山本飛鳥の“頑張れコリドラス!”

とりあえず、いろんなことにチャレンジしたいと思います。
と思っていたけど、もうそんな年齢じゃなくなってきた。

中学時代の海水浴場

2022-07-18 16:16:24 | 日記2022

小学校の時は、地元の部落の海水浴場しかしらなかったが、中学では街中の子と同じ1学年8クラスもある学校にバス通学していた。

そこで、友達になった子に誘われて、街の海水浴場に行った。

こちらは、当時の自分にとっては都会であり、漁村ではなく観光旅館などが立ち並んでいた。

だから、旅館のお客なども泳いでいたに違いない。

海岸は砂浜だった。

海の家も何件か建ち並んでおり、更衣室などはやはり地元の人間の特権ということで、どこかで無料で使わせてもらったのかもしれない。記憶にはないのだが、友人に連れられて行動していた。

覚えているのは、シャワーは海岸に無料のやつがあったということだ。

そして、それは温泉だった。

それから、海辺に木の船が置いてあったが、その船にお湯がなみなみと溜まっていて、お風呂になっているのだった。

それも自由に入って良いとのことで、あれは本当に気持ちがよかった。

たぶん、要らない船があったので、その中に温泉を溜めれば風呂になって良かろうというようなものだったと思う。

そんな画像がないものかと探してみたがそっくりなのは見つからない。

こんな感じ。これよりもっと小さい舟。 海岸の温泉船

昔はたのしかったなあ。

コメント (2)

故郷の海水浴場は今?

2022-07-18 15:43:04 | 日記2022

子どもの頃、よく泳ぎに行っていた地元の海水浴場は今どうなっているんだろう?と思って、インターネットで検索してみた。

昔泳いでいた石の海岸の海水浴場とは別のところに、今は人工の砂浜ができていて、そちらが海水浴場になっているらしい。砂を持ってきたのかと思っていたら、正確には玉砂利なのだそうだ。

昔の海水浴場のほうが湾の外側にあり、新しいほうは港の中のほうにあるため、新しいほうの浜は波も穏やかで安全らしい。

しかし、海の家はないそうだ。

それから、昔海水浴場だったほうも、今では海水浴場ではないので、海の家はないそうである。

昔から2軒か3軒しかなく、そのうちの1軒は地元の小学生が自由にシャワーを使ってよいことになっていたのだった。その家の好意でそうなっていたのか、小学校のPTAとかの関連でとり決められていたのかもしれない。

海の家の人に声をかけることもなく、勝手に使っていたなあと思う。自分たちが子どもであるというだけで、それは当然の権利のように思っており、お礼さえ言っていなかったのは不思議である。地元の小学生は300人も居なかったと思うが、そのうちの半分以上は、海のそばに住んでいたので、そのまま自分の家に帰って風呂に入るのが普通だった。

私の家は、海から徒歩20分くらいかかり、帰りは上り坂で疲れたので、バスに乗ることもあった。水着を着たまま、その上にアッパッパを着て、バスの座席には座らず、立って乗って帰ったりした。

あの海の家の経営者も高齢になってやめてしまったのかもしれない。元の海水浴場の近隣に砂浜風の人工海水浴場ができたことで、客も少なくなったのだろう。

今でも水がきれいで安全な海には違いないので、シュノーケリングで魚を見るのに適しているらしい。

その他、昔無くて、今ある物はダイビングスクールだ。ダイビングのことなんかまるでわからないので、どうなってるんだかわからないが、以前散歩をしていたら、新しい建物ができたり、酸素ボンベなどが置いてあったりした。あれは地元の人間がやっているというよりも、都会の人が始めたもののような気がするが、もしかしたら地元の人がやっているのかもしれない。

時代は変わる。

新しい砂浜海水浴場のほうに以前行ったことがある。その時は無料のシャワー(水道水)と更衣室とトイレがあった。

しかし、今検索すると、シャワーと更衣室は使えないとのこと。コロナ禍の影響で2年前から廃止されたのであろう。

なんだかさみしい。

たぶん観光客は、近くの民宿などを利用しているため、特に海辺にシャワーや更衣室などは不要のようだ。

本当に海のそばに自宅がある人と、民宿などを利用する人だけが使う海になったみたいだ。

そうなると、今やもう子どもの頃と同じ海の家を利用してみたいという希望はかなわないことがわかった。

 

 

コメント