夫がレンタルDVDを借りてきて、ドライブ・マイ・カーを見た。
これは、世界でも高評価されている映画なので、きっと良いものだろうと期待していた。
イメージとしては、何かすっきりした結末なんだろうと思っていた。
ところが、出だしからなんかわけがわからない朗読みたいなのが続き、思っていたのと違うぞということになった。
ドライブという開放的なイメージとは程遠いし、その朗読みたいなのが何なのか意味不明だし、それを聞いてその情景を思い浮かべるのも結構大変である。またその内容が気分の良いものではない。
また、車の中で流している棒読みのセリフみたいなのも何なのかわからなかった。
主人公夫婦がセックスをしながら語る朗読みたいなのは、妻が創作した小説であり、車の中で流れているのは、チェーホフのワーニャおじさんであることがわかってきた。
そして、主人公が取り組んでいる舞台演劇もワーニャおじさんだった。
(ワーニャおじさんは有名な作品らしいし、この映画の鍵を握っていると思うが、私は内容を知らないので、ここでかなり理解力が欠落していると思う。)
それから、まあ、色々と書けば切りがないし、ネタバレになるのでやめておこう。
とにかく、あれやこれや要素が多く、内容が重い。
人間の苦しみや生きる意義などを訴えているんだと思うが、ワーニャおじさんの内容や、それに重ねて登場人物たちの思いや人生が表現され、また様々な言語・国籍の人々が演劇製作を通して同じ場を作り、日本の風景が広島や北海道など描かれ、また韓国色もかなり強く、どれだけの要素がこの映画の中に濃縮されているのだろうと思う。筋の展開も色々と盛りだくさんである。
それは、私にとっては心地良いとは言えず、入れ込み過ぎ・濃すぎる・重すぎる・重厚すぎるような気がするのだ。
重すぎる何人もの登場人物の生き様。
村上春樹の原作はいったいどうなってるんだろうか?映画と同じなんだろうか?
最後は、福家もドライバーの女の子も、お互いが同じように心の暗闇を抱えていることを知り、それを紐解いていく。そして、過去から吹っ切れて一歩進んだと言えるんだろうけど、そう簡単に爽快とは言えないものが心に残った。
結局、人は割り切れないものをそのまままるごと吸収して乗り越えていく、それが解決でもあるってことか。
(亡くなった身近な人間には、理解しきれない内面があって、生き残っている主人公たちは、その影を背負い続けている。村上春樹の作品はそういうのが多いのか?)
なんか、うまく言い表せないので、丸ごと飲み込んで忘れよう。
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