放送大学の単位認定試験に行ってきました。
今回も、試験対策の勉強は全然してなくて困ってしまった。
放送だけは聴いていたのだけど、漠然とした記憶しか残っていないものが多かった。
試験対策といえば、通信課題の自習問題と、過去の試験問題をやるしかないが、それに対しても要領を得ない状況だった。
問題に答えられるか答えられないかは別として、今日の試験科目の授業は結構気に入っていて、こんなにおもしろい科目だったかと驚くくらいだった。これは大当たりだ。
担当の先生は、とてもわかりやすいし、番組の作り方も最高だ。
ほかのゲストの先生などもとってもよかった。
この年になると、先生が好きか嫌いかでかなりやる気のあるなしが決まってしまう。
おばさんになると、どうしてこんなに好き嫌いがはっきりしてしまうのだろう。
よくないことだけど、仕方がない。
それに、担当の先生には関係ないのかもしれないが、やはり好きな科目と嫌いな科目の落差が非常に大きいのだ。
特に、嫌いなものは受け付けなくなる。
だから、自分に向いていないのだなと、本当にはっきりとわかってくる。
自分に向いていない科目もかなりの割合があって、そういうのはことごとく途中で挫折する。
だったら、最初から取らなきゃよかったじゃん、と思うけど、自分で自分がわかっていなくて、何度も何度も科目登録をし、トライしては、そのたびに挫折する。
そして、やっと、この科目は自分には相当合わない内容なのだと気づく。
だから、それこそ、自分に適した科目の割合ってすごく少ないのだけど、それでもゼロではないのだから、たまに見つかる好きな科目の単位を少しずつ少しずつ取っていったとしても、本当に少しずつの知識の積み重ねになり、わずかではあるが前に進むことができると思う。
もうそれでいいや。
そして、いつも単位認定試験がせまってきたころになって、あわてて放送を聴いたりして、その科目の良さがわかったりするのだが、それも遅すぎるのである。
しかし、そうでもしなければ放送を見ることも教科書を読むこともしないので、遅きに失したとしても、まあ、出合わなかったよりは良いのだろうと思う。
試験前日や当日になると、若いころのように最後の追い込みとかできなくなってくる。なんか根気が続かないし、瞬発力も出なくて、「もういいや」と思ってしまう。
あとは野となれ山となれ、なるようになるさ。
ほんの僅かでも点を上げようと、最後の最後まであがくことができなくなるのだ。
もうしょうがないね。
それでも、「やらないよりはマシ」ということで、またそこに行きつくわけ。
ずいぶんと、効率が悪くて面倒くさくてどうしようもないのだけど、まあ、やめちゃうよりはマシだろうって。
行きの電車の中で教科書を開く気力もなく、試験会場でも最後の知識の確認等もする気がなく、とにかく受けて早く帰るべえ、と思ってしまう。
そして、どうか知ってる問題が出ますように、と運を天にまかせ、神頼みとなる。
今日は、ついつい神に願ってしまったが、神が聞いてくれたのか、たまたま記憶に残っていた知識を使うことができたので、なんとか単位は取れるであろうと思った。
今回も、試験対策の勉強は全然してなくて困ってしまった。
放送だけは聴いていたのだけど、漠然とした記憶しか残っていないものが多かった。
試験対策といえば、通信課題の自習問題と、過去の試験問題をやるしかないが、それに対しても要領を得ない状況だった。
問題に答えられるか答えられないかは別として、今日の試験科目の授業は結構気に入っていて、こんなにおもしろい科目だったかと驚くくらいだった。これは大当たりだ。
担当の先生は、とてもわかりやすいし、番組の作り方も最高だ。
ほかのゲストの先生などもとってもよかった。
この年になると、先生が好きか嫌いかでかなりやる気のあるなしが決まってしまう。
おばさんになると、どうしてこんなに好き嫌いがはっきりしてしまうのだろう。
よくないことだけど、仕方がない。
それに、担当の先生には関係ないのかもしれないが、やはり好きな科目と嫌いな科目の落差が非常に大きいのだ。
特に、嫌いなものは受け付けなくなる。
だから、自分に向いていないのだなと、本当にはっきりとわかってくる。
自分に向いていない科目もかなりの割合があって、そういうのはことごとく途中で挫折する。
だったら、最初から取らなきゃよかったじゃん、と思うけど、自分で自分がわかっていなくて、何度も何度も科目登録をし、トライしては、そのたびに挫折する。
そして、やっと、この科目は自分には相当合わない内容なのだと気づく。
だから、それこそ、自分に適した科目の割合ってすごく少ないのだけど、それでもゼロではないのだから、たまに見つかる好きな科目の単位を少しずつ少しずつ取っていったとしても、本当に少しずつの知識の積み重ねになり、わずかではあるが前に進むことができると思う。
もうそれでいいや。
そして、いつも単位認定試験がせまってきたころになって、あわてて放送を聴いたりして、その科目の良さがわかったりするのだが、それも遅すぎるのである。
しかし、そうでもしなければ放送を見ることも教科書を読むこともしないので、遅きに失したとしても、まあ、出合わなかったよりは良いのだろうと思う。
試験前日や当日になると、若いころのように最後の追い込みとかできなくなってくる。なんか根気が続かないし、瞬発力も出なくて、「もういいや」と思ってしまう。
あとは野となれ山となれ、なるようになるさ。
ほんの僅かでも点を上げようと、最後の最後まであがくことができなくなるのだ。
もうしょうがないね。
それでも、「やらないよりはマシ」ということで、またそこに行きつくわけ。
ずいぶんと、効率が悪くて面倒くさくてどうしようもないのだけど、まあ、やめちゃうよりはマシだろうって。
行きの電車の中で教科書を開く気力もなく、試験会場でも最後の知識の確認等もする気がなく、とにかく受けて早く帰るべえ、と思ってしまう。
そして、どうか知ってる問題が出ますように、と運を天にまかせ、神頼みとなる。
今日は、ついつい神に願ってしまったが、神が聞いてくれたのか、たまたま記憶に残っていた知識を使うことができたので、なんとか単位は取れるであろうと思った。
がんばってますね。
私からしたら、何はともあれ放送大学続けられている事がすごいです\(^o^)/
飛鳥さんこブログにお邪魔しだしたのが、
放送大学に反応したからでした。
しかし、
私は今では放送大学のことはほとんど自分の視野の中でもにはない気がします。
近所の親しい10数年来の友達が放送大学続けて、ことを2年位前に知ったりしたんだけと、全然始めてない私。
飛鳥さんの継続してるのをみて私もと、少しだけ初心に帰りつつあります。
頑張ってる飛鳥さん素敵です😄✨
いちこさんのように、演劇に出演するほうが、ずっと大変だと思いますよ。私も演劇やりたいと思ったけど、やはり実行に移せません。
演劇やってるいちこさん素敵です!
なんでもいいから、前向きに取り組んで行きたいですね。