外国では、ワクチン証明書がないとレストランにも入れないし、学校にも通学できない国があるそうだ。
もし、スマホなどで顔認証などをしてゲートを通過するようなシステムになれば、誰がいつどこに出入りしたなどということもすべて管理される社会になる。
電子マネーで買い物をすれば、何を買ったかも把握される。
そのように、すべての行動を監視される社会も絵空事ではない。
・・・
先日から、何か心にくすぶっていることは、大学構内に入ろうとしたときに、まるで不法侵入者のように呼び止められたことであった。
これまで、一度も学生証を提示しなければならないなんてことはなかったのに、それが急に必要になったのは、新型コロナの関係らしいのだ。
少し前までは、感染を予防するために、入場を制限していて、図書館や自習室なども利用不可だったのかもしれない。
そのような延長上に、面接授業の開催される日でさえ全員の身分証明書を確認しているのであろうか?
私が登校するのが遅かったので、他の人の行動を見なかったのだが、ぞろぞろと並んで学生証を見せながら改札口を通るように構内に入って行ったのだろうか?と思う。
私は、守衛さんのところから離れた位置で、広々と開いた門を知らずに通過してしまった。
もし、学生証を見せることが必要だったら、あんなに広々と開けておかなければよいのにと思うが、自動車が出入りするためにそのようになっていたのかな?と思う。
それにしても、なんか「入ってはいけない」という基本的は制限があって、学生証がある者に関しては特別に許可してやるみたいな雰囲気だったのである。
それについて、非常に違和感があるのだ。
学校とは、そういうところなのか?
大学というのは、学費を払って勉強をしているのであり、いわば、学生というのはお客さんの一種ではないのか?
教わる方がそんな偉そうなことは言えないのだが、なんか立場があまりにも卑屈な感じがしてしまったのである。
でも、電車に乗るときも切符が無ければ乗れないんだから、それと同じこと?
でも、ホテルのロビーなんかは宿泊客じゃなくても自由に出入できるし、そんな差別はされないのである。
あのとき、もし学生証がなかったら、構内に入れず、授業も受けられなかったのか、運転免許証を見せて、学生番号と名前でも記入すれば入れてくれただろうと思うけど、そんなことをしていたら授業に間に合わなくなってしまっただろう。
なんで、コロナ禍になってから、、そのような色合いが強くなってきたのか?
そういえば、美術館などでも、濃厚接触者を追いかけていたころは、いちいち住所と氏名を書いていたのだった。
今になって思えば、いちいち個人情報を記載しないと入場できないものが多かった。
そうして、入り口で強制的に手の消毒をさせられる店もあるし、マスクも着用しなければならない。
もし、身体的にできない事情があれば、いちいちそれを説明しなければならない。
それが感染予防のためとはいえ、とても窮屈なことだし、まずは人を疑ってかかるというところから始まっている行為である。
結論としては、理屈や必要性はどうあれ、とにかく気分悪い。存在を否定されてる感が強い。
面接授業をやめて帰宅してしまったのは、先生の声が聴こえないのと寒いのもあるが、校門の出来事も大きかった。
なんかすごく居心地の悪い気分に取りつかれてしまったのだ。
私は、なにかのPTSDかもしれない。自分だけが他人から拒否される場合があるということだ。
私ってそんなに不審者みたいに見えるのか?
いや、守衛さんは全員の身分証明書を確認するという任務を全うしていただけ?
人を見たら不審者と思え?
でも、守衛さんはもう一人入って行った若い男性には、「呼び止めたのはあなたの方じゃない、そっちの人だ」と私をさして言っていて、男性は身分証明書を見せていなかったと思う。
私は何かの勧誘する人とか悪い人間にでも見えたのだろうか?
どっちにしても、校内に入るにふさわしくなさそうな人に見えたってことか・・・
安くて美味しいです。
勿論誰でも校内に勝手に入れました。
学習院だと門のところで何か言われそうなオーラを感じるので近寄れません。
近所の小学校は関係者以外立入禁止。
鉄棒にぶら下がることすら出来ませんね。
故郷の小学校は今でも自由に校庭に出入りできました。そもそも塀も扉もありませんが、なんと少子化で廃校になってしまいました。
この度、一般の大学がどうなっているか検索してみたら、まず明治大学が出てきてやはり身分証明書提示。
しかし東大本郷キャンパスでは一時制限されていたのが、最近解除され誰でも出入りできるようになったみたいです。
それにしても、新型コロナを身分証明書で管理する理屈がいまいちピンときません。