

偏差値の高い大学には行けなかったけど、勉強したい内容の短大だったし、ラッキーだったなと思いました。

東京の大学に進学するっていっても、八王子市や千代田区では全然場所が違いますし、その点、品川区は適度な場所だったと思います。学生時代は渋谷や新宿によく出て遊んでいました。

そうして、結局40年以上も東京と言われるところに住み続けることになりました。

 

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リモコンがない!

2021-07-17 00:16:07 | 日記2021

先日、エアコンを操作しようと思ってリモコンを使おうとしたら、リモコンがなかった。

いつも、机の周辺や布団の周辺に適当に放置してあるのだが、それがどうしても見つからないのだ。

そこで、書類の下などに潜っているのか、布団の中か?椅子の下か?何かの拍子に台所に持っていってしまったのか?などとさんざん探しまくったのだが、20分くらい探しても見つからなかった。

こんなにみつからないないことは初めてなので、本当にどこに行ってしまったのか途方に暮れた。

そうして、ふと見ると、な、なんと、リモコンは、壁に取り付けてあるリモコン用の置き場所にちゃんとハマっていたのだった。

つまり、私が留守にしているうちに、夫がしかるべき場所に戻したということだ。

私の場合、片付いていると見つからないのである。

自分が散らかした場所に放置したままになっていないと困るのである。

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